困るんです~紳士淑女の嗜みとしてゲームを楽しむために~

はじめに負けず嫌い長考型ひとつのゲームに固執集中しないお食事中投了状態いかさま論者個人攻撃遅刻おせっかいおわりにそのほか

追記:公開後、るてんしとさん、わんこさん、バネスト中野さん、のごさんからご感想をメールで頂戴しました。有益なご意見ばかりだったので、掲載の許可を頂き、このページに補足することとしました。拙いエッセイをご覧下さった上に検討を加えてくださった方々に感謝申し上げます。(02/06/26)

はじめに

以下に10人の困ったちゃんが登場します。誤解のないように書きますが、実際にこれまで出会った方の中にこういう人がいたというのでは決してなく、見聞をもとに想像を膨らませて書きました。

「自分もこうなるときがあるから気をつけないといけないな」と自戒をこめて書いたつもりです。結局ほとんどがゲームに限らず、大人としての常識ばかりのような気がします。ですから「ゲーマーってこんなことも守れてないの……」と嘆くことは全くありません。

また、これを基準にして、該当する人を排除するつもりは毛頭ありません。むしろ全部完璧に守っているパーフェクトな人格者を私は敬遠するかもしれません。

結論としては何事も極端にならず、ほどほどにということになりますが、それは不完全な人間がとりうる唯一の安定法だと思います。

以下、道徳を押し売りするつもりは全くありませんので、軽いチェック表のつもりで、そういう視点もあるのだというくらいでお読みいただければ幸いです。

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1.負けず嫌い

ゲームをすれば勝敗や順位が決まっていくのは当然のことですが、負けると「つまんねー!!」と怒り出したり、いじけて無口になったりしていませんか?

悔しいのは確かですが負けることは恥ではありません。「おばかさん」というレッテルが貼られてしまうわけでもありません。たまたま、運が悪かった、あるいはちょっとした判断ミスがあっただけなのです。

少しゲームを振り返ってみましょう。いわゆる観想戦というヤツです。どこで相手に抜かれてしまったのか、どういう手が負けにつながったのか。そうすると、「よし、もう1回やったら負けないぞ!」という気持ちが湧いてきませんか?

確かにゲームとの相性が悪いということもありえます。人によって得意不得意も違います。「このゲームはどうしても勝てない」「あの人にはなかなか勝てない」ということは事実としてあると思います。

そのときには、別のゲームで再起をはかればよいのです。「オレはこういうの苦手だから負けちゃったけど、このゲームなら行けそうだ」戦略ゲームで負けたら軽いカードゲームやダイスゲームなんかどうでしょうか。皆にとってもいい気分転換になります。

長い時間ゲームをやっていると、頭がボーっとしてきて憂鬱になることがあります。疲れたら休む。ちょっと外に出て新鮮な空気を吸う、甘いオヤツを食べる、寝転がるなど、態勢を立て直してみてはどうでしょうか。

一方、勝った方としても負けた人を馬鹿にしたりしてはいけません。当たり前の話ですが負けた人がいたから勝てたのです。勝利に酔いしれるのもほどほどにして、お互いの戦いぶりを振り返り、讃えあうくらいの気持ちでいましょう。親しき仲にも礼儀あり。「やーいやーい」「くっそー」などという会話を楽しむのも結構ですが、ほどほどに。

「勝てば楽しいゲーム、負ければつまらないゲーム」というのは感情的にわからなくもありませんが、それだけでは4人でゲームをした場合、面白いゲームは4つに1つしかないという計算になってしまいます。ゲーム1コの値段を考えると、とても損をしているのではないでしょうか。

ゲーム中は熱中して少年時代に帰っても、ゲームが終わったら我にかえって理性的にそのゲームや自分の戦いぶりを観察してみるのが、きっと次へとつながります。

【バネスト中野さんのご意見】
負けず嫌いは自分にとってそれほど問題ではありません。この考え方はゲームに対して割とポジティブに働きます。ゲーム中には必ず勝ち負けを決めるポイントの場面があるので、おのずと「ここで負けた」「ここで勝った」が分かってくるもののはずです。また、勝てないから嫌いならば、たぶんゲームが続きません。
人数回数やって1回勝てばいいと思います。

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2.長考型

「もっといい手があるかな」と最善手を見つけようと躍起になるあまり、他のプレイヤーを退屈させているということはありませんか?

