『ボードゲーム・ジャンクション』からわずか1年、安田均氏とグループSNEによるボードゲーム紹介本が刊行された。2010年シーズン限定の新作紹介で1冊作ってしまうとは実に意欲的だし、それだけ国内のボードゲームシーンが盛り上がっているということだろう。
176ページで100タイトル以上を紹介した『ボードゲーム・ジャンクション』に対し、今回は80ページで50タイトルとなっており、分量は絞られているものの、一部の同人・国産ゲームを除きほとんどが入手可能なのがうれしい。ボードゲームの寿命は近年どんどん短くなっているので、過去1年限定にしたのは正解だった。
構成は安田均氏によるゲーム紹介、秋口ぎぐる氏によるリプレイ、笠井道子氏によるライトゲーム紹介で、さらに秋口ぎぐる氏が「日本の同人ボードゲームが熱い!」と題して国産ゲームを多数紹介している。丁寧で分かりやすかった江川晃氏のレビューは、同氏がお亡くなりになったためもう読むことができない。つくづく残念なことである。
三者三様で読み応えがあるが、特に秋口ぎぐる氏のリプレイは1タイトルに5〜6ページをかけた渾身の作品。「おれの初期配置は108番、リモージュだ。フランス中部の都市だな。」(『ミスターX』)なんて、始めから引き込まれる。最後に収録されている「ボードゲーム大好き座談会」もざっくばらんで楽しそう。
安田氏は、2010年の総括として、インターナショナル性、デッキ構築型などのカード重視、ワーカープレイスメントからの発展の3つの流れを指摘する。ワーカープレイスメントについては、『プエルトリコ』で明確にその指向性が打ち出され、ドイツゲームがシビアで複雑化している一因となっているという。
ワーカープレイスメントは一般的に『ケイラス』が元祖とされているが、作者W.アティアはインタビューで『プエルトリコ』を参考にしたことを述べている。一方、てらしま氏のように、ワーカープレイスメントによって複雑なゲームを容易に習得できるという意見もある(ワーカープレイスメントの魔法)。また、私はワーカープレイスメントは2009年度の一時的な流行という認識であるが、安田氏の意見から、議論がさらに深まりそうだ。
また、「同人ボードゲーム」がどこまでを含むかというところも考えさせられる。秋口氏は「大手のゲーム会社を通さず、個人によって制作・販売が行われているアナログゲーム全般」を同人と呼ぶ一方で会社組織による作品は別という認識を示す。実際、会社組織といっても実質的に個人だったり、アマゾンなどで一般流通していたりして境界線を引くのは難しい。私は「同人」というと、個人またはサークルの「趣味」で作られ、原則イベント売り切りというものを思い浮かべるが、どうだろうか。
最後に、「邦題は流通しているものに」について、今回も配慮されていなかったのは残念である。これでは、購入したいと思ってネットで検索しても探せない。原稿執筆時点では未発売のものもあったかもしれないが、いずれも発売後1ヶ月以上経っており、変更は可能だったはず。独自の邦題をつけるのは第一人者の自負なのか分からないが、読者の利便を優先してほしい。以下、検索用に対応表を載せておく。
オートモビール→オートモービル(バネスト、テンデイズほか)
アローザ・ホテルの殺人→アロザ殺人事件(メビウス)
ディスカバー・インド→ディスカバーインディア(メビウス)
スノーテイルズ→雪国物語(ホビージャパン。※バネストではスノーテイルズ)
夜の狩人→シャドーハンターズ(メビウス)
トリックテイキング名人→トリックマイスター(メビウス)
初めまして。いつも楽しく拝見させていただいています。
問屋毎に邦題が異なると、検索するタイトル毎で、必然、上位にくる問屋が異なりますよね。
そんなことを考えると、邦題をあえて異ならせているのではないかと訝しんでしまいます。
そのような意味で、何か釈然としない問題だなと思いました。
初めまして。いつも拝見させて頂いております。
さて、「ズーロレット」等のデザイナーは「シャハト」として定着していたように思うのですが、こちらのサイトや「ドイツゲームでしょう」では「シャフト」となっていますよね。また Spiel des Jahres も、私の知る限りでは、少なくとも90年代半ば頃までは「ドイツゲーム大賞」と呼ばれることが多かったように思いますが、こちらでは「ドイツ年間ゲーム大賞」と呼ばれています。これも「第一人者の自負」なのでしょうか。率直に申しまして、一般ゲーマーを混乱させるという点では貴殿も安田氏と大差ないように思うのですが。
