レビューの書き方

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

ルールをわかりやすくするための2つの方向
一時期いろいろなサイトで作られていたレビュー(ゲーム紹介)だが、このところ発表するサイトが少ない。レポート仕立てのものも含め、きちんとしたものをコンスタントに出しているのは4つか5つぐらいだけではないだろうか。少し寂しい。

確かに、どこかのサイトでやっていれば自分のサイトで繰り返す必要が感じられなくなるのは分かる。しかし、どの要素に目をつけて書くかによって、同じゲームのレビューでも全く印象が変わるものだ。長くなくてもいい、いろいろな人が書いたレビューを読んでみたい。

海外で評判のゲームが出た。メビウス頒布会などで入り始めている。どんなゲームなんだろう? 面白いのだろうか? 買うべきか買わざるべきか? 膨大なゲームの海に溺れる人たちにとって、レビューは落ち着いて海を見渡す小島となる。

さて、このごろいくつかのレビューを読んでいてとても気になることがある。それは、単なるルールの要約。ゲームの準備から、手番にすること、終了条件、勝利条件だけを書き並べただけのもの。その前後にテーマとコメントがおまけ程度。

「6ニムト」は、牛カードを取らないようにするゲームです。全員に牛カードを10枚配り、そのほかに場に4枚並べます。全員一斉に1枚ずつ出して、数の少ない人から置いていきます。1つの列に6枚並んでしまったら、最後の牛カードを出した人はその列を取らなければなりません。カードにはマイナス点の牛マークが書いてあり、10枚全部出し終わったときにマイナスの一番少ない人が勝ちです。簡単なルールで盛り上がれるので、よく遊んでいます。

…こんな風。これを読んで、遊んだことのない人が面白いと思うだろうか。いや、そもそもどういうゲームなのか分かるだろうか。そして、遊んだことのある人に何か訴えかけるものがあるだろうか?

インストならこれでよい。でもレビューはどういうゲームなのかを知らせるためのものであって、ルールを説明することが第一の目的ではない。確かにルールを記述することは必要だが、そのルールが「なぜ面白いのか」につながるべきだと思う。

ルールを「なぜ面白いのか」につなげるためには、2つの方法が考えられる。ひとつは、ルールの背景にあるテーマやストーリーから書く方法。

パレッティは天空の城を作りたくていましたが、新しい柱を買うお金がありませんでした。そこで下の階にある柱を抜いて、上の階に移していくことにしたのです。(ヴィラ・パレッティ)

この説明でゲーム内容の7割ぐらいは理解できる。アブストラクト系ではできないが、たいていのドイツゲームなら可能だろう。ストーリーリッチに仕立てたレビューとしては涼色桔梗さんのものが素晴らしい。『ボードゲーム天国』のレビューもそういった切り口だ。プレイヤーはゲーム中、何(職業、動物etc…)になるのかをしっかり説明することで、何をめざすのか(目的)、何ができるのか(手番の行動)が自然と理解できる。

もう1つ、ルールを「なぜ面白いのか」につなげる方法は、ルールが引き起こす事態を書くことだ。

自分が引きたい路線に対応する色のカードを出します。そのため、せっせとその色のカードを集めていきますが、路線の数は限られていて早い者勝ち。ほかの人に取られてしまったら、別のルートを探さなければなりません。(チケット・トゥ・ライド)

この説明はアブストラクト系でも、それ以外でも有効。簡潔なルールでシステマティックに作られたドイツ系ゲームでは、面白さの理解に不可欠とさえ言えるのではないだろうか。

逆に言えば、引き起こす事態まで記述していないルールは不要だということ。最初に挙げた6ニムトの例では、配る枚数、並べる枚数がこれに当たる。一般に何枚とか何点とかいう数字は、それが意味することを丁寧に書かない限り、いたずらに読者を混乱させてしまう。「牛マーク」などのゲームでしか通用しない専門用語も同じ。

システムに切り込んで作られたレビューとしては鷹村ナクトさんのものが秀逸。詳しいルールの中に、それがゲーム全体の中で何を意味するかがちりばめられていて、理解しやすい上に面白さも伝わってくる。

前者は読者の一般教養を、後者はゲーム経験をうまく使うと言い換えることもできよう。何も難しいことではないと思う。自分が面白いと思うポイント、伝えたいと思うことを前面に出して、それ以外のものを削ぎ落とすだけのことだ。

とはいえ私もまだまだ試行錯誤中。賢明なる読者のご意見を乞う。

シュピールボックスの例

ルールを最小限に記述することが前回の結論だったが、ドイツの雑誌ではどうなっているのかSpielbox誌のレビュー(評論)構成を調べてみた。

1.レビュータイトル
ゲーム名は小さく、その下に大文字でキャッチコピーを入れる。ゲームの内容が凝縮されていて、ゲーム名よりもイメージが湧く。

2.概要
ドイツゲームのルールブックにはたいてい最初に数行、概要説明がある。ストーリー、プレイヤーの役割、そして目的。それにほぼ同じ。盛り上げるためテンション高めのことも。

3.詳細な説明
コンポーネントの描写から始まり、手番にできること、終了条件、勝利条件。順序はルールブックで、枚数や点数など細かいことまで書いてあるが、その途中途中にそれによって引き起こされる悩ましい事態やちょっとした戦略がちりばめられている。また小見出しを入れて分かりやすくもしている。