きちんと考えて手をうつのはゲームを深く面白くするために大事なことです。目先の利益を追い求めた動物的なプレイは、長期的に見ると負けやすいですし、ゲーム全体のレベルを下げてしまいます。「こんな子供じみた一手ばかりで、何が面白いんだオレ?」

でも、あまり欲張って手番の時間を伸ばすのは、ゲームの流れを悪くし、他プレイヤーが退屈どころか不機嫌になってきて、雰囲気がよくありません。

一番の対策は、他プレイヤーの手番中から、「オレの番になったらああしよう、こうしよう」と考えておくことです。4人プレイならば、自分の番にだけ考える場合の4倍の時間が与えられます。「みんなが待ってるよー、ひえー!」と焦りながら考えるよりもずっといい手が見つかるはずです。それに、自分の手番になってすぐ、予め考えていた手をうてば次のプレイヤーにプレッシャーを与えることができ、有利にゲームを運ぶことができます。さらにはゲーム時間が短縮され、次のゲームができるようになるでしょう。

もちろん他プレイヤーの手によって変更を余儀なくされることもありますが、それでもより立体的にゲームを捉えることができるようになるのは確かです。脱・長考型の努力は、勝利への道でもあるのです。

とはいっても、性格によって、またはゲームの勝敗を分ける大事な場面ではちょっと慎重に考えたいのも事実です。いくら緊迫した場面でも「まだ?」「早くー」などというせっつきは禁物。そういうことを言われると手番プレイヤーの思考が乱され、かえって時間がかかってしまうものです。

他プレイヤーがうんうん唸っていて、自分の考えがある程度まとまっていたら、ちょっと思考を中断してみるのもいいかもしれません。退屈そうにしている他プレイヤーとちょっとおしゃべりをしてみるなど、雰囲気が悪くならないようにするためにも有効です。また、あくまで中立的な立場で助言を試みるという手もあります。傍目八目と言って、手番プレイヤーが気づかない絶好の手があったりするものです。それが自分に不利な手であっても知りませんが……。

【るてんしとさんのご意見】大阪の河内ゲームクラブに行ったときなのですが、全員が全員、長考型プレイヤーでした。よく大阪に行く知人の話では、どうも大阪には長考型プレイヤーが多いそうです。
彼の話では、関東はあっさり目のプレイが多く、関西はこってり系のプレイが多いそうです。そのため、真剣勝負をしたいので大阪に遊びに行くと。
全員が最善手に執着するというのも、1つの遊び方なのかなと思いました。

【上記に関して私の補足】何分以上はダメということではありません。あくまで全体のリズムを基準とした相対的なものです。従ってプレイヤー全員が長考型であるのは問題ありませんし、その場合には長考型はいないとみなすこともできるのです。
また、最善手に執着するのと長考しないというのは相容れないものではありません。長考したからといって必ず最善手が見つかるというわけでもありません。要は全員が許容できる時間内に、自分が満足できる一手を打てるよう努めようということです。
リズムという観点では、時には早撃ちすぎるのも問題かもしれませんね。

【バネスト中野さんのご意見】
長考は問題ですが、おそらく経験上負けず嫌いから連鎖します。ただ、ゲームを決めるポイントでの長考は、断りさえいればありだと思っています。ただしTCGなどのタイムリミットがあるゲームで、持ち時間の60%を大きく越える場合は問題です。
手番以外でしっかり考えたほうが有利にゲームが運ぶというのは、私個人はそういう状況になるというのは少ないと思います。たいていの場合はよく知ったゲーム以外はそうはならないはずです。
せっつきはあまりやるべきではありませんが、せっつく場合でもソフトに行います。ちなみに外野からのせっつきは一喝します。

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3.ひとつのゲームに固執

ゲームをちょっとでも知っていると、ついつい「オレはこのゲームしかやらない!」「今日はこれをやりに来たんだ」というような態度が強く出てしまうことはありませんか?