また「流通しているもの」とおっしゃいますが、それは「流通している邦題は統一されている」ことを前提としていますよね。かつての「メビウスの邦題=流通している邦題」という時代ならともかく、これほど様々なゲームショップが現れ、その多くが直輸入してショップごとに邦訳を付けている時代となってきているのですから、今後さまざまな邦題が統一されずに流通していくことも考えられます。そうなった場合、私のような一般ゲーマーはどのショップの付けた邦題で呼べばいいのでしょうか。
>てんきゅーさん
コメントありがとうございます。
邦題の統一可能性については、かつてボードゲームシンポジウムで議論したことがあります。登録商標がなければ問題はないわけですが、翻訳権という時代の名残で、先行販売しているショップに遠慮して、別の邦題をつけるということもあるようです。ほかにも、新作であることを強調するためや、売りやすいタイトルにするため、あるいは単に先行販売されていることを知らないとかで、別の邦題にするというケースもあるでしょう。いろんな事情があるものですし、売る側の自由でもあるでしょうけれど、間違えて同じものを2つ買ってしまうことにもなりかねません。買う側の混乱を避けるべく、できれば統一して(先行販売されたものに合わせて)ほしいものです。
>tempestさん
ご意見をお寄せいただきありがとうございます。
当サイトでは、原則として一般流通している邦題をできるだけ用いることにしています。エッセンやニュルンベルクの新作情報では、国内未発売の場合のみ、試訳をします。
「シャフト」は実験的な表記です。メビウス便のレポートを投稿して頂いているストーンRさんが、実際に本人に確認してきたというので一時的に変えてみましたが、「シャハト」に戻すかもしれません。
「ドイツ年間ゲーム大賞」は、ボードゲーム定期情報誌『ノイエ』に準じております。インターネットで情報手に入れられなかった90年代半ばまで、どんな呼称が一般的だったのかは寡聞にして存じませんが、私のオリジナルではないということをご理解いただければと思います。
流通している邦題は統一されていることが望ましいとは思いますが、統一されていることを前提にしなくても、流通している邦題を1つ選ぶことはできます。ゆうもあでは、公平を期すべく、お店によって邦題が異なる場合、調べられる限り全部を併記することにしています。Rüsselbandeを『すすめコブタくん/コブタのかけっこ/こぶたのレース/ラッセルバンデ/子豚のレインボーレース』と書いているのはその最たる例です。サイトや雑誌などではそこまでしなくても、気に入ったものを1つ選べばよいと思います。ここでは、すでに発売されているのに、どのお店でも用いられていない邦題をつけるはいかがなものかということを述べました。
ご回答ありがとうございます。しかしまだ釈然としません。
安田氏は国内ゲームショップのいかなる邦題とも異なったタイトルを独自に付けておられる。貴殿は、安田氏同様ゲームショップではないけれども、すでに十分に流通・定着していると考えられる「シャハト」という名前をあえて「シャフト」と表記しておられる。私には同じことのように思われるのですが、貴殿は安田氏を強く非難し、あまつさえ「第一人者の自負なのか分からないが」と揶揄しておられる。なぜそこまでおっしゃるのか私には理解できません。
貴殿があえて「シャフト」「ドイツ年間ゲーム大賞」と表記されるのにはそれなりに理由があり、そして何よりも貴殿の信念がおありだからだろうというのは理解できます。「当サイトでは、原則として一般流通している邦題をできるだけ用いることにしてい」らっしゃるというのも貴殿の信念に基づくこととして理解できます。それと同様に安田氏が独自の邦題を付けておられるのも、安田氏なりの理由と信念に基づくものであるはずです。なぜ貴殿は、己の信念は貫き通すのに、他者の信念には不寛容なのでしょうか。
前回・今回の発言で誤解されてしまったかもしれませんが、実は私個人は「邦題は各ゲームショップがそれぞれに工夫すればいいし、個人が独自の邦題を付けてもよい」と考えております。邦題の統一を目指すよりも、邦題に原題を書き添える習慣を定着させる方がいいと考えております(これはこれでいろいろと問題もあるでしょうが)。こう考える理由は、ゲームショップの邦題があまりにもひどいことが多いからです。Rüsselbandeを「ラッセルバンデ」とは耐え難いものがありますし、「トリックマイスター」なんて英語ドイツ語ごちゃまぜのタイトルを見ると吐き気がします。「あやつり人形」なんて意味不明な訳もいまだに好きになれません。その点「トリックテイキング名人」は、いい訳だとは全く思いませんが、まだマシだと感じます。我々はゲームショップ様の下賜されるご邦題をありがたく頂戴せねばならないのでしょうか。よりよい邦題を求める権利は認められないのでしょうか。
