ダマフィア(Da Mafia)
ヒットマンを掻い潜る
マフィアのボスとなり、部下を各地に送り込んで名声を競うプロットゲーム。ウェーブルーズがゲームマーケット2021秋で発表し、当サイトの新作評価アンケートにランクインしている。
最初に各プレイヤーはボス・メンバー・ヒットマンという3種類のカードを持っている。これを場所カード(アクションスペース)に順番に裏にして配置し、全員が配置したらアクションスペースごとにオープンして処理する。
ボスとメンバーはそのアクションスペースによってお金・人徳・名声を得たり、新しいカードを雇用したり、スペシャリストの特殊能力を得たりする。さらにボスは条件を満たすとそのアクションスペースを支配し、名声を高めることができる。報酬は配置した人数分もらえるので、新しいカードをどんどん雇用していきたい。
マジョリティとかはなく、同じアクションスペースにほかのプレイヤーのカードがあっても全員もらえるが、ヒットマンがいると1枚無効になってしまう。ヒットマン対策としては、まだ人気のないアクションスペースを選ぶか、ボディガードを雇って配置する手がある。
全てのアクションスペースの処理が終わったらカードを回収して次のラウンド。5ラウンドで名声のもっとの高いプレイヤーが勝者となる。
序盤は新しいカードを雇うのにお金や人徳がほしいところ。同じお金でもたくさんもらえるところと少ししかもらえないところがある。当然高いところがいいが、そんなアクションスペースにはヒットマンが潜り込んでくる。5ラウンドしかないので、序盤でヒットマンに当たると追いつくのは難しい。一方、ヒットマンとしてもボスを攻撃できれば名声が上がるが、人望が下がってしまうので良し悪しある。
お互いに相手の出方をうかがいつつ、特にリスクを取って攻める。手番順のアヤもあり、うまくヒットマンをかいくぐって大量のお金や名声が得られると嬉しい。
ダマフィア
ゲームデザイン&イラスト:Namiki/ウェーブルーズ(2021年)
2~4人用/12歳以上/30~60分
文化コンサルティング―ボードゲームにおける人種バイアス
(シュピールボックス誌2021年第6号の記事を翻訳。出版社から許諾を得て公開)
より良い世界のために
ボードゲーム『フロストヘイヴン』作者のアイザック・チルドレスは、いわゆる文化コンサルタントを雇い、物語に文化的バイアスの可能性がないかチェックしてもらった。チルドレスがこれを行うきっかけとなったこと、そのプロセスはどのようなものだったか、『フロストヘイヴン』の何が変わったのか。そして業界の新しい感性について考える。
ダニエル・ヴュルナー
君はオーク役でプレイしたいだろうか? ボードゲームやロールプレイングゲームで肌が緑のキャラクターを選ぶと、身体的なメリットはあるが、この種族のデメリットもすべて受け入れなければならない。オークは強い。オークはバカだ。オークにはカリスマ性がない。これらは決して偏見ではない。すでにキャラクターメイクの段階から、多くのロールプレイングゲームでは、将来オークの男性や女性が特定の職業に就くことを難しくしている。知能のペナルティが-1だと、魔法使いになるのは簡単でない。また、カリスマ性が平均より1ポイント少ないと、対人能力がうまくいかなくなる。だから、どうしてもオークをプレイしたいなら、斧と盾を持たせよう。体力+1だと、おそらく戦士になれるだろう。オークの評価はこんなものだろう。
トールキンの中つ国からファンタジーフライトゲームズのテリノスに至るまで、ファンタジー世界は、私たちの社会や偏見から解放される機会を与えてくれる。ところがプレイすると多様性よりも、固定的な人種概念が想像力を制限してしまう。これらのゲームは、私たちの社会に対する考え方に影響を与えるのだろうか? チュービンゲン大学の教育学者エドウィン・リシュカは、この問いに対する答えとして美学教育論を提唱する。「知識を直接伝えることに重点を置く学校教育に加えて、メディアやアートを受容することで感覚的な学びもあります。例えば、小説の登場人物に自分自身を重ね合わせますね。私たちは、彼らの経験を共に経験し、共有し、私たちの知識に加えるのです。これは、インタラクションによって特別な役割を担うゲームにも当てはまります。」
ハンス・イム・グリュック出版のモーリス・ブルンホファー社長はこのテーマを誇張せず、もう少し具体的な表現をする。「子供のころにヒーロークエストを遊んだからと言って、バーサーカーにはなりません。」しかしこうも言う。「私たち西洋人は自分たちの世界を作りたがりますが、このような形では社会を真正面から描くことはできません。だから、もしヒーローグループ全体が白人で構成されていたら、子供の私は無意識のうちに有色人種はグループの中でアウトサイダーだと学んでしまうでしょう。」
ボードゲームが社会に影響を与えると仮定した場合、出版社、作家、デザイナーは、どのようにして自分たちのゲームにもっと責任を持つことができるだろうか。『フロストヘイヴン』の例は、ひとつの可能性を示している。