日本と韓国のボードゲーム

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

(独フェアプレイ誌69号2004/10特集の翻訳)
2003年エッセン、ツォッホのブースでは3人の日本人がバンボレオやヴィラ・パレッティなどを全く当たり前のようにしてきわどいプレイをしているのに出くわす。日本ボードゲーム大賞のさまざまなカテゴリーでドイツのゲームが上位をほとんど占める。「ダ・ヴィンチ・コード(※アルゴ)」で日本発のゲームがドイツでも最高の評価を得る。ライナー・クニツィアが韓国の市場だけのためにゲームを発表する。「蒸気の時代」の韓国ボードが登場したり、いわゆる「ボードゲームカフェ」の驚くべき噂を耳にする……
その頃ドイツは相変わらずの文句が続く。なぜゲームがどんどん高くなるのにシンプルになっていくのか、なぜクラウス・トイバーが真の新作を何一つ発表しないのか、なぜリメイクと拡張ばかりなのか、なぜライナー・クニツィアは全く年間ゲーム大賞を受賞しないのか、なぜ(年間ゲーム大賞の)審査員は間抜けばかりなのか、なぜフェアプレイ誌は読みにくいのか……。今はこんな不可解な国内の不幸をしばらく置いておいて、極東を見てみよう。
「『アド・アクタ』の件で日本からも連絡をもらったわ。」個人メーカー・ビーウィッチトのアンドレア・マイアーは語る。「日本はそれまで一度も私の視野に入ってなかったけど、いきなりディーラーのバネストがたくさん注文してきたのよ。」そこで20~30個をマイヤーは日本に輸出した。少ないように見えるが、全部で販売したのが約1000個、特にシュリンクのないドイツのみのゲームという中では十分に大きな数である。それからアジアとの連絡は途切れていない。誰かが『ルドフィール』のルールを日本語に訳してネットに公開してよいか聞いてきたり、韓国人が通販カタログのために資料を請求したりしてきている。
「韓国からの問い合わせがとても多いね。」コスモスの広報担当、フリッツ・グリューバーも認める。「メーカーが手を挙げてゲームのライセンスを買いたがっているし、新聞やオンライン・マガジンも連絡をくれる。これは本当に新しい展開で、問い合わせが真面目なのか否か見分けるのが難しいときがあるくらいだ。」
ドライマギア・シュピーレの社長ヨハン・リュッティンガーはもう何年もアジアと連絡を続けている。「発売したうちの約半分は海外で売っているけど、そのほとんどは日本向けで、そこでの評価も高いよ。私たちの友でありデザイナーであるアレックス・ランドルフは日本に理解のある人だった。彼はそこで7年過ごしたんだよ。」彼のメーカーの利点としてドライマギアの小さな箱があるとリュッティンガーは見ている。「日本人は家の中にあまり空き場所がない。その上小さな箱は輸入コストを節約できるんだ。貨物は大きさで計算するからね。」
リュッティンガーもブームを感じている。2004年のニュルンベルグ・トイフェアでは極東からドライマギアの小さなブースにあいさつに訪れる人が前より増えた。アジアのディーラーはヨーロッパ人やアメリカ人とやり方が全く異なる。「1つの会社からいつも10人もやって来るんだ。そして商品をいくつか、ちらちらと見ていくだけじゃない。どのゲームにも最後まで詳しい説明を求めて、そこに腰を下ろし、じっくりとテストプレイしていく。こんなことをするのは日本人と韓国人だけさ、あ、あとベルギー人もな!」
『ごきぶりポーカー』は2004年にニュルンベルグで試作品が展示され、好評だった。「アジア人はブラフゲームが好きなんだね。」リュッティンガーは笑いながら語気を強めて、ゲーム中に謎の微笑を浮かべながら耳の上の皮がひきつっている日本人の話をしてくれた。またリュッティンガーはこのゲームに登場するカマキリが日本人にとって全く不快なものではないどころか、神聖なものと考えられていたため、製品版では別の虫に置き換えたという。韓国のディーラーは『ごきぶりポーカー』をとても面白がり、韓国語ルールを付属すれば600個注文する見込みであるといった。このためゴキブリポーカーのルールブックにはドイツ語・英語・フランス語・イタリア語のほかに、まずありえない韓国語ルールが付いた。注文は即座に行われ、600個が韓国に発送された。
日本での『カタン』
メッセでの奇妙な出来事をフリッツ・グルーバーは回想する。「あれは97年のニュルンベルクだった。日本人が1日中、奥さんと子ども2人でブースに来て延々と『カタン』をやっている。どうなっているのやら不思議に思ったよ。そうしたらその後に注文が来たんだ。5万個も!」
