シュピールボックス2024年1号のコラム「退廃への傾向(Tendenz zu Dekadenz)」で、F.ツィーエ氏が昨今のコンポーネントデラックス化に苦言を呈している。環境負荷が小さいはずのボードゲームで、ダブルレイヤーボード、オーバーレイ、メタルコイン、レーザーカットのインレイなどに熱狂するのは、ローマ帝国末期の退廃的状況であるという。
私は厚紙製のコインで遊ぶ「バニラ」バージョンでも楽しい。ボードゲームを遊びたい欲求は何によるのかといえば、コンポーネントのよさは私にとって優先度が低い。
「ローマ帝国末期の退廃的状況」とは、多くの映画や小説で描かれてきた古代ローマ人の堕落や衰亡になぞらえたものである。コラムではボードゲームの豪華コンポーネントを欲しがる気持ちを物質中心主義と捉えているようだ。
簡単に潰れる箱とプラスチックコマの国産ゲームを多く遊んできた日本人にとって、ドイツゲームの丈夫な箱と木製コマは、多少お値段が高くとも「大人の趣味」の象徴だった。ツィーエ氏のいう「バニラ」バージョンでも、十分に贅沢なものである。それでも丈夫な箱や木製コマには収納やプレイでそれなりの必然性があった。これがさらに豪華コンポーネントになると、逆に支障があるように思われる。
- 価格が上がって購入しにくい
- 重さや大きさのため準備が大変になる
- 箱が大型化し、運びづらく、収納スペースを圧迫する
- 立体フィギュアの奥が陰になって見えない
こういった理由から、大枚をはたいてデラックス版を購入したのに、実際はあまり稼働しないというもったいないケースが多いのではないだろうか。キックスターターでアドオンに反射的に全力投球してしまう前に、これで本当に遊ぶのか落ち着いて考えたいものである。
もちろんボードゲームの楽しみ方は人それぞれだが、お金をかけることだけがすべてではない。ツィーエ氏は『プラネットアンノウン』のトレイからタイルがはみ出さないよう、シャワーキャップをかぶせるという例を紹介し、「ライフハック」を見つけることを提案している。日本でも100円ショップの小皿やミニケースでコンポーネントを管理・収納したり、紙ペンゲームのシートにアクリル版を貼り付けて書いて消せるようにするなど、いろいろな工夫が紹介されている。創作ボードゲームデザイナーは、100円ショップを回って自作ゲームに使えそうなものを探す。このように、日常生活の中からボードゲームライフに役立つものを探すのも、楽しみのひとつといえるだろう。