音楽とボードゲーム

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「プレイヤー」といえば、ボードゲームやスポーツをする人のほかに、演奏家や役者という意味がある。そこで学生時代にはまっていたクラシック音楽の演奏とボードゲームのプレイを比較した。
まず作曲家とデザイナー。音楽には有名無名の作曲家がおり、好みも分かれる。より多くの人に好まれる作曲家が結局後世に残っていくわけだが、中には死後急速に忘れ去られたり、逆に死後急激に評価が上がったりすることだってある。ボードゲームにデザイナー名が明記されるようになってから約30年、有名無名の差や、人気の浮き沈みも見られるようになってきた。もしかしたら今は全く評価されないボードゲームが、数十年後にヒットしているかもしれない。
楽曲は古典から現代に向かって進化しているかと言えば、そうとも言い切れない。現代音楽がワケのわからないものの代名詞だったりする。音楽史を見れば古典回帰の時代もあった。そういう点からも、古いボードゲームが後世に評価される可能性はありえる。何であれ現代というものは歴史にまとめにくいものであり、5年、10年のスパンでは簡単に判断できない。
古いものに新しい価値を見出すのは誰だったかといえば、演奏者であり、聴衆であり、音楽評論家である。プレイヤーが達人で観衆がつくようなボードゲーム(囲碁や将棋など)は多くないが、ちょっと心得があれば誰でもプレイヤーになることができるから、あちこちで評価を広めれば、個別の作品の価値は自然に見出される。
でも演奏するのが難しいからといって、楽曲が悪いと決め付けるのはおかしい。確かに作曲家が奇を衒いすぎて、誰もついて来れないということはある。しかし作曲家の意図を理解し、行間を読み、自分なりの創造性を加えれば、聴くに値しないような作品はほとんどない。ボードゲームも、プレイヤーの腕前によって面白さは全く変わる。ここでいう「腕前」とは思考力のことだけではなく、コミュニケーション力、表情、参加者全員の調和も含めた総合的なものである。ただ勝てばよいというものでもない。
名演奏家がいるのと同様に、このような総合的な腕前をもったボードゲームの名プレイヤーも存在する。紳士的な態度、ルールの正確な理解と適切な運用、皆を唸らせるクレバーな一手、当意即妙な会話、負けてもウケを取れる余裕……そんなプレイヤーと遊べば、面白さは何倍にも跳ね上がる。童謡をプロが演奏すれば感動的な演奏ができるのと同様、子供ゲームも、名プレイヤーが遊べば子供がいなくても楽しいセッションになる。
もっとも、そういう人がいるからといって自分も受身になってはいけない。ゲームメイクは、プレイヤー全員のアンサンブルである。演奏がきまったときの喜びが最高なのと同様、ボードゲームも、心をひとつに合わせて、最初から最後までエキサイティングに楽しめたら最高である。
音楽演奏には一流志向と娯楽志向があるが、必ずしも相反するものではなく、重なるところも多い。演奏技術が上がってレパートリーが増えたり、皆とより合わせられるようになったりするのは楽しいものだ。ボードゲームも、勝敗ばかりに気をとられず、しかし勝敗を捨てるわけではなく、適度に勝敗をめざしながらいろいろなゲームを皆と一緒に楽しむのがよい。
お気に入りのボードゲームを、仲間と心を合わせて遊ぶ。そういう営みのひとつひとつが、歴史を作っていくのだろう。

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