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ドイツ・ボードゲーム評論の日レポート(2)

6月にドイツ・ハンブルクで行われた第1回「ボードゲーム評論の日」のレポートの続きを翻訳。
1.文化的な評論と新聞の学芸欄
6つのワークショップ
ボードゲーム評論の日で行われたワークショップでは、たいへん活発な議論が行われると共に、参加者に部屋の移動を促した。参加者は30分ごとにワークショップ会場を変更でき、小グループで幅広いトピックを議論したからである。ワークショップの後、W.ヘロルド氏が司会したディスカッショングループでは、ワークショップ全体の狙いが紹介された。参加者は皆、ワークショップの半分しか聞くことができなかったからである。
ヘロルド氏は、ドイツ年間ゲーム大賞協会がすでに1992年、マールブルクで同様のイベントを開催していたことを指摘した。当時議論された多くのことを、今日の議論で思い出したという。しかし当時は「読者ターゲット関連」について議論し、読者、デザイナー、出版社へのボードゲーム評論の影響を取り上げていた。「今の時代、メディアチャンネルは当時と全く異なる役割を果たしています」とヘロルド氏が述べてから、A.ベッカー、S.ゴーリッシュ、M.フリッチュ、K.ライル、H.シュレーパーズ、G.ハイネッケの各氏がワークショップのトピックを発表した。
①批判的なレビュー、賞賛的な記事―専門知識をもち、メーカーに左右されないボードゲーム評論の限界
A.ベッカー(ヴェーザー・クリア誌):「ボードゲームのレビュー担当者にとって大切なことは、自身の立場を明確にし、作品との個人的な関係をもつことです。そのためにはただ賞賛するだけでなく、一定の距離も取らなければなりません。ポジティブな評論にするため、このような距離を取らずにとことん褒めたり、逆に侮辱的な発言で誹謗したりしてはいけません。その中間には巨大な領域がありますので、評論家がコメントを書く余地があります。そうせずに批判的な考察をしないと、読者に提灯記事という印象を与えます。レビューで批判的なポイントを際立たせるために役立つのは、頭の中で業界のことを一旦切り離して、必要な距離を取ることです。このことは、製品テストのような深みのない紹介記事以上のものを書くのに必要です。書面のレビューにとって大切なのは解釈、それに伴う分類、物語的な部分、そして評価です。最終的に、評論家はその記事により、『レビュー用のサンプルを提供されて意見が影響されたのではないか』という印象を読者に与えないようにしなければなりません。」
②演劇、映画、書籍の評論から学ぶボードゲーム評論
「趣味は主観的なものではありません」―S.ゴーリッシュ(『ノイエ・プレッセ』誌/ドイツ年間ゲーム大賞)はこの引用からワークショップを始めた。この言葉はどのように理解するべきか? 「趣味についての判断は、理想的には専門知識と、教養と、経験に基づきます。それはどんな形の文化評論よりも上位でなければなりません。このような事情から、単なる製品情報ではユニークなセールスポイントになりません。しかし製品情報のほうが、メディア界においてますます重要になっているようです。したがってレビュアーは、自身の得意分野を鍛えなければなりません。どうやって鍛えるかといえば、事前選択と、能力と、プレイスタイルです。スキーマの分割も役立ちます。普通でないボードゲームを普通でないストーリーで伝えることです。感情を多く、ルールを少なく。必要に応じて、レビュアーは現実の話を取り入れるべきです。そのため自分の得意技を離れ、テキスト構成で同じ書き方を何度もしないようにします。最後に、2つの重要な問題が残ります。いったい誰に対して語りかけたいのか? 評論家としてどんな人になりたいのか? 誰もが自問自答しなければならない問題です。」
③デジタルゲーム評論は見本になるか