「何でもいいよ」という寛容な(あるいは適当な)プレイヤーが多ければ、これはイニシアチブとなってよいかもしれません。でもそういう人ばかり集まってきたら、たいへんなことになります。「これしよう?」「やだ。これがいい」「それはオレがやだなー」……そしていつの間にか妥協の産物・超定番ゲームばかりになっていくわけです。

人によって得意・不得意があるのと同様、当然好き嫌いもあります。やりすぎて飽きたゲームもあることでしょう。ただ好き嫌いが度を過ぎると楽しくゲームができません。自分だけ盛り上がって、他の人はイヤイヤつき合わされてるなんてことになったら、次回誰も来なくなってしまうでしょう。

さんざん遊んで飽きたつもりのゲームでも久々にやってみたら面白かった、メンバーが変わると同じゲームでもガラリと変わる、人数が変わると途端に面白くなった、苦手だと思っていたゲームで意外と善戦した……そういうことはよくあります。

ちょっとだけ自分の心のハードルを低くして、思い切ってそのゲームに参加してみましょう。ゲームは1回1回、その表情を変えます。何か新しい発見が待っているにちがいありません。

一方、サークルなどでそういう人に出会ってしまったら、他のゲームを勧めてみてもあまり聞き入れてもらえないかもしれません。「うっ」と思っても、まず付き合ってみるのが一番です。それが続いてウンザリするようであれば、その人からの離脱もやむをえないかもしれません。

さて、このことはゲームと他の趣味との対立についても言えます。遊ぶと言えばゲームばかり、他の趣味は興味なしになっていませんか?ゲーム仲間の中には、ゲーム以外にいろいろな趣味を持っている人がいるかもしれません。視野を広げて人間の幅を広げるため、より広い交友をつくるためにも、ゲームにこだわり過ぎないことも大事です。特にいつも家族や友人にゲームを強要しがちな方は気をつけましょう。

【バネスト中野さんのご意見】
特定ゲームに固執は大問題です。おそらくゲーム会レベルやサークルではそりが合わないはずです。経験上そういった固執したプレイヤーを引き込むことは苦労ばかりですし、一緒にやっても楽しくはないです。

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4.集中しない

ゲーム中、どうしても集中力が途切れてしまうことがあります。手番がきたのにボーっとして、他プレイヤーに指摘されてはじめて気づいたりしていませんか?

これも長考と同じでゲームの流れを悪くし、無用に時間を長引かせるもとになります。前日はよく眠る、きちんと食事をとるなど体調を整えてゲームに望みましょう。

それでも夜遅くなったりして疲れてくるとなかなかテンポよくいかないものです。ちょっと中断して気分転換を図ったり、手番に時間のかからない軽いゲームをするなどの工夫をしてみるとよいでしょう。

ここで挙げたいのは、他のことに気を取られて集中しない人です。会話に興じて手がおろそかになったり、挙句の果てにマンガや本を読みながらゲームをして他のプレイヤーの不興を買ったりしていませんか?

会話はゲームのスパイスです。適度に入れることで沈痛な雰囲気になりがちな勝負を明るく、楽しい雰囲気にしてくれます。ですがスパイスが入りすぎると、ゲームの醍醐味がなくなります。会話を楽しみに来たのなら、ゲームをしないで下の喫茶店(どこ?)にでも行くのがよいでしょう。

ゲームに関係のない会話をするなということではありません。普段の仕事の話、近況報告、他人の噂話、政治談義など、コミュニケーションが取れていれば相互理解が深まって打ち解けることができ、ゲームがもっと楽しくなります。

集中していないプレイヤーを見かけたら、積極的にゲームの中身に関わる話をしてみましょう。「このコマはこれからどっちに移動したら得かねー?」「さっきの手は上手かったよー」など。話してみると本当は単に退屈していただけということもありえます。

会話をしながらであってもゲームの展開をしっかり捉え、自分の手の可能性を考えていること、それでいて会話のやりとりが弾むという器用さを身に付けられたら、きっと皆に愛されることでしょう。そういう才能を伸ばせば、仕事にも応用できるかもしれません。

【バネスト中野さんのご意見】
集中しないのは合間に休憩を取ればクリアできます。それでもクリアできない場合は、その人はその日はゲームに向いていないわけで、その場合は今日は控えるようにと言いますね。逆にガンガンやりすぎて集中力が続かない場合もあるので、EJFではあらかじめそのあたりは伝えてあります。

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5.お食事中

ゲームを愛する人は、そのルールだけでなくコマやカードにも愛着を持っています。そういうコマやカードを、ポテトチップを食べてベタベタになった手で触っていませんか?

