ハバナ(Havana)
先手番か、大効果か
『キューバ』の発売から2年、エッガートシュピーレはその簡易版(といってもほとんど別ゲームだが)を発売した。デザイナーはこのところコミュニケーションゲームが多かったシュタウペ。『キューバ』のエッセンスを取り出し、短時間で濃密に遊べるゲームに仕立て上げている。
目標は資材・お金・労働者を集めて規定点分の建物を建てること。建物は中央に並んでおり、端にあるものから建てる。次に必要なものは何かが分かる仕組みだ。
手番は13枚のアクションカードから2枚ずつ使う。それぞれ0〜9番の番号がついており、2枚のカードでできる2桁の数字(番号の小さいほうが10の位、大きいほうが1の位)が小さいほうから先に手番を行うことができる。
できることならば手番は先がよい。お目当ての建物を先に建てられるというだけでなく、先手番のほうがものがたくさん手に入るアクションが多いからだ。でも、効果の大きいカードほど番号が大きく、後手番になりやすい。番号の小さいものと大きいものをうまく組み合わせて、先手を取りたい。
全員がアクションを終えると、手番順に2枚のうち1枚を新しいカードに差し替える。数字の高いカードを残しておきたいし、先手番も取りたいから悩ましい。さらに差し替えたカードは、手札が2枚だけになるか、回復アクションでないと回収できない。手札はどんどん減り、選択肢はなくなる。ここにほかの人の選択を見るという要素があり、悩みどころ満載である。
順調だったくさのまさんが急ブレーキ。後を追うcarlさんもあと一歩というところでストップした。場にお金で建てる建物しかないのに、お金を取るアクションカードも、それを回収するアクションカードも使い切ってしまっていたのが原因である。出遅れていた私は、回復アクションを使っていなかったので、1手番早く手札を回収できることになった。そこで場にたまったお金を一気に取って逆転。
手番数からいうと3人プレイの場合、たった10手番くらいしかない。でもその間に自分は何を建てられるのか、ほかの人が何を建てそうか、どのアクションがベストかをじっくり考えなければならない。たいへん濃密なゲームである。
Havana
R.シュタウペ作/エッガートシュピーレ(2009年)
2〜4人用/10歳以上/45分
インタラクションはもう古い?
今年のエッセンでは、多くのワーカープレイスメントゲームが人気を集めた。『ヴァスコダガマ』『エジツィア』『カーソンシティ』『オペラ』『ダンジョンロード』など、こんなに出てはこのシステムも使い古されるのではないかと心配になるほどの勢いである。
ワーカープレイスメントの元祖は『ケイラス』だとされているが、『ケイラス』の作者W.アティアは『プエルトリコ』にヒントを得たと言っている。『プエルトリコ』も、コマは配置しないけれども前に誰かが選んだ職業はもう選べないので、広義のワーカープレイスメントと言えるだろう。
『ケイラス』の影響を受けたと見られるゲームは『大聖堂』や『護民官』があるが、最もインパクトが大きかったのは『アグリコラ』だろう。作者のU.ローゼンベルクは『ケイラス』に刺激を受け、コマ数がだんだん増えるものにした。さらに選択肢を広げた『ルアーブル』も作られる。通常、ボードゲームの開発は1〜2年かかるというから、今秋にたくさん出たワーカープレイスメントゲームは、『アグリコラ』に影響を受けて作られたものと言えるだろう。
今回『ヴァスコダガマ』のルールを読んでいて、これはPCゲームに移植できそうなゲームだなと思った。ゲームのフローチャートが明確で、交渉や競りなど、手番中にほかのプレイヤーの選択をはさむところがないし、秘密のボーナス条件などの隠蔽情報もないからである。要するにパズルゲームなのである。
単にワーカープレイスメントがこの頃流行っているだけだという見方もできるだろうが、先日読んだオーストリアの記事で別の見方もあるのではないかと思うようになった。オーストリアゲーム大賞の審査委員長ダグマー・デ・カサン氏は、ここ近年ボードゲームのルールが複雑になり、イラストやコンポーネントが豪華になっている原因を「コンピュータゲームによってややこしい手順を理解できる世代が育ってきたこととも関係があります」と推測している。今、遊ぶ世代が変わりつつあるという指摘だ。
子供の頃からテレビゲームに慣れ親しんできた世代というと、世界的に35歳以下といったところか。おひとり様用の娯楽が充実し、その恩恵を受けてきた根っからの「シングルプレイヤー」(東京おもちゃ美術館・多田館長)である。この世代が複雑なルールを理解できるかどうかは分からないが、他人との関わりや、他人からの干渉を好まない傾向はありそうだ。
子どもが一緒に遊んでいるのに、背中を向けあって携帯ゲーム機で遊んでいる光景をよく目にする。それに対して大人は「何のために一緒にいるのか分からない」とコメントする。実は通信対戦しているのかもしれないけれど、目を合わせて会話することを必要とせずに、一緒にいて楽しめるのだ。対人で遊ぶボードゲームでも、その世代が好むゲームは、自然とインタラクションが薄めのものとなり、そこでワーカープレイスメントが格好のシステムになる。
もちろん、実際はワーカープレイスメントにもほかのプレイヤーとの絡みはある。上位プレイヤーを意識して行動するわけだし、ほかのプレイヤーのほしそうなものを読んで、自分もほしいなら先に取りに行かなければならない。だが少なくとも自分の手番中にほかの人が絡んでくることはないし(あれこれコメントすることはあるだろうが)、ほかの人が大ダメージを受けても自分だけの責任にならない。その程度の絡みを快適に感じる世代が増えているのではないか。
ワーカープレイスメントではないが、同じことは『ドミニオン』にも言える。ほかの人の行動を気にしないでひたすら自分の王国建設に専念できるし(それで勝てるかどうかは別として)、攻撃は特定の誰かを追い落とすというよりは無差別的に行われる。
かつては、インタラクションの多さはボードゲームの面白さのひとつの指標であった。ところがインタラクションが少ないほうが適度に感じる人の割合が増えている。自由に特定のプレイヤーを直接攻撃できるゲームは好きではないという人ならずとも、「インタラクションが多ければ多いほど面白いというわけではない」というのが今のひとつのトレンドを象徴する意見なのかもしれない。