M.フリッチ(『インサート・モイン』誌):「ビデオゲーム評論は、アナログゲーム評論よりもはるかに専門的で広範なものです。そのため、アナログゲームではアマチュアの領域がはるかに大きくなります。ビデオゲーム業界では、評論家が戦略ゲームなどの専門に細分化されます。ボードゲーム業界でも皆が全てのボードゲームを遊ぶわけではないので、同じ状況ではないでしょうか? アナログゲームの評論家は得意分野を研ぎ澄まし、より創造的に、より新しい手法を求めるべきです。例えばメカニズム、感情、経験を通常とは異なるレビュー形式で記述するのです。ビデオゲームと比較するとそれは確かに難しいでしょう。ボードゲームの多くは、流行のものであっても、ストーリーが語られないからです。しかし、ボードゲームで経験したストーリーを語ることは今ではもう可能です。どのように私は他プレイヤーとやり取りしたか? 「ゲーム中に私のパートナーとの同盟が物別れに終わった」という記述は、「2枚のカードを引くことができる」という事実よりもそのボードゲームを雄弁に語ります。顕著な違いとして、ビデオゲーム業界では編集部門と広告部門がそれぞれ専門化し、明確に分かれています。ところがボードゲーム業界では混然としており、関心の背反が起こっているのです」
④ボードゲームは男性のものか? ボードゲーム評論と性別役割
K.ライル(シュピールボックス誌、シュピールドッホ誌):「女性は何を、どのように、どこで遊ぶのか? これらの質問に関する研究は非常に少ない。データは不十分ですが、女性は間違いなくボードゲームを遊び、購入もします。問題は、ボードゲームを作る側に女性が目立たないことです。女性は一緒にプレイしますが、製作者、デザイナー、編集者になることは稀です。そしてここでも、男性より女性の方が少ないです。どうしてでしょうか? 主要な要因は時間のようです。女性は自由時間を他のものに使いたいのかもしれません。第二の要因として、女性はポッドキャストを始めたり、ブログを書いたりすることを敢えてしないのではないでしょうか? ネットにはやや荒々しいところがあり、女性にとって必ずしも魅力的ではありません。私は女性として投稿し始めて200本になります。問題は、時間と自信だと思います。この2つが、女性がカジュアルに遊ぶ状態からどっぷりボードゲームにハマることを妨げています。女性をもっと増やすために何ができるでしょうか? 招くこと、勧めること、刺激することです。女性を招いて、ゲストとして貢献してもらいましょう。励ましましょう! 玩具業界で性別を意識した製品がどんどん増加していることを批判し、その結果女の子に生まれる「私は遊ばなくていい」という態度を打ち破りましょう。子どもたちには絶対に王女や勇気ある騎士のボードゲームをということではなく、中立的で皆にとって魅力的なテーマのボードゲームが必要です。」
⑤ファミリーゲームとキッズゲーム―評論家として子どもの意見をどうやって加えるか
H.シュラーパース(シュピールボックス誌、ゲームズ・ウィ・プレイ、ドイツ年間ゲーム大賞):「家族でボードゲームを遊ぶとき、40年前ならまだ子供が1人ぐらいいましたが、そのうち出生率が低下して、いわゆるファミリーゲームを家族抜きで遊ばなくてはならなくなりました。一方、キッズゲームは今やファミリーゲームの主力です。キッズゲームは、子どもと親や教師が一緒に同じテーブルに座り、一緒にそのボードゲームを体験するものです。ボードゲームは、子どもだけで遊び、大人はその間黙って見守ることを意図して作られていません。たとえ親や教育者がそのようなボードゲームを求めているとしても。確かに7~10回ぐらい遊べば、子どもだけで遊べるボードゲームももちろんあります。しかしキッズゲームは基本的に、子どもだけで遊ぶものではありません。そのため、自由度が高いボードゲームのほうがずっとキッズ向きです。ボードゲームの特徴は、ルールを理解し、ルールに従ったプレイができるところにあります。評論家にとってはもう明らかですが、ボードゲームは、印刷されたルールに従ってプレイしたときのみ評価できます。そこで私はキッズゲームにも、大人向けと同じ品質基準を求めています。子どもたちが気に入ったかどうか、どうやって分かるのでしょうか? いいえ、私は子どもたちにどう気に入ったのかなんて尋ねません。大事なのは、子どもたちを観察することです。退屈しているか、楽しんでいるか、どの時点で感情を引き出すか。フィードバックで重要なのは、「来週もこのボードゲームを子ども広場や学校にもってこようか?」という質問への答えです。私は子どたちに「はい」か「いいえ」以上のことを尋ねません。教育学の基礎知識はボードゲームの評価に役立ちますが、それで肝心なところを見落としてはいけません。ボードゲームは、知育ゲームではないからです。遊びは遊び以外の何ものでもありません。そこで子どもたちは十分に学びます。評論家にとって最も重要なことは、自分自身が熱心なプレイヤーであることです。そうしてはじめて気持ちがこもり、子どもたちに共感できるのです。」
