Posted in 国産新作ゲーム

レンズ作成&キャラ育成『この天才科学者が首席になれないとでもいうんですか?』11月14日発売

konoten.jpgディライトワークスは11月14日、『この天才科学者が首席になれないとでもいうんですか?』を発売する。ゲームデザイン・BakaFire、2~4人用、14歳以上、60~120分、価格未定。
『Dominate Grail War -Fate/stay night on Board Game-』に続くディライトワークスとBakaFireの共同制作ボードゲーム。ゲームマーケット2020春に発表を予定していたが中止となったため、延期しての新発売となる。光からエネルギーを生み出す「超光学」と呼ばれる科学が発展した世界の学院で、天才科学者たちが首席を目指して研究の成果を競い合う。
透明なカードを重ねて組み合わせることで、エネルギーを生み出すレンズを作成して新エネルギーを発見し、そこから得られる勝利点を稼ぐ。キャラクターを育成することで能力が増え、より多くの勝利点を生み出せるようになる。
個性豊かな性格・能力をもつ6名のキャラクターが登場し、各キャラクターの性格や背景がわかるラノベ風ストーリーも収録。世界観を楽しみながらプレイできるようになっている。

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山形新聞連載コラム(9):海外の視点で魅力を再発見

9月13日の日曜随想掲載分。前回はこちら
 今年7月、酒田にボードゲームカフェバー「シェ・ピエール」がオープンしたので足を運んでみた。「中通り商店街」というアーケード街の一角で、以前は靴屋だったというが、まるで昔からあったように周囲に溶け込んでいる。『オセロ』や昭和時代のボードゲームが陳列されており、店内では山口百恵のレコードがかけられていたからだろう。
 昭和時代をこよなく愛する店主ピエール・ガンバリーニ氏はフランス出身で、通訳の仕事で酒田の方と知り合いになり、すっかり気に入って3年前から日本人の奥様と一緒に酒田に住んでいる。南フランスの故郷と同じ港町であること、居酒屋でよそから来た人に気軽に話しかけてくる商人の町であること、そして広大な庄内平野からもたらされる美味しい米の町であることがミックスして好きになったという。
 ピエール氏は北庄内の観光ガイドも務めており、即身仏が2体鎮座する海向寺や、遊佐の十六羅漢などを案内してもらった。夕食をとった屋台村「北前横丁」、宿泊した若葉旅館(日曜随想の別の回を担当している矢野慶汰氏の宿)も全部、ピエール氏の紹介である。本間家と北前船の西廻りルートについて英語交じりに説明してもらったのは非常に新鮮で、まるで海外旅行をしているような気持ちになった。
 フランス人ボードゲームデザイナーのアントワン・ボザ氏はピエール氏と同年代で、毎年のように来日し、日本をテーマにしたゲームを数多く発表している。協力して色とりどりの大玉を打ち上げる『花火』、料理や景色を楽しみながら京都から江戸まで旅する『東海道』、渋谷のスクランブル交差点を車にはねられないように渡る『外人ダッシュ!!』、人気コミックをゲーム化した『進撃の巨人ボードゲーム』など、日本を知悉していることに驚く。近年、ヨーロッパでは日本をテーマにしたボードゲームが数多く発売されているが、その多くはエドワード・サイードが批判したオリエンタリズム(空想的な異国趣味)の域を出ていないのとは対照的だ。
 日本から見たフランスはファッションとグルメの国だが、フランスはヨーロッパ随一のアニメ・マンガ好きな国である。2000年からパリで毎年開かれている日本文化の総合博覧会「ジャパンエキスポ」は4日間で24万人が訪れている。その原因は70~80年代に盛んに放送された日本のアニメで、ピエール氏も子供の頃、『鉄腕アトム』を日本のアニメと知らないで見ていたという。アニメやマンガから日本に興味を持ち、日本語を学び、日本の伝統文化に親しむようになり、中には日本に移住する人まで出てくるというわけだ。
 もうひとり、フランス人ボードゲームデザイナーのブルーノ・フェデュッティ氏は早くから日本のボードゲームに着目してきた。日本で作られたボードゲームは箱が小さく、最小限のシンプルなルールで遊べるところが、欧米と異なる「禅的な美しさ」をもつという。例えば世界的にヒットした『ラブレター』というカードゲームは、たった16枚のカードで遊ぶ。その理由としては「禅庭や夏目漱石、川端康成の短編小説とつい結びつけたくなってしまうが、実際のところは人口密度が高く、都市化した国で住宅のサイズが小さいのが原因だろう」と分析している。
 日本をテーマにしたボードゲームや、海外で高く評価された日本発のボードゲームを遊ぶと、海外のボードゲームデザイナーや愛好者が日本に向ける眼差しを感じ取ることができる。それは私たち日本に住む者にとってごく当たり前になってしまっている歴史文化の再発見でもある。そのような視点でもう一度周囲を見回すと、身の回りのあらゆるものが新しい。