貴殿が「それでも統一の方が大切」とおっしゃるのなら、それはそれで理解できます。少なくとも私はその意見を尊重致します。しかしそれならばなぜ貴殿はあえて「シャフト」と、統一を乱すような表記をなさるのですか。「知り合いが本人に確認した」というのは理由になっていません。「それでも統一の方が大切」のはずなのですから。また「実験的な表記」が理由として通るのなら、安田氏も「実験的な邦題」をお付けになっただけと考えるべきで、「第一人者の自負なのか分からないが」と揶揄されるいわれはないように思います。いかがでしょうか。
信念とか不寛容というほどこだわってはおりませんが、カタログ本として興味をもった読者が購入することを想定している(p.17)のであれば、特に邦題については読者が検索ですぐ見つけられるよう、利便をはかったほうがいいのではないかという意見です。
訳語は個人個人で工夫すればよいというのは私も賛成です。たとえ人口に膾炙していても、多角的な観点から検討や議論をして、よりよい訳語を求めて見直したり、そこまで大げさでなくても、個人的な趣味で呼び方を変えたりしてもしてもよいと思います。当サイトでも、原則としては一般流通しているものを用いますが、時折見直しを行います。「シャフト」は、これにあたります。「シャハト」とて、十分に流通・定着しているとは思っておりません。
でもカタログ本かつタイトルとなると、事情が異なります。全くボードゲームのことを知らない人が手に取って、購入先として紹介されているアークライトとアマゾンのサイトや、グーグルなどから、「夜の狩人」と検索したりするわけです。そして検索結果に出てこなくて「日本では流通していないんだな」と諦める。でも実際は訳付きで入手できるわけで、もったいない話です。
もしかしたらオリジナルの邦題タイトルが広まって、その邦題で売るお店が出てくるかもしれませんが、今のサイクルでは、その前に絶版になってしまう可能性のほうが高いでしょう。それよりも、ボードゲームの知識がない人でも、アイテムにダイレクトにアクセスできるようにしたほうが、カタログ本としては成功といえます。
ですのでカタログ本の邦題だけは、理由や信念や実験や趣味などはさておいても、現行で流通しているものにしたほうが親切なのではないか、というのが私の意見です。
一方、デザイナー名や、メーカー名(『ボードゲームストリート』では原語のままですが)の表記は揺れがあって問題ないと思います。カタカナでは再現できない発音が多く、ネットでも一般的な表記が固まっていない場合が多いですね。こちらは時間をかけて、ベターなものを検討する時間があります。
おのさんの意見に賛成です。
確かにtempestさんの言われる事も解りますが、今回のことに関しては「ボードゲーム初心者」を対象にしたカタログ本の場合は一般的に流通している名称にした方がいいと思います。
自分自身もちょうどボドゲを始めた頃に『ボードゲームジャンクション』を購入して、内容を含め大変参考になったのですが・・・
ケルト→ケルティス
ブクブク→沈んだ世界
オイ、それはオレの魚だぜ→ペンギン
バサリ→バザーリ
キーラルゴ→キーラーゴ
テーベの東→テーベ
となっていたので検索のときにちょっと戸惑ったんですよね^^;
自身のブログなどでは独自の名称でもいいとは思いますが、これからボードゲームを始めようとする初心者を対象とした【カタログ】であるならば、やはり最も流通している名前にするべきだと思います。
もしくは、原題とともに調べられるだけの全ての邦題を記載する方が良いでしょうね。その方が利用者にとってはありがたいですから。
こんにちは。play:gameデータベースというボードゲームのデータベースを運営している一人として、カタカナ表記には敏感になっています。データベース側としては、やはり検索でひっかかるということが前提なので、もっとも使われている邦題やカタカナ表記を使うことにしています。それ以外にも別タイトルも加えられますが、表に出るのは今の仕様では1ゲームにつき1タイトルだけなので。原題の併記もそれなりに役に立っていると思います。
