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勝敗へのこだわりとは別次元にあるもの

マージャン全国大会「待った」参加費から賞金は賭博?(http://www.asahi.com/national/update/0324/006.html

 マージャンだったから目をつけられたのかもしれないが、ボードゲームでも何かの大会をやって、賞品ではなく賞金を設定したらまずいことになりそうだ。

 もっとも、ドイツも含めて今のところボードゲームの大会というのは専らタイトル争いで、賞品もささやかなものだから心配には及ばないのかもしれない。

 そこでマージャンは賭けてやるもの、ボードゲームは賭けないでやるものというのは、単なる社会通念だろうか、それとも何か理由があるのだろうか。

 確かにマージャンは賭けることで勝敗に対するこだわりが上がると、ゲーム内容もがらりと変わる。ゲームオリンピックですら、勝敗に強くこだわることがゲームをまるで別物にする例が数多く見られた。賭けは必ずしもギャンブルを意味しない。「ぬるい手を打たないで真剣に全力でやりましょう」という約束を取り付ける手っ取り早い方法なのだ。この約束がゲームの新しい魅力を引き出すという効果は否定できない。マージャンで賭けるのは社会通念以上のゲーム内容からの要請がありそうだ。

 それではボードゲーム(ドイツゲーム)を賭けないで遊ぶというのはどうか。中にはマージャンと同様に全力で遊ぶとまた面白さのあるゲームもある。でもたいていの場合、賭けたとしてもおやつ代か食事代ぐらいのものだろう。

 その理由のひとつにドイツゲームの「共同作業感」がある。明らかに協力が必要な指輪物語やスコットランドヤードや、交渉で相互に利益を上げるようなゲームだけでなく、ほかのゲームでもみんなで一つのことをやり遂げようとしている感じがある。その「一つのこと」とは、希薄になりがちなコミュニケーションの構築であったり、世界標準のゲームレベルに自分たちが到達していることを確認することであったり、あるいは今までにないゲーム感覚を味わうことであったりと、とにかくゲームの勝敗の外側にあるようなものだ。典型的なドイツゲームは、そういう「共同作業感」を楽しめるように作られている気がする。基本的にソロプレイ・全員が敵のマージャンとは、ここが異なる。

 カジュアルプレイを標榜していると、トーナメントプレイの側から「勝敗にこだわらないで何が楽しいのか」という非難が寄せられる。それに対して、結果として勝敗に拘らなくても真剣に遊ぶことはできるし、それ自体が楽しいのだという答えが、この「共同作業感」から導き出せるように思われる。

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