ゲームがつまらないと書くことに対して、遠慮がなくてもよい。
以前、ゲームの評価について提言を行ったことがあり、その中で、国内のゲーム市場を保護する観点から極端に低い評価をしないことを書いた。このスタンスは今でも持ち続けている。当サイトでは、「面白い!」マークはあってもその反対は言わない。正直面白くないと思っても、ものは書きようで気をつけている。もっとも、その婉曲表現が仇になる場合もあるが。
その一方で、今これだけたくさんのゲームが発売されているといくら愛好者といえども全部買うほどのお金はないから、他人の評価は購入の指針になるという意見も一理ある。知らずに買って面白くなかったら趣味をやめてしまう人もいるだろうという意見は肯定しがたいが(失敗する楽しさもある)、少なくとも参考レベルならば必要であろう。ただし、親切心か義務感からなのか、面白くないから買うなというのは余計なお世話である。
このふたつの態度は矛盾するものではなく、2ちゃんねるで時折見られるようなマナーがないのと、不買運動をけしかけるようなおせっかいを除けば、つまらないという意見もあったほうがよい。多くの人が面白いといっても、反対の意見も気軽に出せるような環境が健全である。
メビウスおやじさんが、前にインタビューで「面白いって言われようが、面白くないって言われようが、大歓迎です。」と仰っていた。一番怖いのはつまらないという評価より無関心だろう。ネガティブ評価を書く人は、そのゲームに対して何らかの期待があったわけで、その期待が何だったのかを推察することで建設的な方向に発展できると思う。
そして他人の評価を鵜呑みにしないということが非常に重要である。それが全てではないにしても、つまらなかった一因にはプレイヤーの責任もあるだろう。なので自分自身がどういうタイプのゲームが好きか嫌いかを考え、要素を分析しておくのがよい。そうすれば、他人の評価の中に自分と共通するものがあるかを見出すことができるだろう。
また、よくフリークほど平気でネガティブ評価を唱えると思われがちだが、単純なネガティブ評価を言えるのは意外とゲーム始めたての人かもしれない。というのも、ゲームをたくさん遊ぶほど、面白い・面白くないという単純な二分法では割り切れないことがだんだん分かってくるからだ。
ここまで自覚しておくと、ほかの人の評価を見ながら興味アンテナが立つか立たないか考えられる。アンテナが立つならば、その人が面白くないと書いていても、自分には面白そうだと思えるかもしれない。
私はブラフのあるゲーム、競りのあるゲーム、コミュニケーションゲーム、アクションゲームが好きで、一方アブストラクトゲーム、ダイスゲーム、記憶ゲーム、パズルゲームなどはあまり好まない。これはつまり、プレイヤーがゆっくり会話でき、その会話がゲームの行方を左右し、また個人個人の性格が会話を通してじわじわ分かってくるのがいいということだろう。そういう要素があるゲームは、レビュアー評価のいかんを問わず遊びたくなる。