ゲームマーケット2000体験記
とにかく感動しました.
トレーディングカードゲームは隆盛を迎えているものの,テーブルゲームというとまだマイナーな趣味だと思っていました.ところが,10:30の開場時には会場の8Fから1Fまでの階段にずっと行列ができ,開場すると会場は人でびっしり.ゲームは新品中古ともに飛ぶように売れて,すぐ売り切れ.12時にはパンフレットがなくなり満員御礼となりました.
メビウス(東京),シュピーレブルク(ゲームサークル桃源郷として・大阪),バネスト(名古屋),プレイスペース広島という日本を代表するゲーム屋さんが並んで出店.ドイツのゲーム祭以外で4人の店長の顔を一度に見られるのは,この時だけかもしれません.
創作ゲームも充実.もちろん今はドイツ天下であることは誰でも認めるでしょうが,日本人の心にしっくりくるゲームがほしいのも事実.エジプトや中世ヨーロッパのゲームよりも,日本のシチュエーションを加味したゲームの方が,感情移入がしやすいのです.こうして優れた楽しいゲームが作られていけば,日本も決してドイツに劣ることはないのだと思いました.(今回,骨折ゲームズを真っ先にチェックしておかなかったのが失敗.面白そうなゲームがあったのですが,あっという間に売り切れていました)
今回の一番の収穫は,プレイスペース広島のブースにありました.ノイエの広告で知っていたのですが,ワープロだけの地味な広告だったのでこれまであまり注目していませんでした.メビウスとは少々趣の異なる品揃えで,メビウス通いの私にはとても新鮮な渋いゲームが並んでいます.東京に住んでいると,大阪まで行くことはあってもなかなか広島までは行けません.店長もとっても親切で,ゲームをこよなく愛する人だという感じが伝わってきます.ニュルンベルクカタンを注文しました.限定版ですが果たして手に入るでしょうか?
関係者・スタッフの方々の苦労はたいへんなものだったと思いますが,おかげで感動と満足の1日を送ることができました.そして,今後も定期的に同じような催しが行われ,それに従って日本でテーブルゲームが次第にメジャーになっていくことを確信しました.
管理人のプロフィール
ボードゲーム歴
小学生のときに人生ゲーム・パーティージョイなどの国産ボードゲームを遊ぶ。トランプではページワン、ババ抜き、神経衰弱の3つを家族とよく遊んだ。小学校では将棋クラブに入っていたが全く上達せず。しかしそれ以降ファミコンブームにのみ込まれて大学時代まで遠ざかる(TRPG、シミュレーション、TCGとは縁なし)。麻雀は中三で覚えたが、大学に入ってからはタバコの煙が嫌いという理由からあまりする機会がなくなった。
93年、飲み飽きた(もともとそんなに飲めなかった)学生寮の飲み友達と長い夜の暇つぶしのため、東急ハンズで買ってきたバックギャモンに興じたところから、急速にボードゲーム熱が再燃。東急ハンズで次々とゲームを買っては遊ぶようになる(『グラス』、『エドカ』、『はなまる作文ゲーム』などのカードゲームが多かった)。
94年にアパートに引っ越すと、サークル(オーケストラ)の練習後、友人や後輩たちを自宅に招いてよく徹夜でゲームをした。これがなかなか好評で、以来週1回程度ゲームするようになる。ゲームの購入先も東急ハンズでは飽き足らなくなり、後輩が持ってきた『ザ・ゲームカタログ(JAGA監修)』を頼りに奥野かるた店(神保町)、ポストホビー(代々木)、博品館(銀座)などを訪ね歩く(六本木のプレイシングスはすでになかった)。そのうち奥野かるた店の品揃えに目をつけ、2階(改装前だった)で埃をかぶった安め(3000円程度)のボードゲームを買い漁る(『世界のスパイス』、『アンチモノポリー』など)。このウェブサイトの最初は、この段階で作られている(情報がほとんどなくて開店休業状態だったが)。
96年、大学院に進んでからも自宅で友人や後輩とゲームをする習慣は続いた。そんなある時(97年頃だったと思う)奥野かるた店で『カタンの開拓者たち』(トライソフト版)を購入。これがドイツゲームとの最初の出会いだったと思う。ドイツゲームは値段が高い(4000~5000円位)ので敬遠していたが、「六角形タイルはルールが複雑」という先入観を打ち壊して面白かったこのゲーム以来、ドイツゲームに急速に入れ込むと共に、ウェブサイトで海外の情報を翻訳して発信するようになる。