安田氏のタイトルは独自のものなので、実際この本を元に特定のゲームの情報をインターネットなどで探すと、かなり大変だと思います。なるべく既に出ているタイトルにあわせて欲しいとは自分も思いますが、安田氏には自分のポリシーがあるのかもしれません。このあたりは本人に聞いてみたい所です。
おのさんの「シャフト」表記については疑問が残ります。インターネットやお店などでも「シャハト」がほぼすべてで「シャフト」表記は見たことがありません。おのさんの「ドイツゲームでしょう」の新版で「シャハト」が「シャフト」に変えられていたことには正直驚きました。実験的と言いますが、混乱を招くだけだと思います。
「ストーンRさんが、実際に本人に確認してきた」とありますが、元来カタカナでの表記は近似に過ぎないものなのに正しいも間違いもありません。流通している表記が一番メリットがあると思います。おのさんがそう思っているのならば次からは「シャハト」表記にするべきなのではないでしょうか。
こんにちは。play:gameデータベースというボードゲームのデータベースを運営している一人として、カタカナ表記には敏感になっています。データベース側としては、やはり検索でひっかかるということが前提なので、もっとも使われている邦題やカタカナ表記を使うことにしています。それ以外にも別タイトルも加えられますが、表に出るのは今の仕様では1ゲームにつき1タイトルだけなので。原題の併記もそれなりに役に立っていると思います。
安田氏のタイトルは独自のものなので、実際この本を元に特定のゲームの情報をインターネットなどで探すと、かなり大変だと思います。なるべく既に出ているタイトルにあわせて欲しいとは自分も思いますが、安田氏には自分のポリシーがあるのかもしれません。このあたりは本人に聞いてみたい所です。
おのさんの「シャフト」表記については疑問が残ります。インターネットやお店などでも「シャハト」がほぼすべてで「シャフト」表記は見たことがありません。おのさんの「ドイツゲームでしょう」の新版で「シャハト」が「シャフト」に変えられていたことには正直驚きました。実験的と言いますが、混乱を招くだけだと思います。
「ストーンRさんが、実際に本人に確認してきた」とありますが、元来カタカナでの表記は近似に過ぎないものなのに正しいも間違いもありません。流通している表記が一番メリットがあると思います。おのさんがそう思っているのならば次からは「シャハト」表記にするべきなのではないでしょうか。
“シャフト”と聞いてしゃしゃり出て参りました(笑)
私が初めてエッセン・シュピールに行った2008年、本人に会った時のことです。私は「ミヒャエル・シャハトさんですか?」と尋ねたところ、彼は戸惑いつつも「私の名前はシャハトではなく、シャフト」と答えました。「シャフト?」と確認したところ、「Yes,シャフト」と答えが帰ってきたのです。
仲良くしている中古ブースのドイツ人のおじさんたちに発音を確認しましたが、皆「シャフト」と発音していました。
因に、2003年刊行の「ボードゲーム天国01」では、p.005と079に「ミヒャエル・シャフト」と表記されています。
また「ゲームリンク vol.4」で健部伸明氏が「やぽんぶらんど通信」においても、「シャハトじゃなくて、シャフトだよ、シャフト」とアバクスのスタッフに訂正されたエピソードが記載されています。
けがわさんがご指摘する通り、外国の固有名称を正確なカタカナにすること自体には限界があるところは同感です。しかし、本人から訂正を促される表記が普及してしまうのは、いかがなものでしょうか。
日本におけるボードゲーム人口がさらに増加し、どんどんと普及している現在だけに、検索時の弊害は頭の痛い問題ではありますが、修正できるものは修正できる柔軟性が必要だと私は考えます。
おの様、ボドゲ歴1年様
お二人のお考えはよく理解できますし、私の考え方と一致しない点も一部あるにせよ、前回も述べたとおり私はお二方のお考えも尊重致します。人によって考え方が異なるのはむしろ自然なことだと思いますし。(「信念」という言葉が大げさすぎるのであれば「考え方」あるいは「こだわり」だとお考え下さい)
また、くれぐれも申し上げておきますが、安田氏を批判する権利は誰にでも与えられているはずであり、その点についても何も問題だとは思いません。