『カタン』ははじめトライソフトのレーベルで日本市場に登場し、99年には『街と騎士』の拡張も出た。それからカプコン(トライソフトと全く同じく、本当の意味でのボードゲームメーカーではなく、コンピュータやプレイステーションのゲームメーカーである)が引き継いで2002年、新しい日本のデザインで発売。カプコンの当時の取締役だった岡本吉起が販売を担当した。先進的なコンピュータの世界からやってきた彼は、『カタン』の作者であるクラウス・トイバーと会いたいと思ってやってきたが、ドイツのボードゲームビジネスの外見がいかにみすぼらしいかに驚く。フリッツ・グルーバーは語る。「岡本氏はそういうわけで3人のカプコンの首脳と『カタン』の王様のところにやってきたんだが、質素なテラスハウスを前に少なからず唖然としていたね。これが『カタン』の宮殿かと。そして岡本とカプコンの首脳を待ち受けていた次のカルチャーショックはね、ご存知のとおり彼らが泊まったオーバーラムシュタットで一番のホテルさ。オーバーラムシュタットで一番のホテルは田舎旅館でね。そこは大きいホテルに比べれば快適さも気晴らしもない。カプコンの経営者たちはずっと1つのことをやっていたんだ。一晩中『カタン』をね。」ドイツメーカーの同じような見込み違いをヨハン・リュッティンガーは体験する。韓国のメーカー、ペーパー・イヤギからの使節が2003年、いきなりフランクフルト国際空港から電話をかけてきた。「ユールフェルトはどこですか?」ドライマギアへの行き方を彼らは尋ねた。そこで「世界で一番美しいゲームが生産されている工場」を見学するつもりだったのだ。それにアレックス・ランドルフとユールフェルトで会えることを期待してもいた……。
逸話はもう十分だろう。何がカプコンのようなソフトウェア会社の巨頭をトイバーのテラスハウスに引き寄せたのか? 明らかにトライソフト版『カタン』の売り上げは心を動かすものであった。『カタン』をカプコンが手がけたのは、ひとつにはコンピューターフリークに何か新しいものを提供するためだったが、何よりも非ゲーマーの領域に入っていくためであった。どちらにも知られるビッグネームとしてカプコンは巨大な広告キャンペーンを展開する。インストラクター付きの体験会を公開行事として行い、広告を打ち、大会を開いた。通常ありえないことだが、注目を集めるため、ビデオ・CDショップなど若いターゲット層が集まるところでも『カタン』を紹介した。それどころかドイツでも、『カタン』世界大会のスポンサーとしてシュピール’03で世間の注目を浴びた。
ラベンスバーガーなど、ドイツのゲームは『カタン』の前からも日本に入っていた。しかし『カタン』はドイツ製ゲームへの関心、特にアメリカや日本の製品に満足していなかった人たちの関心を著しく引き上げた。やや難易度の高いゲームも視野に入り、その結果中小メーカーも注目されるようになった。まだイギリスやアメリカのゲームを見ていた、見ざるを得なかった世代以前のドイツのゲーム愛好者のように、日本からの視線は今ドイツに注がれている。
日本のゲームサイトplay:gameの佐藤朗は自国のボードゲームに関する見方を以下のように記している。「ヨーロッパのゲームは全く新しいゲームスタイルを日本にもたらしました。コミュニケーションを活性化し、同時に知性も挑戦され、プレイヤーの競争のかたちを提供します。創造性のないコンピューターゲームに熱中している日本人もいますが、ボードゲームは面白いです。とても社交的ですし、未知のものですし、くつろいだ雰囲気を広めます。また外国製で木製とくれば、教育的によく文化的にも意義があると考える人も多いです。」
材料の質とゲームアイデアがドイツゲームの成功にとって不可欠の前提であることはいうまでもないが、さらに技術的な要素が後押しする。ワールド・ワイド・ウェブの驚異的な進展である。インターネットでゲーム愛好者は必要な情報の全てを手に入れ、ゲームの情報交換ややルール質問ができるばかりか買うこともできる。ドイツと日本の間の物理的な距離はネットによって日本の愛好者間ぐらいの距離に短縮された。日本はドイツよりも国土面積が広く、ゲーム愛好者の人口密度は低いから、きっとそれぐらいの距離だろう。
ペーパー・イヤギ
同様に、ほんの何年かあとだが韓国でも急速な発展が見られた。ここでも『カタン』がパイオニアとして大きな役割を果たしたが、韓国でこのサクセスストーリーの陰にあったのはメーカーではなく、ボードゲームカフェであった。