さらに奥野かるた店で『ミニスター』を購入したときに、日本語訳にメビウスゲームズの住所を発見。早速神保町から九段下(当時)へと向かう。クリーニング客の絶えない(当時)メビウスに足を運んだ最初だった。値段が高いゲームが置いてあるというのが第一印象。
こうしてメビウスゲームズのお世話になりながら1996~2000年ころまでの5年間は月に1度くらい、主に土日の午後に自宅ゲーム会を続ける。メンバー不足の悩みもあったが、サークル(オーケストラなのに…)に入ってくる後輩や時には同じ学科の友人・後輩まで次々と誘い入れるという方法で何とか集めていた。最も多く遊んだのは『カタンの開拓者たち』であり、あとは『ファミリービジネス』、『じゅうたん商人』、『ボーナンザ』、『ニムト』などの値段の安いカードゲームが中心だった。この時期は前情報なしで闇雲に購入することが多く、ルール理解が追いつけないものも大きかった。「ボードゲームに面白いものなし」(カードゲームのほうが面白い)という格言が流行りそうになったのはこの時である。
99~2000年頃になると、勇気を出して値段の高いボードゲーム(『原始スープ』など)にも手を出してみる。時期も時期、『カタンの開拓者たち』に続くハイレベルなユーロゲームが続々入荷していたことと、ゲーム同人誌『ノイエ』の刊行によって情報が総括的に手に入れられるようになったことから、下調べをきちんとして楽しいゲームをたくさん手に入れることができた。やがてインターネットを通じて国内のゲームショップ(名古屋ゲームストアバネスト、プレイスペース広島、シュピーレブルク(閉店)、イエローサブマリン)も知り、メビウスゲームズにない場合はこれらのショップで探し求めるようになる。山形ではビーゲームズ(今はない)も1度だけ訪れた。この時期からドイツのサイトも見るようになり、ドイツ語の練習もかねてカタンの開拓者たちのヴァリアントルール翻訳を中心にホームページの更新を再開。
2001年春、入籍して茨城県に引っ越す。200ほどのゲームは引越しの荷物の大きな部分を占めた。後輩も就職するなどして今までのゲーム仲間と疎遠になったのをきっかけに、インターネットで同志を探す。幸いなことにIGAの康さん、わんこさん&にゃんとろさん、YBGCのmuraさん、のごさん、かゆかゆさん、鷹村ナクトさん、moonさん、ふうかさん&karokuさんなどと知り合い、メンツに困らないどころか、ゲームをする機会はむしろ増えた。国内におけるドイツゲームのニュースサイトが少ないという事情から、ニュースサイトとしてのホームページ更新も意識し始める。また、海外から個人輸入も行い、宝探しのような気持ちでゲームショップに入荷されなさそうなマイナーなゲームを入手するようになった。
2002年、IGAの米出さんと共同で『トイプラス』という同人誌を製作、ゲームマーケットで頒布する。すでに途絶えていた『ノイエ』と途絶えがちだった『バンプレス』に代わる新たなゲーム雑誌をめざしたのでは決してなく、ゲームマーケットで米出さんが自作ゲームを販売するというのでおまけ程度というつもりで作った。2人と親交のあったのごさん、神尾さん、わんこさん、たかのさん、しゅうさんから寄稿を頂き、とても密度の濃い本ができあがった。この時期のゲームシーンを収録しておくことと、ウェブでは言い足りないことをじっくり読んでもらうことができたと思う。
その年のゲームマーケットにて、オフィス新大陸の坂本犬之介さんと知り合いになる。ゲーム書籍『ボードゲーム天国』(『ボードゲームキングダム』の前身)を作っているので力を貸してほしいと頼まれ、好き放題なことを言いつつ、ウェブやドイツの知り合いから得た情報をもとに「ドイツゲーム事情」という記事を書いた。自分の中でも整理したいと思っていたところなのでよい機会になった。また、取材協力という名目で、2002年に初めてドイツ・エッセンのボードゲームメッセ「シュピール」行きを果たす。著名なデザイナーとお話したり、ドイツの家族が普通にゲームを遊んでいるのを見たりして、大きな知見と感動を得た。このとき、プレスパスを発行するための申請書で「フリーのボードゲームジャーナリスト」という欄に印をつけたのがきっかけで、ボードゲームジャーナリストを名乗り始める。
