ノンリプレイの理由

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メビウスゲームズのインタビューで、新しいボードゲームはルールを覚えないといけないのでたいへんじゃないかという質問に対して、能勢さんはこのように答えている(『トイプラス』) 。

それはないんじゃないかと思いますけどね、大人でもそうですけど知ってるゲームをやりたいっていう保守的な考え方がどっかにありますね、それから目新しいものやってみたくてしょうがないっていうところと、やっぱり同じじゃないですかね。

当サイトで行ったアンケート「同じゲームを2回以上プレイしますか?」では、はいという答えた方が6割、1回しか遊ばないゲームが多いと答えた方が2割だった。2回以上プレイするという人にも、2,3回の人から、何十回何百回と繰り返す人までさまざまいるだろうから、皆が「やり込み派」というわけではないだろう。しかし、1回しか遊ばないゲームが多いという人は「ノンリプレイ派」と言える。

私はノンリプレイ派である。どこかで遊ぶことができたゲームはどんなに面白いと思っても買わないようにしているし、所有するゲームも遊んだら積極的に手放すようにしている(収納スペースの問題もあるが)。また傑作といわれるゲームでも、5年に1度ぐらいしか遊ばない。こんなノンリプレイ派はごく少数のようだ。

ノンリプレイ派は「新作(つか、買ったゲーム)をとっかえひっかえ遊んでおもろいか?」などと揶揄され、モノを大切にしていないとか、ゲームの真価を捉えていないとか批判されることもある。しかしこれは趣味や好みの問題であり、繰り返し遊ぶのと比べて正しくないとか良くないというものではない。

そのことを分かってもらうために、繰り返し遊ばない理由を以下に記しておきたい。もちろんこれは、繰り返し遊ぶ楽しみを否定するものではないし、ノンリプレイをオススメしているわけでもない。マイナーな趣味のマイナーなプレイスタイルにも一理あることを分かって頂ければ十分である。


1つ目は「未プレイという価値」である。すでに書いたことだが、ゲームに固有の、システムの論理とでもいうべきものは、最初のインパクトが一番強い。そしてこの論理は、参加者全員で発見することによって楽しさが倍増する。ルールの説明を受けるときのワクワクする感じ、そして斬新なシステムを聞いたときの感激は、ボードゲームの醍醐味である。
私の友人にはルールを読むのが大好きで、実際に遊ぶのはその検証にすぎないという人もいる。そこまで行けばもう「ノンプレイ派(脳プレイ派)」だが、この楽しみはノンリプレイ派にも共通する。

ちなみに、ノンリプレイ派は新作ばかり遊んでいるわけではない。何らかの事情で日本に入らなかった過去のゲームは絶版・未絶版を問わずごまんとある。そういう旧作からも、新しさは発見できる。

またこうした態度はチャレンジャー精神にもつながり、意図したものでなくても、マーケットの開拓にも寄与している。マーケットは「皆が遊んでいるから安心」「皆に人気があるからほしい」というフォロワーが大半だが、そればかりで構成されているわけではなく、一部のチャレンジャーによって徐々に一般化していく面もある。

2つ目はプレイヤーの「フラットな状態」である。プレイ経験のない人たちが、勝ち筋を模索しながら全力でプレイして1位を目指すのは、初回においてのみ可能である。見え見えの接待プレイになったり、アドバイスがおせっかいに取られたり、「勝ったのは経験者だからだ」などと言われたりしないで済む。

その昔「素人ボードゲーマーNo1決定戦」というのがあった。創作ゲームを何タイトルか遊んで成績を競うものだが、ゲームは全て当日発表で、その内容は最後まで伏せられる。その場でインスト&プレイする意義は、「初見ゲームプレイに対するポテンシャルの高さを比べ合う」こと、つまりフラットな状態の創出にあった。

余談ではあるが、新規参加者を求めるゲームサークルなどでは、このフラットな状態をどうやって創出するかがひとつのポイントになる。初参加のサークルで、初めて遊ぶゲームなのに初手からいきなり「それはない」とか言われた挙句、ゲームに置いていかれてダントツ最下位だったら、2度目に行くのをためらうだろう。全国的に、評判のいいものを何度も遊ぶサークルが大半のようだが、仲間を大事にするために経験の差をどう埋めているかは気になるところである。

3つ目は「一期一会」という哲学である。千利休は、茶会に二度と同じ会はないこと、それゆえ誠実な心で人に対すべきであると説いた。同じことがゲーム会にも言える。メンバーだけでなく、ゲームとの出会いもまた然り。この気持ちは何回目であっても持ち続けたいものだが、初対面・初プレイのときこそ最も強まる。同じメンバーで同じゲームを遊ぶことは2度とないかもしれない。次はないという思いで今回のプレイを大切にし、本気で考え、全力で笑う。そこから生まれる緊張感が、ゲームとメンバーのポテンシャルを最大限に引き出すだろう。

以上、ボードゲームという文脈に限定してノンリプレイの理由を記したが、そこまで大層に考えなくても、映画や読書と同じようなものだという説明もできる。

映画や読書は面白くてもそうでなくても、たいてい1回見ればよいものである。中には作者の意図や多様な解釈など深いところを求める人もいるだろうが、そこまで求めなくても作品自体は楽しめるし、評価もできる。そして興味をもっている人がウェブを巡回して知りたいことは、単純に見る価値があるか否かであり、その点で1回見ただけの端的な感想は、深い考察や研究に基づく評論よりも当座役立つ。深い考察や研究に基づく評論は、1度見た人にはよいだろうが、まだ見ていない人にとっては理解の範囲を超えるかもしれない。

確かにボードゲームには相違点もあるが、あえて特別視せず、ほかの趣味と同列に見て相対化してみることも、敷居を上げないために必要である。

最後に、ノンリプレイ派であるというと、ゲームを買う資金力や、未訳のゲームを遊ぶ語学力を自慢しているように取られるかもしれないが、今や日本語ルールつきで遊べるゲームは年に300タイトルのペースで発売されているし、メビウス頒布会の月10,000〜13,000円は、日本国民の教養娯楽費の月平均28,000円からいっても大きな出費ではない。友達やサークルで遊ばせてもらえば、コストパフォーマンスはもっと上がるだろう。ノンリプレイ派は、何も特別な存在ではない。

つづく

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