話は少し前に遡る。80年代は韓国版モノポリー『ブルーマーブル』が広く流行しており、ボードゲーム業界は小さなブームを支えていた。しかしそれはコンピュータゲームの出現によって突然消え去り、90年代に韓国のボードゲームはほとんど存在しなかった。キノコのようにコンピュータゲームのホールが生まれた。ここで大部分の若者たちがレジでの支払いに汲々とする。社会的にPC房は一部で問題となっていた。というのも若者たちは何時間も座ったまま、中毒患者のようにこの暗くてタバコの煙でいっぱいの部屋にこもり、その姿勢も次々と変わる画面も健康によくないことこの上なかったからである。
ユン・ジユンも熱狂的なプロのオンライン・ゲーマーだった。彼女は大学で心理学と教育学を学んだ後、趣味を職業にしてこの種ゲームの開発者として働いた。仕事の関係でボードゲームのルールを分析し、そこでためしに遊んでみたとき、それは起こった。ある考えが閃いたのである。
「オンラインゲームでは全て結果だけが焦点になります。一方ボードゲームはずっと人間的。直接相手とコンタクトを取り、お互いに話すのです。」ユンはザ・コリア・タイムズのインタビューで彼女が新しく発見した情熱を捧げるものの魅力をこう語っている。当時29才だった彼女は将来の見込みがある仕事を投げ出し、貯金をかき集め、その上さらに借金までして2002年4月、家族の反対を押し切ってソウルの小さな地階に「ペーパー・イヤギ」をオープンした。これが韓国初のボードゲームカフェである。
やっと『カタン』の話に戻る。このゲームから韓国で全てが始まったといわれている。どうしてそんなことが可能だったのか? いたって単純であるとボードゲームサイト「ボードウォーク」管理人、シン・ユウは語る。「『カタン』はユンさんのお気に入りのひとつだったからです! 滑稽に聞こえるかもしれませんが、彼女のカフェは始めとても小さなお店でしかありませんでした。走り出しは親友たちによって支えられていたのです。このことを考えなければなりません。」ペーパー・イヤギはいわば出発点だった。以前にも韓国にはひとつかみ程度のゲーム愛好者がおり、ペーパー・イヤギでこの小さな前時代の人たちから新しいゲーム愛好者世代が育った。「韓国のボードゲームシーンの始まりはとても小さくて、少数の人たちが全体のゲームシーンに大きな影響を及ぼすことができました。」ユウは語る。先駆者たちは面白がってくる新顔にお気に入りのゲームを教えたが、『カタン』はいつもそこにあった。「草分けの人で、ペーパー・イヤギで『カタン』を遊んだことを思い出せない人は1人もいません。」とユー。
しかしもう、たった1,2年経っただけでこれは太古のメルヘンである。ユン・ジユンのアイデアは巨大なヒットになった。今日では韓国に何百ものボードゲームカフェが存在する。ゲーム愛好者は何千にもなる。そのうちユン・ジユンは古い地階をとうの昔に手放し、今は同時にいくつものカフェを経営している。ペーパー・イヤギは今やメーカーや輸入業にも進出した。
韓国のボードゲームカフェブーム
いったいボードゲームカフェとは何なのか? 簡単にいえばゲームがある入場料制のカフェだ。入場時刻をカフェの入口で書きとめるか、チップカードに記録する。1時間いればだいたい1ユーロ。もっと長くいられるカフェもあるし、フリードリンクを料金込みにしているところもある。アルコール類は一切なく、食事も軽食。完全禁煙か、または喫煙ゾーンを別に設けている。インテリアは実にさまざまだ。ぴかぴかに磨いてお洒落でモダンな感じにしているところもあれば、丸太のチェアやソファで住まい感覚のところもある。規模もいろいろ。小さくて人目につかないカフェは机10個でいっぱいになるし、もっとたくさんの机がずらりと並んでいるホールのようなところもある。
大事なのは従業員だ。というのもここでは料理を出す仕事だけではないからだ(セルフサービスになっているカフェすらある)。カフェの従業員はゲーム選択の相談に乗り、ルールを説明し、必要とあらば一緒にプレイしている。ボードゲームカフェは通常50~150のゲームを常備しており、パンフレットでカテゴリー別リストに写真と短い説明が付いていて、ここから料理のメニューのようにして選ぶようになっている。熱心な愛好者には自分のゲームを持ってきて遊ぶ人も。
カフェの主な顧客は大人の若い層だが、女性を見かけることもある。通常カフェは正午から早朝まで空いており、たいていの客は夜の時間にやってくる。ボードゲームカフェは映画館やバーと同じくように、20~35才の人たちにとってごくありふれた夜の楽しみのひとつ。ボードゲームカフェで1日を終えるというわけだ。