4.評論
イラストの出来、コマの色、ルールの分かりやすさなどにコメントした上で、プレイ感や面白いポイントを述べる。特徴的なのは、同じ作者の他のゲームや、同じタイプのゲームに言及して比較する点。

5.データ
タイトル、メーカー、デザイナー、イラストレーター、人数、年令、時間、ルール記載言語、値段、そして複数の評者による10段階評価。
あとは写真豊富なのが特徴。ゲーム中の写真だけでなく、箱絵の切り抜きもでかでかと使っている。

2ページ使うがほとんどで、字数はかなり多い。しかし絵や写真も大きく(しかもオールカラー)、また簡単に知りたい人には数行の概要が冒頭にあるので煩瑣な感じはしない。ゲームメーカーの広告が1/4ページ入ることもある。

もちろんこれは経験豊富なドイツ人フリークを対象にした雑誌の評論なので、経験の浅い人も読めるレビューに直接応用できないこともあるが、骨子は同じになるのではないだろうか。

数えてみたらSpielboxは1冊に18本のレビュー、26ページ。64ページある雑誌の3分の1以上を占める。ドイツ語を読まなくてもフルカラーで眺めていて楽しい。郵便局から5,000円ぐらいの海外送金で年間購入(6冊)可。

レビューと批評

「レビュー」と「批評」の概念を区別するのは大事である。地方紙を見れば今上映中の映画やおそらく書評集が決まって日曜版に載っているだろう。いろいろなウェブサイト(今あなたが読んでいるもののように)でも同じようにゲームのレビューがある。大部分、これら全ての背後にある目的は同じこと、すなわちこの映画は見るべきか、この本は読むべきか、このゲームは遊ぶべきかということである。つまりそれらはバイヤーズガイド―それは時間やお金を費やす価値があるか―なのである。このことはさらに、レビューされているアイテムをよく知らない人たちがターゲットであることを示唆する(もちろん、これは必ずそうとは限らない。映画などをもう見ていてもそういうレビューを読む人がたくさんいる)。
一方、批評はアイテムを作品として分析し、その真価を厳しく判断するものである。『ゴッドファーザー』は『グッドフェローズ』とどのように匹敵するか。『ユリシーズ』は現代の英文学で一番の偉業か。ピカソの『ゲルニカ』が与えた衝撃とは何か? そのような批評は読者のあなたがその作品を経験すべきかどうかに関わらない。実際、そのような批評はその作品にいくらか親しんでいない人を問題外にしがちである。そのような批評が多くの美術形式に用いられているのに対して、同じことはゲームについて言うことはできない。現在まで、私はゲームに付いてこの展望と意図から書いている人を見たことがない。これがいつの日か変わっていくと考えたい。―G.Aleknevicus,『レビュー再考』(The Game Journal)

ボードゲームの発売数は増えているし、内容も洗練されてきているのに、新味に乏しいせいか本当に面白いとされるゲームはむしろ減少傾向にある。多くのゲームが「微妙」という烙印を押され、1度きりでお蔵入り。情報はウェブをかけめぐり、売り上げも伸びないから絶版も早い。絶版が早いのでメーカーは数打ちゃ当たるで種類ばかり出してくる。するとまた同工異曲のゲームばかりで「微妙」な評価がさらに増える……これは悪循環だろう。

ドイツのゲームデザイナー、カサソラ・メルクル氏はこれをデカダンス(頽廃期)と表現し、先進国ドイツでも同じことが起こっていることを示唆している。このままいけば、ボードゲーム市場は飽和状態のまましぼんでいきかねない。メーカーはこれを新規ユーザー開拓によって乗り切ろうと、シンプルなゲームと子どもゲームへのシフトや国外の重点化に力を入れているが、どうなることやら。

個人でウェブサイトを開いている人にとって、感動を生まないゲームはレビューを書く気が起きにくいだろう。国内ウェブサイトでレビュー数が2,3年前と比べて減っているのはそのためではないかと思われる。

レビューすらおぼつかないところに批評まで踏み込めるかは分からないが、私には批評を書くことがデカダンスを打開する鍵にすらなるのではないかと思われる。新作ゲームのお尻ばかり追い回して、「この要素は前に遊んだことがある」などと言って原初体験を忘れがちな今、ボードゲームの何たるかを見つめ直す時期ではないだろうか。ボードゲームの面白さに対するしっかりした理解があれば、どんなゲームでも初めてのときのように新鮮な気持ちで楽しめるような気がしている。

このことはフリークだけに効果のあることではない。新たに始めたばかりの人たちにとって批評は読んでもわからないかもしれない。しかし、ボードゲームは批評に値するものだという認識をもってもらうことは、彼らの興味を一層喚起するに違いない。ボードゲームのことをもっと知りたい、もっと遊びたいと。

カタン、ニムト、スコットランドヤード。遊び古したゲームでいい。面白さの源泉はどこにあるのか、自分の限界まで掘り下げた批評を書いてみるのも悪くない。もしかしたらその批評がもととなって、ボードゲームシーンのルネッサンスが起こるかもしれない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


reCaptcha の認証期間が終了しました。ページを再読み込みしてください。