エッセンでは『ノイエ』の中心メンバーであった大阪の一階良知さんと知り合う。エッセンの居酒屋にて、新しく立ち上げるボードゲーム普及団体の構想を聞かせてもらう。やがてこの団体は翌年、「ゆうもあ」と名乗りNPOの認証を受け、私は理事として参加することになった。かねてからの夢であった日本ボードゲーム大賞の選定作業に関わる(2011年まで)。2004年に2回目のエッセン・シュピール行きを果たし(インド留学中だったのでムンバイからパリ経由)、そこでも「ゆうもあ」の情報誌『シュピール』の取材として第一線の関係者にインタビューできた。
2005年夏、Merryniceさんのお誘いで流行のミクシィに入る。これによって愛好者の輪がぐんと広がった。そのひとつとして2006年、健部伸明さんとの交流がもとでヤポンブランドに携わった。もともとゲームマーケットなどで活躍している日本人デザイナーを海外に紹介できたらと思っていたので、ルールやゲーム紹介のドイツ語訳やウェブページの作成など、後方支援を行う。それで2006年、3回目のシュピール行きを果たす。これが縁で仲間もぐんと増えた。シュピールには2008年から毎年参加し、ふうかさんたちと同行している。
2007年にはグランペールの山上新介さんからの打診で『ドイツゲームでしょう!』を発刊。ドイツの主要なボードゲーム賞の受賞全作品をレビューするという欲張りな企画で、ウェブのレポートから加筆修正していったにも関わらず執筆に1年半を要した。おかげさまで発行した700部は1年足らず、2008年版1200部も1年半で売り切れ、最新は2010年版である。
2013年、スモール出版の中村孝司さんからの打診で『ボードゲームワールド』を発刊。これまでにない切り口で10のテーマを用意し、それぞれ10タイトルずつボードゲームを紹介するという内容で、さらにコラム、ボードゲーマー名鑑、座談会も盛り込んで執筆に1年近くを要した。コラムは『ゲームリンク』および『ボードゲームナビ』の連載を加筆修正。ブックデザインはオインクゲームズの佐々木隼さんに担当して頂いた。
2014年から、ゲームマーケットで発表された作品を顕彰するゲームマーケット大賞が立ち上がり、当サイトで新作評価アンケートを行っていたのが縁で草場純さん、秋山真琴さん、朱鷺田祐介さん、ふうかさんと共に審査員を務める(2019年まで)。
2015年9月、『タモリ倶楽部』の「同人アナログゲーム」特集に紹介役として出演。
2015年、エッセンに同行していたふうかさんのブログ開設10周年を記念して同人誌『ボードゲームナーナリスト(笑)が、行く!!』を刊行し、秋のゲームマーケットで頒布する。このとき国内外のボードゲーム業界人にインタビューを行った。その中のひとりG.シュレッサーさん(アメリカ)が国際ゲーマーズ賞(International Gamers Award)の審査員長を務めており、このインタビューをきっかけに同賞の審査員の就任を打診され、アジア初かつ唯一の審査員となった。選考はメーリングリストで行い、エッセンで開かれる授賞式に出席している。
2016年には地元の愛好者と「やまがたボードゲーム協会」を立ち上げ、山形県南部を中心に放課後学童保育、子ども育成会、老人会や、公民館などでの各種イベントで普及活動をスタート。婚活や街づくりにもボードゲームを活用し、テレビや新聞で取り上げられた。この年、「第1回東北ボードゲームフリーマーケット」を地元で開催。
2017年、コミック誌『電撃大王』にて連載が始まったボードゲームコミック『遊びたがりの霧生(きりゅう)さん』でコラムを担当したが、作者の体調不良により第1回だけで休載。
2018年には、翻訳書『ボードゲームデザイナーガイドブック』をスモール出版より刊行。著者のT.ヴェルネックさん(ドイツ)はドイツ年間ゲーム大賞の設立メンバーで、日本ボードゲーム大賞の立ち上げ時から情報を交換して以来、毎年エッセンで会っている。彼の運営する「バイエルン・ボードゲームアーカイブ」に見学に行ったこともある。内容は、ボードゲームのデザインから出版社への持ち込みまで実践方法が具体的に書かれている。
2020年には2冊目の翻訳書『ゲームメカニクス大全』を翔泳社より刊行。英語の原著が国内で話題だったことから、すごろくやさん経由で翻訳の依頼がきた。600ページ以上ある大著だったが、コロナ禍のステイホームのおかげで翻訳が捗り、10ヶ月ほどで発刊。内容は、ボードゲームで用いられているメカニクス184を分類し、実例を交えながら解説したもの。ボードゲーム制作者だけでなく、プレイ専門の愛好者、さらにはデジタルゲームの研究者からも注目され、技術書としては好調な売れ行きで、2023年には増補改訂の第2版も発売された。