韓国のボードゲームカフェ文化について詳細に記した記事(ザ・ゲームジャーナル)の中で、韓国在住アメリカ人のトム・ヴァーセルは、カフェを訪れる3分の2が女性であると報告している。カフェの代替としてタバコの煙でいっぱいのPC房を見たら、この高い割合に驚く人は少ないかもしれない。ボードゲームカフェの雰囲気は比べ物にならないほど安心でき、くつろげ、何よりもコミュニケーションが多い。カフェは初デートにも適している。なんと言ってもボードゲームを覚えるのに全く困ることがない。しかし通常カフェを訪れる人は1人ではなく、2人や友達グループであることが多い。週末は家族もやってくる。
ボードゲームカフェが流行しているため、ソウルでは今、どんどん多くのカフェが通りのお互いすぐ近いところに林立している。もはやオーナーの全てがボードゲームへの愛で心を満たしているわけではない。ウォンを儲ける手っ取り早い手段としてカフェに期待を寄せ、次から次へと開店する。「もう多すぎます」とユウ。「カフェがあと2年もつかという議論もすでにあります。韓国は流行に熱しやすく冷めやすい国。その上愛好者が経験を積むほどボードゲームカフェの助けは要らなくなってきます。そうなれば友達同士、どこか他の場所で遊ぶのがよくなるでしょう。ハードコアな愛好者の多くはカフェで文句が出るまでハリガリを遊びたい人がいることにも苦情を言っています。」
愛好者とゲーム
韓国のボードゲーム愛好者はこのため2つのかなり異なるグループから構成されている。一方は正真正銘のファン。「彼らは新しいゲームを知るのに燃えており、外国語のテキストが入っていてもゲームを買います。」ユウはこの層を説明する。「彼らはアレアや2Fのゲームを遊び、またルールを翻訳し、韓国語テキストのゲームエイドやカードに貼るシートを作ったりもします。」この手の愛好者のコミュニケーションと組織はインターネットコミュニティーで行われ、メンバーは定期的に長時間のゲーム会に集まり、ボードゲームカフェにも足繁く通う。このようなハードコアな愛好者の多くはPCゲームも遊ぶ。ボードゲームは彼らにとって新しい、これまでにない、より知的なかたちでの挑戦を意味しているのだ。
もう一方は流行を追うカジュアルな愛好者。ボードゲームカフェでしか遊ばない。ユウは語る。「彼らはゲームに努力を注ごうとはしません。単に楽しさと会話を求めているだけです。」家族行事としてのボードゲームは韓国では知られていない。よくないことに、ここではヨーロッパの環境に比類するような家族生活がない。親と子どもはお互い別々にいろいろな行事に参加しており、そのため余暇を一緒に過ごすことは稀である。
日本も同じようなことが当てはまる。人々はとても忙しくて、我々(ドイツ人)よりも余暇が少なく、家族一緒に行動することも少ない。しかしこちらでは親が子どもゲームに関心をもっている。佐藤朗はこの現象を以下のように説明する。「日本ではよい大学に入るのがとても難しく、そのため日本の親は早期教育を重視しています。何であれためになりそうなものにはお金を惜しみません。他方、日本では学生になると比較的たくさんの暇ができます。だからなんといってもハードコアな愛好者の多くは学生なんです。」
韓国のようなボードゲームカフェは日本にない。たしかに日本では時折ボードゲームを遊べるカフェやインターネットカフェもあるが、プライベートで友達と遊んだり、たいてい月に一度のゲームサークルで遊ぶのが普通である。このようなゲーム会は規模にもよるが、50人ぐらいにまでなる。多くの愛好者はインターネットで知り合いになり、連絡もこれで取り合い、新作を探したり、ゲーム会の約束をしたりする。
韓国と違って日本ではボードゲームが完全には死ななかった。しかしここでもコンピュータゲームが依然として著しく大きな位置を占めている。それは『カタン』でも変えることができなかった。確かにボードゲームは活気づいているが、日本のボードゲームサイト管理人・小野卓也は過剰な期待をいさめる。「たくさんの人気を集めているのは『カタン』ではありません。ほとんどの日本人は『ウノ』、『人生ゲーム』、『ダヴィンチコード』(アルゴ)のような相変わらずシンプルなゲームを好みます。」これもボードゲームを遊ぶとしたならばという話。
