どうやって審査員になるか―ドイツ年間ゲーム大賞審査員コラム
ドイツ年間ゲーム大賞の審査員ウド・バルチ氏が公式ウェブサイトに投稿したコラムの翻訳。
ドイツ年間ゲーム大賞の審査員は応募制ではない。ポストの公募はないし、誰も申請書を送らない。
そうではなく、審査委員会は任命制である。あるいはそんな大げさな言い方をしなければ、ほかの審査員から一緒にやりたいかどうか訊かれる。実際のところ誰もやりたくない。審査員であるということは、かなりの時間が費やされることを意味するからだ。
私の場合、審査員が連絡をしてきたのは2007年6月だった。電話が鳴り、ドイツ年間ゲーム大賞の審査委員長からだった。彼は自分がドイツ年間ゲーム大賞の審査委員長であると言い、一度会おうと提案してきた。ここは応募手続きとちょっと同じで、実際に会って、お互い自己紹介をした。
もちろん給与の提案はない。審査委員は名誉職である。しかし周知の通り、名誉職は名誉だけでなく仕事もあるものだ。候補者には、そのことを予め説明しておくべきである。私にもそのことを確認するために、詳しい説明があった。
審査委員は期日に集まってドイツ年間ゲーム大賞を選ぶだけではない。数ヶ月にわたり、インターネットの関係者限定フォーラムで予め経験を交換し、議論し、分析していく。それに誰でも審査委員の仕事について想像するように、本当にたくさんたくさんボードゲームをプレイする。審査員として、これだけ頻繁にやれば十分ということは決してない。
とりわけ、個人的な環境以外にも一緒にプレイする仲間が必要だし、いつも同じ好みや予備知識をもつグループだけでプレイしないほうがよい。審査員になりたければ、人生の重要な場面や、少なくとも空き時間にボードゲームを入れる覚悟がなければならない。
しかしプレイすることだけが全てではない。ドイツ年間ゲーム大賞は委員会である。現在は16名のメンバーからなるとても小さな委員会だ。この委員会は、授賞式を開き、小冊子を出版し、インターネットで広報し、メッセに出展し、奨励金を授与し……。この全てを誰かが組織し、実行しなければならない。仕事の一部は事務局が行うが、メンバーが行う仕事もある。
たくさんの時間と労力を使い、たくさんプレイし、意見交換することは、メンバーになるための大事な条件である。しかし何よりも重要な基準は、ボードゲーム評論家であることだ。というのもドイツ年間ゲーム大賞の審査員は評論家の審査員だからである。
ではどうやってボードゲーム評論家になるのか?
まず第一に、ボードゲーム評論家とは一体何だろうか? 私がよく出くわすのは、そのことを知らない人たちだ。ボードゲーム評論は残念ながら、ボードゲーム愛好者が望むほどには普及していない。ボードゲーム評論家はボードゲームを考案する人ではないし、ボードゲーム出版社のためではなく、発売予定のボードゲームを事前にチェックする。ボードゲーム評論家は、ちょうど音楽、演劇、映画、書籍の評論家と同じことを、ボードゲームでするのだ。
だから、ボードゲーム評論家はボードゲームをプレイし、評価を発表する。その対象読者は消費者であり、例えばラジオリスナー、新聞・雑誌・ブログの読者、ビデオチャンネルの加入者を指す。
したがってボードゲーム評論家になるためには、ボードゲームの評論を公開するメディアが必要となる。私が90年代終わりにレビューを始めたとき、記事を発表できるのはまだ新聞だけだった。今日、ボードゲーム評論家は、比較的容易にインターネット上で発表することができる。
ただし発表の種類と方法が重要である。ドイツ年間ゲーム大賞はボードゲームに詳しい人たちをあまりターゲットにしていない。エキスパートゲームに特化したボードゲーム評論家が、すぐに審査員として通用するわけではない。また評論家でなくて愛好者で、対象と距離をおいてに評論できる人は少ない。
さらに継続性と経験が条件となる。また非常に重要なのは、独立していることがある。ドイツ年間ゲーム大賞は、独立した評論家の賞である。自分でボードゲームを開発している人、ボードゲームを販売している人、ボードゲーム出版社のために働いている人は審査員になれない。
そしてもうひとつ、ボードゲームの取材記者はそのまま評論家でない。評論には分析、評価、比較が含まれる。つまり評論家であるためには、背景知識が必要なのだ。そのため根っからのプレイヤーでなければならず、非常に長い時間がかかる。
ではどうやってプレイヤーになるのか?