私が問題にしているのは、すでに繰り返し述べているように、おの様が「独自の邦題をつけるのは第一人者の自負なのか分からないが」とお書きになったことです。私の考えではこれは批判の域を脱しています。前回も書いたように私にはこれが揶揄としか思われません。
私が安田氏を擁護する義理も筋合いもないし、そもそも事実関係を知らないので正直やりたくないですが、行きがかり上仕方ないので書きます。安田氏は非常に長い間、日本で知られていない海外のゲームを翻訳・紹介してこられた方ですから、独自の邦題をつけるのは長年の習慣なのだろうと察します。事実、これが20年前であれば、独自の邦題をつけるのは紹介者の義務ですらあったろうと思います(他に紹介する人がほとんど誰もいない時代でしたし、紹介に際して原題のみを示すわけにもいかないでしょうから)。ゲームを海外から直輸入して外国語のルールを読み、仲間とテストプレイしながら邦題のアイデアを出し合う、そうして仲間内で定着した名前を著書にも使ってしまう、そういうこともあるのかもしれません。それだけのことでしょう? 一体どこから「独自の邦題をつけるのは第一人者の自負」という発想が出てくるのでしょうか。
もちろん「安田氏の独自の邦題はゲーム購入の際のインターネット検索の妨げとなり、初心者に優しくない」というご意見は一理も二理もあります。くどいようですが、私はその考えに完全に同意するわけではないにせよ、尊重します。しかし、ならばそのように批判なさればよいだけのことで、事実おの様がご回答の中でお書きになった「カタログ本の邦題だけは、理由や信念や実験や趣味などはさておいても、現行で流通しているものにしたほうが親切なのではないか、というのが私の意見です」というのはとても納得できます。ところが本文ではこのように穏やかに述べられるのでなく揶揄混じりで、なぜ揶揄しなければならないのか分からない、それが私の疑問だと何度も述べたつもりなのですが。おの様が安田氏を揶揄混じりに、必要以上に強くご批判なさっているので、私もつい「あなたも『シャハト』を『シャフト』と書いておられるではないか。安田氏と何が違うのか」と言ってしまいました。おの様が「シャハト」をあえて「シャフト」とお書きになる、そのこと自体は、おの様がご自身のこだわりに基づいてなさっていらっしゃることであり、個人の自由に属することですから、私は何の問題もないと考えます。
ただし「タイトルはゲームショップに従うべきだが、デザイナー名の表記は揺れがあっても問題ない」というご意見には納得できません。タイトルほど直接的な影響はないかもしれませんが、デザイナー名の揺れも初心者を混乱させる可能性があると思います。その点でタイトルもデザイナー名も五十歩百歩でしょう。しかも貴サイトに個人的にお書きになっておられるのならともかく、『ドイツゲームでしょう』という「カタログ本」にもお書きになっているわけですし。(念のために申し上げますが、カタログ本ならば初心者に優しく書かれるべきだ、というのはおの様のおっしゃっておられることです。私個人は、作者が好きなように書けばいいと思っています)
「安田氏はゲームのタイトルだから揶揄混じりに強く非難してよいが、私の方はデザイナー名だから批判されるいわれはないのだ」というのは独りよがりの論理だと思います。「『シャフト』こそが正しい表記だと私は思うのでそのように書く。初心者を混乱させることになったとしてもやむを得ない」とおっしゃるのであれば、私はそのご意見を尊重するのですが。
また、「「シャハト」とて、十分に流通・定着しているとは思っておりません」とおっしゃるのも疑問です。貴サイトの以下のページ
http://www.tgiw.info/2011/03/2_23.html
の中でおの様は
「日本の皆さん、シャハトじゃく、シャフトですよ〜」
と書いていらっしゃる。なぜ「日本の皆さん、シャフトですよ〜」ではなくあえて「シャハトじゃなく」と付け加えられたのか分かりませんが、1つはっきりしていることがあります。それはおの様が「シャハト」と呼ぶ人が少なからずいることを十分ご承知であるということです。そうでなければ単に「日本の皆さん、シャフトですよ〜」とお書きになるはずだからです。
まあこれ以上議論を続けても平行線をたどりそうですし、何よりもここはおの様のサイトなのですから、この辺りでやめることに致します。どうも失礼致しました。
シャハトが十分に浸透してないというのは、詭弁過ぎるとおもいますが。
どの理屈で浸透してないと言ってるんですか?