このことにはラベンスバーガーの輸出マネージャーも同意する。「我々のようなボードゲーム文化は日本にはないよ。」とヘルマン・ブルンス。「そこでは全く新しいものなんだ。だから今のところ市場はまだとても小さい。参入して報われたということはまだほとんどないね。でも我々は将来の市場として見ているし、ボードゲーム文化を日本に確立したいものだね。」チャンスを見込む国としてブルンスは中国とインドも挙げる。「アジア社会は変化しているところだ。上層階級の経済力は上がっているし、余暇もだんだん増えている。でも市場が成熟するまではまだ5年、ややもすると20年かかるだろうね。それは分からない。今のところは中国で車とか携帯とか、ぜいたく品がブームになっているけど、ステータスの証拠になるんだね。ボードゲームはこの段階ではまだおよびでないよ。」
ラベンスバーガーは、未来の市場であると同時に「ニッチな市場」とも見ている。すなわち熱狂的な愛好者たちのことである。非常に小さく、一般的ではないグループ。というのも当時、初の完全韓国語版が出たラベンスバーガーのゲームは『プエルトリコ』だったからだ。そのような韓国語(または日本語)版を異国情緒たっぷりだろうと思ったら間違いである。ラベンスバーガーはデザインをそのままに、文字だけをその国の言葉に変えただけ。日本版は約20タイトルあるが、だいたいラベンスバーガーの通常のラインナップの系統である。例外は『Nobody is Perfect』のようなテキストだらけのゲームがないぐらいのわずかなものだ。
他のメーカーでは面白いことに割合が逆になる。アミーゴでは『ハリ・ガリ』、『ロボ77』、『ボーンハンザ』の韓国語版があるが、それに対して日本語版は1つもない。ハンス・イム・グリュックの『カルカソンヌ』は韓国語版があるが、日本語版はない。そしてクイーンからは『ヘクセンレンネン』が韓国語版になっているが、ここでも日本語版はない。理由は? 「日本人はどうしても日本語版がほしいというわけじゃないね。」ヨハン・リュッティンガーは語る。ドライマギアでも同じように日本語版を出していない。「彼らはむしろ異国情緒を求める。ボードゲームもそうで、ルールの訳があればいいんだよ。」
いずれにしても日本市場はほとんどのドイツメーカーにとって新天地だ。これまでまったく積極的に考慮してこなかったテーマだし、今も積極的に考慮することができていない。ハンス・イム・グリュックの編集ディルク・ガイレンコイザーは同社の姿勢についてこのように言う。「我々はあちらから問い合わせが来るのを待つ。我々の方から誰かに連絡を取ったりはしない。それをするには会社が小さすぎるからね。外国にターゲットを定めて出ていくにはもっと社員が必要だろう。」
なぜ多くのドイツメーカーが自社ゲームの日本語版を出さないか、このことが全てを物語っている。しかしどうしてそれに比べて韓国語版は驚くほど多いのだろうか。日本におけるドイツのボードゲームの市場が継続的に成長している一方で、韓国の市場は去年、突発的に沸騰した。韓国からドイツのゲームメッセに訪れる人が増え、あらゆるところで新しい会社やボードゲームカフェのチェーンから代表が自己紹介をし、できるだけ早くできるだけたくさんボードゲームのライセンスを取得したり、さらには権利を買おうとまでしていた。ボードゲームはライバルのボードゲームカフェを蹴落とすのに必要であり、韓国語特別版は広く一般の人に苦労なくゲームを始めてもらえるようにするために必要だった。このブームの結果、短期間で韓国語版ドイツゲームの衝撃が一般に広がったのである。
しかしドイツのゲームの大部分は日本と全く同じく韓国でもオリジナル版で、各国語のルールが付いただけで発売される。翻訳をするのは現地のディストリビューターだ。それ以外のドイツゲームは英語版が入手できたり、日本語・英語版や韓国語・英語版で発売されたり、あとは特に小さいメーカーのゲームや古いゲームがあるが、愛好者たちはともかくネットでルール翻訳があることを望まなければならない。しかし真のフリークにとってこれは大したことではない。「ハードコアな愛好者は、英語版があったとしてもドイツ語版を買う人だって多いです。」と佐藤朗。
大部分において、ボードゲームの選択や好みは日本と韓国で変わらない。小さな違いは韓国ではウォーゲームの人気がないことだ。トム・ヴァーセルはこのゲームの攻撃的で破壊的な性質が韓国人の社交的なゲームスタイルと極端に相容れないのだろうと推察する。もちろんそれにもかかわらず『メモワール’44』や『アクシス&アリエス』を遊ぶハードコアな愛好者はいる。むしろシステムの問題が隠れているのかもしれないと、ユウ・シンは「システムかストーリーか」という記事で考察する。韓国のゲームシーンにおいてドイツのゲームはアメリカのゲーム(たいていのウォーゲームも含む)より一般に好まれる。典型的なドイツのゲームではゲームのシステムとメカニズムが魅力を支える。システムを把握すれば言葉の壁は小さなものだ。典型的なアメリカのゲームはストーリーによって命を与えられている。歴史的な知識を前提とすることがあるが、皆が知っているとは限らない。また雰囲気を出すためのたくさんのテキスト(カード、ルール……)もあり、言葉の問題をある。