河上拓さんの依頼で、ムック本『ボクらの玩具』(晋遊舎、2012年)『グッとくる超雑貨』(徳間書店、2013年)や、学研の月刊誌『GetNavi』などのボードゲーム特集、価格コムマガジン(ウェブ、2019年)などで原稿を執筆したりインタビューに答えたりしてきたが、2021年にはセブンイレブン限定のムック『おとなが愉しむ ボードゲームの世界』(ぴあMOOK)でボードゲーム賞やボードゲームデザイナーの記事を担当。その続編となる『本当に面白いボードゲームの世界』(太田出版、2022年~)でも解説やレビュー記事を執筆している。
朝戸一聖さんの企画から2023年、ゴールデンボックス賞が設立された。国産ゲームを中心に制作者にフォーカスして優れた活動を称える賞で、有志のクリエーターが投票で選ぶ。この賞の運営メンバーに、上杉真人さん、田中誠さん、杉木貴文さん、秋山真琴さんと共に翻訳者として参加している。
2019年、評論家の與那覇潤氏と河出書房新社からの声がけで一般向けの書籍を執筆する企画が浮上。4年間にわたる試行錯誤の末、精神科デイケアや仏教の視点も取り入れた新書『ボードゲームで社会が変わる』を河出新書から共著刊行。與那覇さんの知り合いの学者さんたちが実際にボードゲームを遊んで専門的な見地からコメントした。
現在、山形県長井市の禅寺に住職として在住。神尾さん、鴉さん、bashiさん、hataさん、carlさんなど、県内及び隣県から仲間をお招きして自宅ゲーム会を楽しんでいる。妻と子供たちとはめったに遊ばない。購入は未知のゲームを海外から個人輸入、遊んでみてとても気に入ったゲームは邦訳付を国内で購入ということにしているが、遊ぶ見込みがなさそうなものは購入を控え、もう遊ばなさそうなものは手放すなどしてコレクターにならないように気をつけている。またゲームとは関係のない旧友に招待したりされたり招待した時にも、状況に応じて選んだゲームを紹介することもある。思わぬ強者が現れたりして楽しい。
ルール翻訳
アイスクリーム、ウォリアーズ、ウォリアーズ拡張1、スルース、ブームタウン、ラインレンダー(以上アメリカ・Face 2 Face Games)、パラディン、ワズバラズ、ファブフィブ、カサノバ(以上イタリア・Kidult Games)、アグリコラ、同泥沼からの出発、同プレミアムグッズ、同じ世界選手権デッキ、同牧場の動物たち、同牧場にもっと建物を、同さらに牧場にもっと建物を、ル・アーブル、同内陸港、ザヴァンドールの鉱山、祈り働け、カヴェルナ、洛陽の門にて、ファウナ、グラフィティ、なんてったってホノルル、村の人生、同酒場、同港町、ポートロイヤル、ノヴァルナ、ヌースフィヨルド、ハラータウ(以上ホビージャパン)、カタンの開拓者たち、同航海者版、同カードゲーム、同探検者と海賊版、同都市と騎士版、同宇宙版、ウボンゴ、ツィクスト、ザ・クルー(以上ジーピー)、テレストレーション、私の世界の見方(以上テンデイズゲームズ)、コーヒーロースター、ゲットオンボード(以上Saashi&Saashi)。ホビージャパン、メビウスゲームズ、ゲームストア・バネスト、テンデイズゲームズからの輸入版多数。主にドイツ語からの翻訳が多い。
好き嫌い・得手不得手
建設や育成など、進度がわかりやすい生産的なゲームが好き。カードゲームならば一か八かという博打の要素があるゲームを好む。一方、紙幣(と株券)を扱うゲームは概して苦手。陣取り系は、全部を見渡すと目が疲れるので敬遠気味。ルールはできるだけ簡単で、かつ奥が深いというのが理想。好きなデザイナはドラ、ローゼンベルク、クニツィアなど。アブストラクト(運の要素がない完全公開型2人ゲーム、将棋・囲碁系)は嫌いではないが、多人数の場合にはダイスを用いるなど運の要素が入ったゲームを好む。妻は縦横のマス目があるゲームが好み。
信条
ミスしてもいいから早打ち。自分が待つのはそうでもないが、人を待たせることにはストレスを感じる。あと勝敗に拘泥しないこと(勝負を簡単に捨てるという意味ではない)。プレイ外では、ゲームの衝動買いをしないこと。