手袋でもしない限り、指紋をつけないようにすることはできません。また、遊べば遊ぶほど少しずつ傷や汚れがたまっていくのは、商品価値云々ではないゲームとして価値のあるゲームという証拠でしょう。それがどうしてもいやならば、もう1コ買っておく、カードスリーブに入れるなどの対策を講じることです。

ただし、明らかに汚れた手で触れるのは避けたいものです。傷みが早ければ寿命が縮まり、あっという間に遊べない品になってしまいます。「あ、このトマトケチャップ(何食ったんだ?)がついているカードは青の8だ」なんてわかったら、つまらなくないですか?

対策としてはまず、ゲームにベタベタ系のお菓子を持ち込まないということです。ポテトチップだったら面をおさえなければならないカルビーよりも側面だけですむナビスコ、チョコやせんべいでもひとつひとつ袋に包まれてあって食べ物に直接触れないで食べられるものが望ましいでしょう。箸を使って食べるという方法もあります。

そしてできれば、ゲーム中はあまりばくばく食べず、終わってから食べるようにした方がよいと思います。ゲーム中ならば、汚す可能性の少ないガムやペットボトルにするという方法もあります。

同様に鼻くそをほじりながら、耳かすを取りながら、頭のフケを掻き落としながら、股間を掻きながらプレイするのも慎みたいものです。用具が汚れるという以上に、行儀悪いです。

喫煙は一概に悪いと言えませんが、灰が落ちると言う問題や、プレイヤーの中に嫌煙者がいると迷惑になるという観点から、全員が喫煙者でもない限り、しないことにした方が無難だと思います。私見ながらファミリーゲームであるドイツゲームには、タバコは似つかわしくありません。

持ち込みでやばい食べ物があったら、ゲームの持ち主が「ゲームが終わってから食べてくださいね」とうまく頼むしかないと思います。「人のものは大事に使う」ということは一般的な常識でもあるので、それ以外の手段で自覚を促すのは難しいですね。

【バネスト中野さんのご意見】
食事の件ですが、EJFではゲームテーブルでの飲み食いは厳禁です。そのためにわざわざスナックテーブルを準備します。
個人的には食事とゲームは分けます。

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6.投了状態

ゲームによっては、終盤どうしてもトップが取れないとわかってしまうことが時々あります。そんなとき、やる気を失っていい加減にプレイしていませんか?

途中まではみんな勝つことを目指して力を出し合ってきたのに、勝敗がはっきりしてきた途端、ゲームも終わっていないうちに投了にしてしまう人が出るのは、勝者にとって面白くないばかりでなく、投了にしてしまっている本人にとっても、無為に時間を過ごしている点で面白くありません。

勝敗があるからこそゲームになる訳ですが、だからといってゲームは勝敗だけではありません。勝敗に至る過程、知力と体力の全てをつぎ込み、我を忘れて没頭するところに、ゲームの魅力があるのだと思います。その過程から降りることは、楽しむことを放棄するということになりかねません。

たとえトップを取れないとわかっても、4位から3位、3位から2位を狙うことはまだできるかもしれません。最後まで諦めずに、一発逆転の妙手がないか考えてみましょう。見方を変えれば1位は皆に追いかけられるプレイヤー、ビリは皆を追いかけるプレイヤーです。立場がないことは決してありません。

一方ビリのプレイヤーがもうどうしようもない絶望的な状況に陥るゲームは、一般にゲームバランスがよくないと言えます。ビリが脱落同然になっているのに、ゲームが長引くようであれば、ルールを緊急変更して、その時点で勝敗を決めてしまうという柔軟さも時には必要かもしれません。プレイヤー全員がゲームを楽しめるように工夫してみましょう。