日本ではウォーゲームを怖がる人はいない。むしろ長い間ウォーゲームが日本のゲーム製作の大部分を占めてきた。しかし日本の通常の愛好者に遊ばれてきたのはトランプである。メカニズムが全く分からないものはなじめないという人が多い。
ゲームを買う
韓国でドイツのボードゲームを買いたい人は、たいていオンライン・ショップを利用している。ソウルでも数少ないホビーショップに至るまで、このようなオンライン・ショップが顧客との交流のために店舗まで用意するということはない。大きい百貨店はメガマートの方法で売っているが、それもモノポリー、ウノ、人生ゲームのようなゲームだけ。しかしこれはゆっくり変わっていくかもしれない。カルカソンヌもそのうちにこうした店に現れ始めている。
オンライン・ショップはボードゲームに興味があり特定のゲームを探している顧客を前提にしている。しかし極東の大部分の人たちはこれに該当しない。したがって今はまだそのような初期段階にある市場を獲得するには、別の販売方法を選ばなければならない。ラベンスバーガー社はディストリビューター向けにいわゆる「ホームパーティ」を組織している。「お得意様パーティーのようなものだと思ってもらえばいいよ。」ヘルマン・ブルンスは語る。「たいていはプライベートだけど、学校や幼稚園で皆に集まってもらってラベンスバーガーのゲームを紹介するんだ。そこで一揃いで買えるようなセットをいろいろ用意する。このセットは限定版コレクションになっていて、入っているゲームはお店では買えないんだ。」これにはセット購入後に係員が1度、家まで訪問してゲームを簡単に説明してくれるサービスも含まれている。
ボードゲームカフェもゲームを売っている。だがこれがカフェの生存基盤を脅かすことになると思っている人は誰もいない。自宅でのプライベートなゲーム会が韓国の習慣としては全く対極にある以上、家でのボードゲーム文化もまだ始まったばかりだ。だからカフェにあるゲームを遊ぶために買う人は少なく、ましてやコレクションのために買う人などもっと少ない。しかしユウ・シンはこのようにも考えていない。「結局はボードゲームカフェが、もっと興味をもった人がゲームを買うのを妨げています。ボードゲームカフェが代理としてゲームを買い、それを愛好者に貸しているのです。」
日本でもゲーム購入の大部分はオンラインで行われている。基本的にドイツのゲームを輸入しているのは3店ある。1番大きいのは東京のメビウス、次に名古屋のバネストと広島のプレイスペースが続く。これらの店はゲームルールの日本語訳も手配している。そこは完全な共同作業になっている。たいていはメビウスがほかに納品するというかたちだが、ゲームと翻訳を相互に交換し合う。市場はまだ小さい。『カルカソンヌ』が3000個売れたのがメビウスでこれまでに売れたドイツゲームの最高記録である。
日本のゲームはトイざラスのようなおもちゃ屋さんやデパートで買う。しかしそこにある品物はオリジナリティとしては輝きがない。「日本はボードゲームやカードゲームの発展途上国です。」小野卓也は残念そうに言う。「将棋、碁、麻雀、リバーシ、ウノ、モノポリーは売れていますが、新しいゲームはめったに売れません。」
輸入品としてドイツゲームは予想通り我々よりも高い。日本は韓国よりさらに高い。小さいカードゲーム(アドルングのようなもの)でさえ、オンライン・ショップの価格から計算すると11ユーロを下らない。コスモスの2人用ゲームで20~25ユーロ、大箱ならば40~55ユーロ以上する。そしてこれがすでに直接輸入の最安値なのである。仲介業者を挟んだりすれば、もっと値段が上がってしまう。
独自のシーンが生まれる
ボードゲームは日本と韓国でずっと昔からの伝統をもっている。今日に至るまで日本でたいへん好まれているのは碁や日本チェス・将棋、麻雀であり、韓国でも碁や韓国チェスに人気がある。現代のボードゲーム愛好者がこれを単なる「昔の人の趣味」といって笑おうが、これらのゲームは広く浸透しており、社会的にも認知されている。我々のスカートやチェスに比肩するどころか、それ以上だ。韓国ではどのテレビ局も24時間放送で碁だけを放映しているし、日本でもスポーツ番組以上に放映時間が長い。