私の命題によれば、プレイヤーにはなるのではなく、はじめからもうプレイヤーなのだ。人間は誕生時から遊んでいる。遊びは我々が世界を知る本質的なやり方のひとつである。人間は生まれつきプレイヤーなのであり、そのうちの一部がいつからか遊びをやめてしまうだけなのである。
家族や仕事で人生を満たす者もいれば、一緒に遊ぶ人がいない者もいる。また遊びの楽しさを失う者もいる。しかし多くの人々は遊び続け、大人として遊びを新発見する。
特に遊びたくなる原因は個人的な好み、生活条件、友達、社会的地位や職業などさまざまだろう。これは個人的なものであり、ここでは深く立ち入らない。「遊ぶ人がプレイヤーである」と確認できれば十分である。
再びプレイヤーになりたい、これまでよりもっと遊びたいという人は、例えばドイツ年間ゲーム大賞で推薦したボードゲームを遊んでみよう。私達が推薦するのは、遊びを支援し、広め、たくさんの人に遊んでもらうためなのだから。
Spiel des Jahres:Wie man Juror wird
トイレを汚したのは誰だ?(Dirty Toilet)
前から汚れてました(ウソ)
パーティーで最後までトイレをきれいに使うことを目指す正体隠匿ゲーム。プレイヤーの中に潜んでいる「汚し屋」を見つけ出せ! 新ボードゲーム党がゲームマーケット2016春に発表した新作。エッセン・シュピールへの出展も検討しているという。
プレイヤーに、今回の役割カードが配られる。5人なら「清潔好き」が3人、「汚し屋」が2人。最初に全員目を閉じて、「汚し屋」がお互いの仲間を確認する。
ゲームは5ラウンドにわたって行われ、そのうち3回トイレが汚れなければ「清潔好き」チームの勝利、3回トイレが汚れれば「汚し屋」チームの勝利となる。ラウンドごとに、何人がトイレにいくかが決められており、リーダーが今回トイレに行くメンバーを決め、承認されればそのメンバーがトイレに行く。さあ、その全員がトイレに行った後、トイレはきれいなままか、汚れてしまっているか……。
ここまで読んでお気づきの方もいらっしゃると思うが、ここまでは『レジスタンス』と全く同じ流れである。しかしここからがこのゲームのテーマを活かした変更点である。
トイレに行くメンバーは、リーダーの提案に従って順番にトイレに行ってくる。実際にトイレカードを部屋の外に置き、ひとりずつ出て行って帰ってくるというのを繰り返す。帰ってくるたびに「きれいにつかってきましたよ」「私が行ったときにはもう、汚れてました」などとコメントしてくる。いったい誰を信じたらいいのやら。妙にリアルである。
それから、ラウンドの最初にアクションカードが出ると、順番にトイレにいくのではなく、便器からはみ出さないようにウンコチップを投げるアクションラウンドが行われる。規程の距離から便器を模したボードゲーム箱に向かってポイ! これをリーダーが提案し承認した順序で投げ、規定枚数が便器に乗っていればトイレが汚れなかったことになる。わざと外したのか、それとも本気でやって失敗したのかを見極めなくてはならない。
6人プレイで20分ほど。「清潔好き」で、トイレに行ったときにすでに汚れていれば、前の人を告発することになる。しかしその前の人が「私が行ったときにはもう汚れていたんですよ」と言い逃れしたら? あるいは「あなたが汚したんじゃないの?」と疑われたら? 疑心暗鬼の展開が待っている。
アクションラウンドでは便器を模したボックスが滑りやすく、チップを載せることがほとんどできなかった。このゲームをやりこんでいなければ、ルールよりももう少し近くから投げることにしたほうがよいかもしれない。今回は「汚し屋」ばかり勝っていたが、アクションラウンドの成功率がもっと上がれば、「清潔好き」の勝率も上がるだろう。
トイレを汚したのは誰だ?
デザイン&グラフィック:北野克哉/新ボードゲーム党(2016年)
5~8人用/8歳以上/30分
北野克哉の店:正体隠匿パーティゲーム「トイレを汚したのは誰だ?」