1位のプレイヤーは、2位や3位に追いつかれないように、ビリと協調するという戦略があります。1位ならばビリにある程度利益を与えても、1位という順位が安泰だからです。ビリのプレイヤーがこれに乗らない手はありません。積極的に1位にはたらきかけてちゃっかり利益をせしめましょう。ただ、ゲームに必然性のないお情けのような利益供与は、ゲームの興をそぐこともありますので注意してください。

【バネスト中野さんのご意見】
投了状態は問題です。個人的には本当にどうしようもないプレイヤーが出てしまったらたら、その時点でゲームは終わったと思っています。
そうでないときは、とりあえず腐らずプレイするということはマナーですね。
これもEJFでは、(特によく分からないゲームの前に)伝えております。

【のごさんのご意見】
1位とビリのプレイヤーの取引について。
ゲーム観の問題にもなるのですが、基本的には「1位とその他」だと私は思っています。非常に長時間のゲームであれば順位を考える意味も多少は出てきますが、1時間程度で終わるドイツ系ゲームでは順位より勝利を考えるべきではなかろうかと考えます。
タフな交渉をして1位を目指せるのであればビリもそういう交渉を1位と持つべきではあると思いますが(その際は他の順位者との表裏のやり取りも必要ではあるでしょうが)、2位もしくは3位に位置付けている場合に、1位がビリと交渉してビリが自己の勝利に関係なく1つ順位があがるだけの交渉をして1位をさらに強固な地位に置くような場合は気分が良いものではありません。
もちろん、1位からビリに交渉をかけるのは自由です。しかし、ビリはちょっと順位を上げるために安易に受けるべきではないと私は思いました。

【回答】
ビリになっているプレイヤーが1位を決めてしまうというキングメーカー現象や、ゲームをめちゃくちゃにしてしまうテロリズム現象は困ったものです。
ただ、「1位対それ以外」という構図と同様、「ビリ対それ以外」という構図もあります。ひとりだけ取り残されたような、寂しいような、悔しいような気分です。1日のゲーム会で何度もビリを取っていると、明るく振舞おうとしても気力が萎えていくことがあります。
そういった気分をどうプラスに転向できるかを考えたのが「投了状態」の項です。マイ目標を定めるということがひとつの解決法になると思いますが、いかがでしょうか。あとはどれだけ健全なマイ目標が立てられるかという点ですが、私の考察は不十分です。何かいいアイデアがありましたら、教えてください。

【のごさんのご意見2】
「1位とその他」と書いたのはゲームで目指すべき目標は1位でその他は2位でも3位でもそれこそビリでも変わらないという意味で書きましたが生じる現象としては仰る通りだと思います。
確かに面子やその日の体調などでも成績が振るわない時はありますね。その蓄積時のフォローはその日にとれるものを考える必要はありそうです。二度と遊んでくれなくなる可能性がありますからね。
「マイ目標」はある意味勝利を捨てた状態ですので「投了状態」との線引きが難しいですね。私がどのような「マイ目標」を定めるかというと、自分より優れているプレイヤーの手を注意して見ることで次の機会に自分が勝てる手を一つでも見つけることです。
しかし、これも前述のように2度と遊んでくれなくなりそうなプレイヤーにはそもそも無理な目標かもしれず、難しいことには変わりません。
そこで、この「マイ目標」の設定者を1位もしくはその日に何度か勝っているプレイヤーに要求するのは如何でしょうか。例えば碁では持碁という全くの引き分けの状態に意図的にもっていく練習方法があるそうです。ゲームの流れを読みきり、状況の微妙な変化に即時に対応する力が要求されます。
これをボードゲームで相手に悟られること無く接戦で勝利を収められる手を考えるという風に変換して、1位の人間にシビアな明示されない「マイ目標」とすることが出来れば上の問題は解決できるかと思われます(ただ、これは相手に気づかれれば二度と遊んでもらえなく危険をやはり孕んでいるため一般化は出来ないものだと思われます)。

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7.イカサマ論者

勝つためであれば、手段を選ばない。他プレイヤーの手札が見えてしまったらしっかり覚えておく、カードの折り目や傷み具合から中身がわかるようにしておく、1枚補充するふりをして2枚も補充してしまう……そんな非合法なやり方で勝ちをめざしていませんか?

