スタイル、好み、経験(感想)

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[35] 「スタイル、好み、経験」 投稿者:いっかい 投稿日:2003/08/04(Mon) 20:44:11   こんにちは。(本当に)いつもお世話になっています。
この掲示板でははじめまして、ですよね。
どこの掲示板で書こうかと思いつつ、結局おのさんご自身のページに書くことにしました。

今回も大変面白いお題を出していただきまして、本サイト、並びにあちこちでの反響を楽しく読ませてもらっています。

スタイルチェックシート、大変面白い表現だと思います。
自分自身のことを考えた場合、僕ならこう書きたいと思いました。

プライオリティ低 □□□□■ プライオリティ高
トーナメントプレイ ■■■■■ カジュアルプレイ
クローズ ■■■■■ オープン
パワープレイ ■■■■■ ランダムプレイ
重め □■■■■ 軽め
旧作 ■■■■■ 新作

例えば良いゲームをガリガリやり込むのも、いろんなゲームを気楽に楽しむのも、どっちも大切にしたいんですよね。「バランスのとれたゲームが好き」というのとは決定的に違うんです。僕にとってはかなり大切な違いが画一的に□□■□□で表されるのは、個人的に少し残念だなあと思ったり。

せっかく複数選択表記できる様式なので、上記みたいなのが許されればなぁと思いまして、書き込んでみました。

結局大切なのは、柔軟性と心配りなのかなと思ったりもします。
初心者向けと銘打つうつぼゲーム会でも、参加者からの要望で、「プエルトリコ」や「ボーンハンザ」がたったこともあります。
ゲームを共にする人も、周りにいる人も楽しめる環境ができれば理想ではないかと。
そうした環境を作るのは、やはり各々の参加者の共同作業であり、みんなが無理なく自然に心配りして、適切なグループ分けとゲーム選択ができればよいなぁと思っています。


Re: 「スタイル、好み、経験」 投稿者:おの – 2003/08/05(Tue) 16:10:52
いっかいさんこんにちは。書き込みありがとうございます。
シートの真ん中は「どちらでもない」を意図していますが、「どちらでもあり」というのは想定していませんでした。ですがいっかいさんのような塗りつぶしもありですね。臨機応変にスタイルを変えることができ、いずれにおいても楽しむことができるというのは理想的です。

大切な柔軟性と心配りですが、ホスト(主催者サイド)にこれを期待するのは当然のこととして、ゲストにはなかなかその余裕がないと思います。ホストもゲストもなく遊べる会ならいいのですが、たいていの場合は立場の違いがありますからね。「各々の参加者の共同作業」「みんなが無理なく自然に心配り」といっても、実際は全員にそれを期待することは難しく、ある程度までは経験のあるリーダー的な人が必要です。

しかしリーダー的な人の肩に全てがのしかかるようでは、その人が苦しいでしょうし、会の中での階級化も進みかねません。一極集中を緩和させるべくサブリーダーやサポーターがいて、困ったちゃんをうまくフォローしたり、最適なゲームを選んだりできるのがよいと思います。

…この辺りまでくるとマナーとか、スタイルを通り越してモラルみたいな話になってきますね。

[34] 「スタイル、好み、経験」と「盤友会」 投稿者:益田ラヂヲ 投稿日:2003/08/03(Sun) 05:08:33 [HOME]

益田です。いつもお世話になっております。

コラム「スタイル、好み、経験」、各所で反響を呼んでいるようですね。
私も大変興味深く読ませていただきました。特に、”クローズ/オープン”の章の最後、「今目の前に座って一緒にゲームしている人をコンピュータープレイヤーであるかの如く扱い、ひとつの人格を持った人間として見ていないような状況になっているとするならば…」というくだりについては、私が常々考えていることと同じ意見だということもあり、深く感銘を受けました。

ただ、この問題が難しいのは、相手をひとつの人格を持った人間として見ていないからといって、必ずしもぞんざいな扱いをするわけではない、ということだと思います。

一応、プレイ中は楽しく談笑し、ゲームのことなど語り合い、終始にこやかにゲームのプレイ自体は進みます。しかしながら、終わってみれば、相手の名前すら分からずじまい、なんてことがよくあります。私は、これが一番残念だな、と思うのです。