おのさんの基準ですか?
シャハトが十分に浸透してないというのは、詭弁過ぎるとおもいますが。
どの理屈で浸透してないと言ってるんですか?
おのさんの基準ですか?
みなさん、コメントありがとうございます。コメントを頂くことが少ないので、賛成にせよ反対にせよ嬉しいです。たくさんコメントを頂いたので、項目ごとに分けて回答いたします。
シャハト/シャフトについて。
ストーンRさんが指摘されているように、「シャフト」という表記も結構前からあり、一致を見るにいたっておりません。今レビュー検索をしたところ、「シャハト」と「シャフト」の比率は10:1で、シャハトが圧倒的ですが、レビューサイトもショップもシャフトを採用しているところがあります。当サイトでは「一般流通している邦題をできるだけ用いる」という原則ですが、趨勢や確からしさによって変わる可能性があるので、情報を集めています。
こうしたデザイナーやメーカー表記の揺れが、カタログ本においても問題ないというのは、それで検索するような人はもう相当、愛好者の域に入っていると思われるからです。彼らが、表記の揺れのせいで探しているアイテムに辿りつけないということはまずないでしょう。また、デザイナー名・メーカー名の音写は、意訳も行われる邦題と異なり、ある程度まで近似したものになるので、「レース・フォー・ザ・ギャラクシー」/「銀河帝国レース」などよりはずっと同定しやすいです。
一方、データベースではデザイナーやメーカー表記が統一されている必要があります。でも、いつまでに統一しなければならないという期限はありませんので、多面的に議論して、データベースで用いるものを絞るのがよいでしょう。また、新たな情報が入ったり、趨勢が変わったりすれば見直すということもあってよいと思います。
デザイナー名の表記については、別エントリーを近日公開予定ですので、またそちらにご意見などお寄せ頂けたら幸いです。
「独自の邦題をつけるのは第一人者の自負なのか分からないが」について。
安田氏が独自の邦題を付けるのは、長年海外ゲームを紹介してきたことによる習慣なのだろうと私も思います。そしてこれを無意識に行っているとは考えがたく、何かの信念のようなものを感じて「自負」としました。ただこれは私の推察に過ぎないので「分からない」としたところです。揶揄の意図は全くありませんが、そう読み取れるとしたならば、言葉足らずで申し訳ありません。
あまり突っ込みをいれたくもないのですが、10対1って圧倒的じゃないんですか?
そんな重箱を突っついて、ほら浸透してないでしょってのが詭弁だと言ってます。
その理屈がありなら、オートモービルやアロザ殺人事件も十分浸透してないんじゃないですか?