現代日本のボードゲームとカードゲームはほとんどの場合、コミックや特撮のキャラクターに基づいている。『遊戯王』は我々のところで最も有名になった例だ。しかしそのような大衆向きのもののほかに時折、最新のデザイナーズゲームが入ってくる。若杉栄二の『ダヴィンチコード』(邦題:アルゴ)は学研から発売された。学研はボードゲーム専門ではなく、教育分野で本や雑誌その他を提供している会社である。このような会社の背景のためにこのゲームは書籍流通でも販売でき、広い認知を得た。我々のところよりもアメリカで有名なものとして『マーメイドレイン』~刈谷圭二、安田均作の配置と海底発見ゲームがある。
「我々はまだ学習と模倣の段階にあります。」日本のボードゲームシーンの位置づけについて小野卓也は述べる。「外国のボードゲームを輸入して、これを見本に自身のものを育てようとしています。」しかし日本のボードゲームメーカー~たいていはボードゲームを片手間にやっている程度のおもちゃメーカーだが~は、ヨーロッパタイプのボードゲームにこれまであまり興味を示していない。アメリカのベストセラーの日本版を作るか、シンプルなアイデアを社内の開発チームで製品化するかのどちらか。デザイナー意識はまだない。だから日本の若いデザイナーは自分のゲームを大きい会社にもちこむチャンスがほとんどない。
このため、そうこうしているうちに小さい会社が活躍し始めている。グランペールは8つのゲームを自信をもって提供している。1タイトル300部という生産数は確かに少ないが、会社のプロジェクトの裏にはさしあたり商業的な関心をさておいて、新しいデザイナーを紹介するという意図の方がずっと大きい。コンポーネントの質もだんだんよくなっている。最初のボードは紙に白黒印刷だったが、そのうちヨーロッパスタンダードを意識するようになってきた。また遊宝洞は2003年、エッセンのシュピールで『伝説のかけら』と『仮面舞踏会』というカードゲームを出展した。前者はフェアプレイのメッセレポートでも取り上げている(66号、80ページ)。
日本のメーカーの構造のため、デザイナーが国内のボードゲーム市場に参入するのが難しいとしても、海外に出るには世界中で見られる言語の壁が問題となる。ドイツやアメリカの誰が、日本のボードゲームを覚えるためにたいへんな苦労をするというのか。良質の翻訳やさらには多言語版は日本では全くない。少数の版では努力がたいへんでも儲けにならず非現実的だ。
東京ではここのところ毎年、ボードゲーム、カードゲーム、ロールプレイングゲームのための1日だけの小さいメッセ「ゲームマーケット」が開かれている。ここでは愛好者、小さいメーカー、デザイナーたちが集まってゲームのアイデアを発表する。今年は入場者600人、56ブース、出展者150人がゲームマーケットに参加し、両者とも絶えず人が行き交っていたようだ。会場の雰囲気を佐藤朗は「プロフェッショナルではないが、家族的」と表現する。
そのうちにカラー印刷のボードゲーム雑誌「ボードゲームパラダイス」が出版され、書店で販売されたが、半年の間隔をおいて2号が出た後、再び足踏みすることになった。外見としてボードゲームパラダイスは雑誌というよりもカタログだ。160ページ、上質の紙、たくさんの写真。レポートやゲームデザイナーのインタビューのほか、何よりも120タイトルの批評が光っている。値段も分量並みで、1冊約20ユーロする。出版コストがかさんでいるのに比しておそらく広告収入が非常に少ないのがこの価格設定の理由だろう。出版社は5000部販売したと公称するが、雑誌にしては明らかに多すぎる数だ。しかし今のところそう見えるだけかもしれない。この雑誌は前の編集者のまま、別の会社に移って新しい名称「ボードゲームキングダム」として帰ってくることになっている。
ほとんどゲーム店でしか買えない小さな出版物として「シュピール」がある。編集出版をするゆうもあは、ボードゲームを日本に広めるという目的を持ったNPOだ。この目的に沿って「シュピール」も子どもゲーム、ファミリーゲームをとても詳しく紹介している。3番目の雑誌として「バンプレス」も、2003年まで3ヶ月に1度、11号まで発売されていた。いずれにせよ日本のゲーム愛好者の主な情報源はインターネットのままである。