「ばれなきゃルールを破ってもかまわない」という考えを実践して勝ったとして、その勝利にどれほどの意味があるでしょうか。確かにある種の達成感はあるかもしれません。しかしそれは犯罪を犯して警察に捕まらなかったというようなレベルでの話に過ぎません。マイナスがないという限りでの満足であって、プラスに転ずることはないでしょう。悪銭身につかずと言います。

何よりも、ルールを破ったことがばれたときの他のプレイヤーから軽蔑され、仲間を失うということがゲームをする上で最も手痛いことでしょう。

ルールブックに書かれていることだけがルールなのではありません。そんなことを全て書いていたら、ルールブックは百科事典のようになってしまうでしょう。「他のプレイヤーの手札をのぞいてはいけません」「目印をつけてカードの中身を記憶してはいけません」「他プレイヤーがトイレに言っている間に勝手に配置を変えてはいけません」「気に入らないからといって隣のプレイヤーを殴ってはいけません」……!!!

必ずしも書かれていないことはやってはいけないという訳ではありません。交渉をしてもよいかどうか、するならばどこまで交渉材料にしてよいか、などなど、プレイヤー間に委ねられていることも確かにあります。しかし、それ以前の常識として、やっていけないことは厳然と存在します。自分の良心に聞いてみてください。

もし他プレイヤーの手札が何かのはずみで見えてしまったら、忘れるよう努めるか、少なくともそれを利用した戦略を立てないようにするべきでしょう。ルールを誤解していることに気づいたら、その時点で申告します。イカサマのためにわざわざペナルティーを用意するのも興醒めですので(イカサマが絶えないようなすさまじい状況なら考えてもよいかもしれませんが……)、この点は自覚に任せるほかないようです。

【バネスト中野さんのご意見】
いかさま論者は難しいですね。じつはいかさま、わたしは分からないようにやるのは技術だと思っています。ただ公言することでもないし、こんなゲームでやるほどのものか?というのは本当のところです。
あといかさまができるレベルの腕を持っているプレイヤーが、言う割にはほんとうに少ないので、そのあたりはやれもしないプレイヤーがほえてるだけという感覚です。
いかさまは、自分はちょっと意味合いが2種類あります。
故意の場合(いかさま):1枚引くところを2枚引きに行く
過失の場合:1枚引くところをあやまって2枚引いてしまった。
過失の場合は、もちろんそれを意識しないことが重要であるとともに、手札を見られないようなカードの持ち方をアドバイスしたり、何か有利になるような場合でも、それは関係ないという姿勢は必要です。
いかさまは故意の場合なので、これには技術が伴うということで、技術と思っています。ただ今まで行われたことはあるようですが、経験上有利に働いたことはなさそうです。
置きさいころ、2枚カードを引く、カードのマーキング、その他。
ただ、どの道こんなファミリーゲームで使う技術ではありません。もったいない。

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8.個人攻撃

前世からの因縁があるのか、それともただふざけあっているだけなのかわかりませんが、いつものメンバーでゲームをするときに、特定の人ばかり狙い撃ちにしている人はいませんか?

実際の世の中で発揮したらとんでもないことになる攻撃性や闘争心を発散させるというのもゲームの役割です。ゲームの中で殺されても実際には死にませんから、安心して攻撃できます。

しかしながら特定の人を攻撃し続ける、あるいは2人だけの世界に入ってお互いに攻撃しあうのは、たとえ当人たちがそれでよいと思っていても、ゲームに参加している他のプレイヤーにとってあまり歓迎されることではありません。「勝手に内輪で盛り上がってろ」という感じです。
ましてや「くみやすし」と思った相手をいじめるような攻撃は、皆が面白くなくなってしまいます。最悪の場合、報復の連鎖が起こり、ゲームの楽しさを誰もわからないまま、すさんでしまうことでしょう。

相手を攻撃することが自分の利益につながるゲームにおいて「すさむ」ということは確かにありますが、どの相手を攻撃するかは合理的に考えなければいけません。「むかつくから」とかいう理由ではダメです。