少なくとも安田さんが書いてるから10対1くらいの割合はあるでしょう。
わたしも名前の統一は賛成なんですが、ことシャハトに関してはどうにもポリシーから外れているように思います。
それは建前で本当の理由があるんじゃないかと勘繰ってしまいます。
上記の通り、カタログ本の邦題とデザイナー表記は同列には論じられませんので、カタログ本の邦題を、一般的なもの(=初心者の利便のため、流通しているもの)にするということと、デザイナー表記を一般的なもの(=愛好者の利便のため、使用頻度が高いもの)にすることは分けて頂ければありがたいです。
その上で、デザイナー表記を一般的なもの(=使用頻度が高いもの)にするというのはひとつの原則で、確からしさなどから見直すことがあってもよいと思います。この点で、「シャハトが十分に流通・定着していない」というのは必要のない言明でした。お詫びして撤回いたします。(それに調べるまで、ここまで広まっているとは思いませんでした。シャハト強し)
ここまでの議論を読み直してみましたが、ゲームの邦題とデザイナーやメーカーのカタカナ表記がどうして別の問題なのかが今ひとつわかりません。おのさんは以下のように書いています。
>こうしたデザイナーやメーカー表記の揺れが、カタログ本においても問題ないというのは、それで検索するような人はもう相当、愛好者の域に入っていると思われるからです。彼らが、表記の揺れのせいで探しているアイテムに辿りつけないということはまずないでしょう。
ボードゲームを始めたばかりでもデザイナーを意識する方は一定数いると思います。特定のデザイナーやメーカー名で検索して他にどんなゲームを出しているかという様な使い方は多いと思います。これから日本語版も多くなって、ゲームの箱にデザイナー名が大きく書かれるようになればなおさらです。そういったときに、検索結果として出てこないというのはやはり問題だと思うのですが、どうでしょうか。表記の揺れの問題としてはゲームの邦題もデザイナーもメーカーも同じだと思うのですが。
「デザイナー名のほうが、ゲームのタイトルよりも害が少ない」とならともかく、「同列に扱えず、分けて考えるべき」というのは、強弁が過ぎるのではないでしょうか?
“2つ目の”ゲームを探している初心者に対して、気に入ったゲームのデザイナーのほかの作品を進めることは、非常によくあるアドバイスですし、
今回のシャフト&ラーフェンスなんちゃら推進運動を知っているほどのフリークでないと、デザイナーの名前を気にしないとはとても思えません。
どうも、今回のおのさんの発言の数々は、今までのおのさんの言説からも外れており、ロジックも通っていない、”結論ありき”の文章校正になっているように思えてしまいます。
統一されていたほうがいいのは、カタログかつ邦題という限定での話です。それ以外の場合では、確からしさと、検索でたどりつけない可能性を比べて、ケースバイケースで判断することになると思います。
初心者でもデザイナー名で検索しする人もいるということは分かりましたが、邦題で検索する人と比べれば絶対的に少ないと私は見積もっています。当サイトのアクセス解析でも、検索ワードランキングにデザイナー名は全く出てきません。そのため、確からしさを優先して再検討する余地があると考えました。ただしこれは、デザイナーで検索する人も、邦題で検索する人と同じくらいいると考えれば成り立たないわけですね。
それから、邦題は流通しているものとすれば一意的(せいぜい2〜3)に定まりますが、デザイナー名の表記は新しいものほど揺れがあり、パターンもさまざまなものが出てきます。シャハトは十分一般的になっており、変えるのはさすがに無謀だったと思いますが、フェ/ファイ・デュッ/ドゥッ・ティ/チのようにいまだ趨勢が定まらないものもあります。これも同列には論じられないという理由です。
なお邦題も、個人サイトでは自由でよいと思います。まとめるとカタログでの邦題は統一できるし、しないと問題が大きい、カタログでのデザイナー名は統一しにくいこともあり、統一しなくても問題は少ない、個人サイトでは邦題もデザイナー名も自由でよいという分け方です。でもこの分け方に賛同しない方がいることも分かりました。
もう書かないつもりでおりましたが、まだ議論が続いているようですし、どうしても気になることがあるので書かせて頂きます。
おの様のお考えをまとめると、
(1) デザイナー名、メーカー名は誰がどう表記しようと自由。
(2) 個人サイトは何をどう表記しようと個人の自由。
(3) カタログ本の邦題に限っては、一般流通しているものに統一されるべき。