これがもう、ゲーム中はゲームのことしかせず、相手には適当な扱いで臨み、応対の態度もなっていない、というのであれば、そもそも明らかなコミュニケーション能力の欠如ですから、ゲーム会に限らず、その方は早晩どこかで問題を引き起こして、その経験から学ぶということもあるかもしれません。

しかし、表面上スムーズにコミュニケーションが成り立っていながら、その中身がない、といったケースですと、おそらくは、何か特別なきっかけでもない限り、
会話もずっと上滑りのままに終わってしまうでしょう。

私自身の問題なのかもしれませんが、これが結構多いんですよね。

ゲームはひとつのコミュニケーションツールなのですから、たとえプレイ中であっても、別にゲームの話ばかりする必要はなく、普通の雑談を交えても構わないはずなのですが、「ゲーム会」、それもサークルのゲーム会など、オープンな場ですと、どうしてもゲームを遊ぶことばかり考えて、ガツガツしがちになってしまいます。これが、私が昔から言っている「貧乏性ゲーマー」というものなんですが、しかし、これを避けるためには、自分自身の個人的なプレイ環境が充実しており、いつも余裕をもってゲームを遊ぶことができる、といった状態でないと難しいところですね。

とまあ、長々と感想を書いて申し訳ありません。この件に関しては、私自身、またコラムにでもまとめてみることにします。

さて、プレイスタイルチェックシートが早速いろんな方に利用されているようですね。それならば、ということで自由に登録可能なプロフィール管理スクリプトを設置してみました。若干の加工はさせていただきましたが、プレイスタイルチェックシートにも対応しておりますので、よろしければご利用下さいませ。

「盤友会」
http://www.brettspieler.jp/byk/


Re: 「スタイル、好み、経験」と「盤友会」 投稿者:おの – 2003/08/04(Mon) 12:40:13
益田さんこんにちは。感想を頂きましてありがとうございます。長文は全く気にしませんどころか歓迎ですので、好きなだけ書いていただいて結構です。

エッセイをアップして以来、何人かの方々にチェックシートを利用して頂いていること、嬉しく思います。YBGCのmuraさんに指摘されて気づきましたが、公開されているものはほとんど右寄りなんですね。ネットに出現する人には偏りがありますので一概には言えませんが、特にカジュアル・ランダム・軽めはドイツゲームの遊び方としてひとつのトレンドなのかもしれません。

プレイスタイルは非常に変わりやすいものです。あるゲーム会への参加や、ある人との出会いによって左寄りがあっという間に右寄り担ったりすることもあります。奥山さんが回答を集めてリストにしてはという提案を頂いたのですがそうしなかったのはこの可変性によります。一時的になるかもしれないプレイスタイルを集めてもなあと。

しかし盤友会はプレイスタイルだけでなく、住まいなどプロフィールを登録できることで有用になったと思います。ギークにもありますが、個人情報の公開がためらわれるネット上において、愛好者同士が共感をし、実際に出会うきっかけになるとすれば、やはり好きなゲームなどの登録になることでしょう。

さて、益田さんの仰る物寂しさは、私も感じることがあります。しかし、エッセイの最後で触れましたように、本当の仲間作り、つまりお互いの信頼関係を作るには年月を要するものです。焦ってはいけません。でも仲間は待っていてもやってくるものではありません。自分からの積極的なはたらきかけが必要です。

今の世の中、付かず離れずの人間関係が好まれるようですから、いつも一緒に遊んでいるけれども名前も知らないという人がいることもあるでしょう。だからこそ、その中で真剣なお付き合いをしたいと思うならば当り障りなくではなく、労力を払って自分を出さなければいけません。

より具体的な提案としては奥山さんが試したようにゲーム会中に主催者サイドでお茶会を設けたり、早めに切り上げて食事会を長めに取ったり、またJAGAのように花見などのイベントをするという手があります。歓迎しない人もいるでしょうし、交流が成功するとも限りませんが、ゲームとの時間的なバランスをとりながらうまく絡めていければよいのではないでしょうか。

「ひとつの人格を持った人間としてみる」ということは、実は容易なことではありません。ぞんざいな扱いをしないというだけでなく、その人とコンテキストを共有し、より広げていくという共同作業があります。子どもの頃見たアニメの思い出話とか、ローカルな話題などに花を咲かせながら(話に入れない人がいてはダメですが)、あるいは参加者の専門知識をなるほどと思って聞きながら(歓迎されないウンチクはダメですが)遊ぶことができたら、もっとゲーム会は面白くなるのではないかと思います。

では。