そこで自分より上位のプレイヤー、特に1位のプレイヤーをたたくというのが基本になります。1位のプレイヤーを後退させることは、他のプレイヤー全員の利益になりますので、1位になったら集中砲火を浴びることはある程度覚悟しておかなければならないでしょう。序盤で順位があまり変わらない場合には1手で複数のプレイヤーにダメージを与える方法や、時計回りの進行では報復の少ない右隣のプレイヤーを狙うという手などが考えられます。

状況は刻一刻と変わっていきますので、誰を狙うのが得なのかを考えるところにゲーム性があり、そこから面白さが生まれるのではないかと思います。

ただしゲームに参加しているプレイヤーが完全に対等ということはなかなかありません。初心者を狙わず、経験者から狙っていくというような細かい配慮が要求される場合もあるでしょう。

【バネスト中野さんのご意見】個人攻撃はおそらく指摘される材料です。「彼有利だけど、この人を叩いてそれでいいの?」という感じですね。
ただ、ゲームによってこの手のゲームが得意な人とかいうのがあったり、席順や持っているリソースの綾で、そういう場面であらかじめ叩くというのがあります。

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9.遅刻

あらかじめ人数を決めてゲームをする予定でいるところに、「どうせ遊びなんだから」と平気で遅刻してくることはありませんか?

その結果4人でするはずだったゲームが3人になって面白くなかったり、2人しかいなくて別のゲームを選ばざるを得なくなったり、1人しかいなくてボーっとしていたりと、先に来た人が損をすることになってしまいます。

ゲーム会の前夜は興奮して眠れないかもしれませんが、寝坊などしないように心がけ、開始時刻に間に合う時間に出るという最低限の心がけはしておきましょう。

ただし仕事の都合や交通事情などやむをえない理由で遅刻してしまう状況は少なくありません。早めに出発するとか、移動時間を正確に調べておくとか、基本的な対策はあるでしょうが、不測の事態はいつ発生するともわかりません。

そこで、約束の時間に行けない可能性があることがわかっている場合や、急な事情で遅れることが確定した場合には、できるだけ早く主催者に連絡を取って、余計な心配をさせないことが大事でしょう。その際に「何時までには確実につく」という情報がわかれば、主催者としてもその日の予定を組み立てるのに役立つだろうと思います。

そして、遅れてしまった場合、その分だけゲームができないのは自分の責任だと考え、むやみな要求をしないほうがよいでしょう。それでも前のゲームがなかなか終わらず、後から来た人がいつまでも入れないのは可哀想ですので、切りのいいところでゲームを中断するなどの措置も必要になってくると思います。

これもおそらく小さい頃からいわれ続けてきた常識ですので、遅刻常習犯には何を言っても仕方ないのかもしれません。非情でも、最大多数の楽しさを追求すれば、その人が来なくてもゲームができる体制を作っておくということにせざるを得ないでしょう。

【バネスト中野さんのご意見】
遅刻かあ…遅刻したら確実に遊べるゲームが少なくなります。
この意識だけで遅刻は減ります。あなたが遅れたせいでゲームが出来なかったといわれれば、そのとおりなのです。
おそらくEJFにおいては、遅刻は意味がありません。流動的にゲームが行われるので、遅刻したらやれるゲームが少なくなると思ったほうがいいからです。

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10.おせっかい

ゲーム中、自分の手番でないのにあれこれと助言をしまくり、挙句の果てには「それはやめたほうがいいな」「こうしなさい」と指図までしていませんか?

助言はプレイヤー間に情報の差がないようにするためには必要となる場合もあります。初心者がチンプンカンプンになっていて、このまま負けたら楽しくないだろうなというときには積極的に助言していくのも必要でしょう。

しかしあくまでプレイヤーはそれぞれの人です。主体的にゲームに参加しない限り、ゲームが面白いと感じられることはないでしょう。たとえ初心者であっても操り人形にしてしまってはいけません。

ましてや経験者同士では、経験の差こそあれ勝利までの道筋がわかっているのですから、横からごちゃごちゃ言われるのは不快にとりがちですし、「結局自分の利益誘導をしてるだけじゃないか」と疑われても仕方がありません。