……ということですね。
私が申し上げたいのは、まず第一に、これはあくまでもおの様の個人的なご意見なのであって、広く受け入れられているものではないということです。おの様がそのようなご意見をお持ちだということはよく理解できましたが、この意見を完全に共有している人でなければ、おの様の安田氏に対する批判が理解できない(下手をすると単なる非難だと読めてしまう)こともあるということはご理解下さい。
第二に。「個人サイトはどう表記しようと個人の自由だが、カタログ本の邦題は自由にしてはならない」というお考えの根底にあるのは「個人サイトは<公私>で言うところの<私>に属するが、カタログ本は<公>に属する」という発想だと思われます。しかしカタログ本は<公>に属するのでしょうか。これは人によって意見が分かれるところだと思いますが、1つ確実に言えることがあると思います。それは
もし<公>に属するものがあるとすれば、まず第一に業界、すなわちゲームショップやメーカーこそがそれに当たる
ということです。
ですから、邦題の統一が本当に必要なことだとお考えになるのならば、安田氏を批判する前にまず、ゲームショップやメーカーに働きかけて統一を促すべきでしょう。今の時点で批判されるべきはゲームショップやメーカーであり、安田氏ではないはずです。例えばメビウスは、ドイツから輸入したゲームに「6ニムト」という邦題をつけて長い間販売していました。ところが日本語版を出す際に名前を「ニムト」に変更しました。個人的にはどうでもいいことだと私は思うのですが、おの様を始めとする邦題の統一を主張される皆様にとっては許し難い暴挙であるはずです。しかしこの件に関してどなたかがメビウスを批判したという話を私は寡聞にして耳にしたことがございません。おの様も安田氏を批判する暇があるのなら、まずはメビウスを批判し、業界を批判すべきだと思うのですが。
もし業界全体で邦題を統一することになったら、当然邦題のみならずデザイナー名、メーカー名も統一されるべきだろうと思います。その上でそれでも安田氏が業界の約束事に従わずに独自の表記を使い続けたならば、その時に安田氏を非難すればいいだけのことでしょう。まずは業界全体での統一が先で、現時点で非難されるべきは業界です。
ついでなので、改めて「独自の邦題をつけるのは第一人者の自負なのか分からないが」についてです。「揶揄の意図は全くありません が、そう読み取れるとしたならば、言葉足らずで申し訳ありません」とのことですが。
もし誰かが「おのという人は『シャハト』のことを『シャフト』と書いている。そう書くのは第一人者の自負なのか分からないが」と言ったとしたら不愉快に思いませんか?揶揄された気になりませんか?「シャフト」と書くことに対して反論するにしてももう少し言い方があるだろう、と感じませんか?
これは「言葉足らず」の問題ではありません。「言葉遣い」の問題です。おの様のおっしゃる「自負」という言葉が世間一般の意味からずれているように感じるのは私だけでしょうか?
「安田氏が独自の邦題を付けるのは、長年海外ゲームを紹介してきたことによる習慣なのだろうと私も思います。そしてこれを無意識に行っているとは考えがたく、何かの信念のようなものを感じて「自負」としました」というのもよく分かりません。習慣というのは無意識に行うからこそ習慣なのではないでしょうか。
おの様は毎朝、朝食をお召し上がりになるでしょうが、それはほとんど無意識なのではないでしょうか。「あなたが毎朝欠かさず朝食を取っているからには無意識に行っているとは考えがたい。何か信念のようなものが感じられる。長年朝食を取り続けてきたという「自負」に基づいているのではないですか」という質問はナンセンスだと思うのですが。
安田氏独自の邦題も同様に、ほとんど無意識になさっていらっしゃることではないかと推察致します。
丁寧にお読みいただきありがとうございます。
公私というよりは、目的で考えています。個人サイトでも、読んで興味を持った人に買ってほしい、遊んでほしいという意図が強いならば、カタログ的な性格が出ますので、邦題は流通しているものに合わせたほうがよくなるでしょう。カタログならば、手に入れやすいようにしたほうがいいでしょう?というだけのことです。確かに、混乱を避けるためにショップの方々には邦題を揃えてほしいとは思っていますが、これはまた別の話です。
「自負」「習慣」については、水掛け論になりそうなので、そういうふうにも取られるのだということを覚えておきたいと思います。気分を害された方には、お詫び申し上げます。