⑥新しいボードゲームジャーナリズムとは
G.ハイネッケ(元トリックトラック、シュピールドッホ誌、ドイツ年間ゲーム大賞):「新しいボードゲームジャーナリズムは、私の理解では、遊んだときの感情について書かれた記事を生み出すことが求められます。古典的なレビューは退屈です。導入、ルールの言い換え、結論。これは簡単ですが、多くの労力を消費する割に読者は最後の結論部分しか読まないため、おそらく報われないでしょう。例えば文学や芸術の評論は、その作品を要約して読者や観客に提示するという役割があります。なぜそれがボードゲーム評論では可能でないのでしょうか? ボードゲームが機能するには、我々自身を必要です。プレイ中に自己を観察することによって、我々は感情を伝えることができます。そのボードゲームで私に何が起こるのか、そのボードゲームで私は何を求められるのか。多くのボードゲームには核となるものがあり、メカニズムの石を押しのけることで見えるようになります。特にゲーマーにとって、ルールを繰り返す必要はありません。ボードゲームについて何か違うことを言ってみましょう。あえて通常のやり方を外してみましょう。新しいものを試してみましょう。全体的なものではなく、個々のポイントについて紹介しましょう。間違いにはなりません。」
Tag der Brettspielkritik: Sechs Workschops (Spiel des Jahres e.V.)

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第4回東北ボードゲームフリーマーケットを終えて

台風が通過した直後の暑い秋分の日、山形県長井市で行われたイベント「ぼくらの文楽」内にて、第4回東北ボードゲームフリーマーケットが開催された。無料配布分を除いて500タイトルが出品され、うち360タイトルが来場者のべ270名の手に無事渡った。
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過去3回の売上数/出品数は240/400、320/420、340/640タイトル。売上は順調に伸びている。今回も開場前には50名ほどの待機列が形成され、会場は熱気で包まれた。
システムは第1回からブース制ではなく、出品ラベル制をとっている。出品物貼付用ラベルに出品者名、状態、和訳の有無、希望販売価格などの項目を記入してプリントアウトし、出品物1つ1つにメンディングテープで貼付。これで出品者に関係なく、キッズ、ファミリー、ゲーマーなどジャンル別に陳列できる。
会場では出口付近にレジを設置し、出品物に貼付されたラベルをはがして一括精算。また防犯のためスタッフを配置した。出品者は会場内で売り込みをしても、来場者として待機列に並んで購入してもよい。
閉場後すぐに精算を開始。レジで集めたラベルをもとに出品者別に売上金額を渡す。その際、会場手数料として売上1個につき50円を差し引かれる。このシステムが機能するには優秀な会計が必要だが、今回はラベルを剥がして金額を告げる人、それを電卓に打ち込む人、お金を受け取って釣りを渡す人という3名体制で臨んだ。
今回の新機軸は、家から大きい紙袋をたくさん持ってきたこと。1人で5箱ぐらい買い込む姿が多く見られたが、持ちきれる量のキャパシティが増えたのが大きい。
会場は最寄り駅から3km離れており、休日でバスも運休しているため、徒歩45分が無理ならば自家用車またはタクシーで来るほかない。車まで運ぶことができればたくさん購入できるのだが、会場前の駐車場が屋台などで使用できないため、200mほど離れたところから歩かなくてはならない。大箱を重ねてもって歩くのはきついが、紙袋に入れれば何とかなる。
出品者が増えてラインナップが魅力的になったのも大きい。絶版になった輸入ボードゲーム、ゲームマーケットのレアもの、定価の半値ぐらいの新作と、ファミリーを含む幅広い客層のニーズを満たしていたと思う。
このようにして魅力的なラインナップを拡充しつつ4回目を迎えた継続の力もある。スタッフも手慣れたもので、会場設営が終わってからはのんびりおしゃべりをして、屋台を楽しむ姿も見られた。今回はサザエのつぼ焼きと、山形牛のサイコロステーキ、自家焙煎コーヒーが人気。
終わってからは本堂で夕食とケーキの打ち上げの後、解散。ご参加頂いた皆様、ありがとうございました。また来年お目にかかりましょう。