他プレイヤーの手番に「あー!それは明らかに悪手だ」「気づいてないかもしれないが、もっといい手があるよ」と思うことは多々あります。しかしここはちょっと口に出すのを我慢してみましょう。どうしても言いたければ、ゲームが終わってから観想戦を行って、そこで指摘すればよいのです。どの手がベストだったのか後で研究する機会があれば、皆にとって次のプレイにプラスになっていくことでしょう。

あとはプレイ中の会話の機微として、直接的な助言ではなく、ほのめかしたりするのは楽しいかもしれません。「あっいい手見つけた!」「どれどれ?」「ふふ、教えないー」……押し付けがましくならないようにやんわりと言ってみましょう。

助言に限らず、他のプレイヤーの手番に何を話すかということには、少し気を遣ってあげましょう。本人は必死に考えているわけですから……。

【バネスト中野さんのご意見】
おせっかいは問題です。理由は「わたしはあなたではありません」からです。
ある個人からの場合はそれが操作になりえます。
またいくつかの選択肢を用意したとしても、最終的に選択するのはプレイヤーのはずです。
ただしルールの理解が乏しい場合に、複数人のプレイヤーがコントロールするのはありだとは思いますが、それにしても最終的にはそのプレイヤーの決断です。
EJFでは外野は口出しするべきではないし、テーブルにいる場合でも指図に対しては自分で有用かどうかを判断してくださいと言ってあります。

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おわりに

以上書いてくると、自分でもなかなか守られていないことが多く、ゲームを楽しむためには意外と努力が必要だということを認識させられました。楽しむための努力、世の中の娯楽とはそういうものなのかもしれません。家でごろごろしていては、楽であっても楽しくはないのです。

このエッセイは、K.G.B.のるてんしとさんによる、「ボードゲーマーとしての成長のために ~ 会話という視点から ~」に触発されて作りました。るてんしとさんにお送りした感想に回答を頂き、その中で多くの面で刺激を受けました。また、わんこさんからも有益な考察を賜りました。ここに御礼を申し上げます。

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そのほか

知り合いから「こういうのも困るなあ」というのを挙げて頂きました。→は私の感想です。

公私混同(from わんこさん)
困るんですよね、最善手を取ろうとした時、
「もう、ハンバーグ作ってあげない」
そりゃないだろう。ハンバーグが好きなのは事実だが。
→ のろけでしょうか?

賭ける(from わんこさん)
「ね、ね、なに賭ける?」困りますね、こういうの。
1,000円以下程度なら問題ないような気もしますが。
→ マージャンでならしていると癖でやってしまいそうですね。

イヤミばかり口からでる(from わんこさん)
これってだれのことでしょう?
→ お互いの信頼関係にもよるでしょう。

ルールの解釈でもめる(from バネスト中野さん)
→ 多くのプレイヤーにとっては「どっちでもいいから、早く決めて再開しよう」といったところでしょうか。
社交的に振舞えない(from バネスト中野さん)
→ パーソナリティーですので、一朝一夕には直らないかもしれませんね。
道具の扱いが雑(from バネスト中野さん)
→ 5.お食事中に通じますね。
欠点ばかり挙げる(from バネスト中野さん)
→ 面白いと思った人が面白くなくなってしまいます。それならばどうすれば面白いかという方向に向かえばいいでしょうけれど。

【バネスト中野さんのご感想】
ただ、これを全部守っちゃった人とも一緒にゲームを遊びたいとは思いません。
それに、いずれも軽微ならばそれはそれでその人のアクセントとなります。
わたしはこれを、「杓子定規で守らなければダメ」、ということにはならないことを望みます。
少なくとも私の場合は、いろんな意味でまずいかな?という問題には口を出します。ゲームの展開が壊れたり、明らかにプレイヤーが不快になるような場合には言わないほうがおかしいと思っています。
あと何らかのゲーム的な疑問があった場合は、ゲームをとめてルールを当たったり、そのときの判断をプレイヤーに聞きますね。
スポーツで言うところの「タイムアウト」的かなあ?

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Takuya Ono(hourei@e.jan.ne.jp)