今年のエッセンでは、多くのワーカープレイスメントゲームが人気を集めた。『ヴァスコダガマ』『エジツィア』『カーソンシティ』『オペラ』『ダンジョンロード』など、こんなに出てはこのシステムも使い古されるのではないかと心配になるほどの勢いである。
ワーカープレイスメントの元祖は『ケイラス』だとされているが、『ケイラス』の作者W.アティアは『プエルトリコ』にヒントを得たと言っている。『プエルトリコ』も、コマは配置しないけれども前に誰かが選んだ職業はもう選べないので、広義のワーカープレイスメントと言えるだろう。
『ケイラス』の影響を受けたと見られるゲームは『大聖堂』や『護民官』があるが、最もインパクトが大きかったのは『アグリコラ』だろう。作者のU.ローゼンベルクは『ケイラス』に刺激を受け、コマ数がだんだん増えるものにした。さらに選択肢を広げた『ルアーブル』も作られる。通常、ボードゲームの開発は1〜2年かかるというから、今秋にたくさん出たワーカープレイスメントゲームは、『アグリコラ』に影響を受けて作られたものと言えるだろう。
今回『ヴァスコダガマ』のルールを読んでいて、これはPCゲームに移植できそうなゲームだなと思った。ゲームのフローチャートが明確で、交渉や競りなど、手番中にほかのプレイヤーの選択をはさむところがないし、秘密のボーナス条件などの隠蔽情報もないからである。要するにパズルゲームなのである。
単にワーカープレイスメントがこの頃流行っているだけだという見方もできるだろうが、先日読んだオーストリアの記事で別の見方もあるのではないかと思うようになった。オーストリアゲーム大賞の審査委員長ダグマー・デ・カサン氏は、ここ近年ボードゲームのルールが複雑になり、イラストやコンポーネントが豪華になっている原因を「コンピュータゲームによってややこしい手順を理解できる世代が育ってきたこととも関係があります」と推測している。今、遊ぶ世代が変わりつつあるという指摘だ。
子供の頃からテレビゲームに慣れ親しんできた世代というと、世界的に35歳以下といったところか。おひとり様用の娯楽が充実し、その恩恵を受けてきた根っからの「シングルプレイヤー」(東京おもちゃ美術館・多田館長)である。この世代が複雑なルールを理解できるかどうかは分からないが、他人との関わりや、他人からの干渉を好まない傾向はありそうだ。
子どもが一緒に遊んでいるのに、背中を向けあって携帯ゲーム機で遊んでいる光景をよく目にする。それに対して大人は「何のために一緒にいるのか分からない」とコメントする。実は通信対戦しているのかもしれないけれど、目を合わせて会話することを必要とせずに、一緒にいて楽しめるのだ。対人で遊ぶボードゲームでも、その世代が好むゲームは、自然とインタラクションが薄めのものとなり、そこでワーカープレイスメントが格好のシステムになる。
もちろん、実際はワーカープレイスメントにもほかのプレイヤーとの絡みはある。上位プレイヤーを意識して行動するわけだし、ほかのプレイヤーのほしそうなものを読んで、自分もほしいなら先に取りに行かなければならない。だが少なくとも自分の手番中にほかの人が絡んでくることはないし(あれこれコメントすることはあるだろうが)、ほかの人が大ダメージを受けても自分だけの責任にならない。その程度の絡みを快適に感じる世代が増えているのではないか。
ワーカープレイスメントではないが、同じことは『ドミニオン』にも言える。ほかの人の行動を気にしないでひたすら自分の王国建設に専念できるし(それで勝てるかどうかは別として)、攻撃は特定の誰かを追い落とすというよりは無差別的に行われる。
かつては、インタラクションの多さはボードゲームの面白さのひとつの指標であった。ところがインタラクションが少ないほうが適度に感じる人の割合が増えている。自由に特定のプレイヤーを直接攻撃できるゲームは好きではないという人ならずとも、「インタラクションが多ければ多いほど面白いというわけではない」というのが今のひとつのトレンドを象徴する意見なのかもしれない。