2002年からゆうもあは4つの部門で日本ボードゲーム大賞を与えている。選考方法は専門家と一般投票の複合だ。ゲームショップがゲームをノミネートし、ゆうもあで組織したゲーム愛好者がそこから選ぶ。2002年には152名が投票し、2003年にはもう352名になった。これまでの受賞作を挙げると、ビギナー向けのベストゲームとして『トランスアメリカ』(2002)、『コロレット』(2003)、上級者ゲーマー向けのベストゲームとして『プエルトリコ』(2002)、『宝石商』(2003)、日本版のベストゲームとして『ブロックス』(2002)、『アップルトゥアップル』(2003)、ベスト子どもゲームとして『穴掘りモグラ』(2002)、『ネコとネズミの大レース』(2003)となっている。
韓国のゲームシーンはもっと初歩の段階だ。まだ2年前から始まったばかりなのだからおかしくはない。CZソフトとペーパー・イヤギは『チグリス・ユーフラテス』、『ボーンハンザ』、『カフナ』、『カルカソンヌ』などドイツ(とアメリカ)ゲームの韓国語版を発売している。しかしゲームのライセンス取得を取った業者が自ら生産するようになると、これも退化するかもしれない。韓国のゲームデザイナー、ジョン・ヘクォンは言う。「『バーンレイト』(アメリカのカードゲーム)の韓国語版が出てから、こんなことが起こりました。韓国語版が売れないのに、英語版の方が売れてるんです。それはコンポーネントの問題です。韓国語版の『バーンレイト』でゲームを覚えますが、カードの質のために買うなら英語版の方が好まれました。」ライセンス取得生産にはさらに、販路が少ないのも問題。それらのゲームはまだマス市場までは達していない。たいていいくつかの店やカフェに限定されたままだ。
韓国でも小さいメーカーが活躍し始めてきている。先端を行くのがダゴイとナムハナである。ダゴイは三王国の物語によるTCGのほかに韓国の歴史ボードゲームを生産予定だ。ジョン・ヘクォンはこのメーカーでプロダクトマネージャーとして仕事をしているが、この王国ゲームが韓国で最初の現代オリジナルボードゲームとして芸術省の賞を受賞したのだと胸を張る。それどころかハイデルベルガーとの協力でこのゲームのドイツ版が計画されており、エッセン・シュピール2004でお目見えすることになっている。
ナムハナは配置ゲームの『マシュマロ・ベーカリー』と、伝統的な韓国ゲーム、ユンノリのリメイクである『太陽と月と星の物語』を発売している。ユウ・シンはこの発展を前途有望であると期待している。「後進のゲームデザイナーが何人かいて、継続的に自分のゲームを改良しようとしています。最近何人かがナムハナに参加しました。まだ若い会社ですが、彼らの支援でゲームをよりよく改良できるようになったと思いますよ。」
ペーパーイヤギは別の道を行く。この会社はクニツィアのゲームをいくつか限定契約することに成功したのである。2003年にユン・ジユンとライナー・クニツィアはニュルンベルクのおもちゃメッセで会い、その後いくつかのライセンス契約を結んだ。そのうちに最初のゲーム、『ドラゴンマスター』が登場。続きも予定されている。『ドラゴン・マスター』は2人用の小さくて時間の短い戦略ゲームで価格は約3ユーロ。大雑把に言って、これまでのクニツィアゲームのミックスである。『ショッテントッテン』のようにカードを並べ、その組み合わせで相手に勝つようにする。市場の商人のように両プレイヤーは5×5のマスを用い、垂直と水平の方向に得点計算する。
未来はあるのか?
アジア社会の最も大きな特徴は調和を強く重んじることだ。ここで個人主義はなじみがない。縁故、共同体、仲間が我々よりずっと大事にされている。ゲームシーンにとってこれは諸刃の剣であるとユウ・シンは分析し、ソウルでボードゲームカフェを経営しているアメリカ人ブライアン・リッジが気付いたことをこのように報告する。「彼はこんななるほどと思わせる韓国の体験を話してくれました。誰かが友達に余暇を一緒に過ごそうと提案すると、全員すぐに集まるんです。それがボードゲームカフェだろうと、映画館だろうと、カラオケだろうと。アメリカでは、彼によればそんなことは絶対ないといいます。そうじゃないと誰が言えるでしょう!」
このように調和を重んじることはさしあたりボードゲームには役に立つ。人々は新作を試したがり、その上ボードゲームは確かに社交的でコミュニケーションのあることだ。しかし「平均的な韓国のゲーム愛好者にとって、その際社交性がゲームより大事なのです」とユウ。「ボードゲームカフェに行くのは楽しむためであって、ある特定のゲームを遊ぶためではありません。だからそこではシンプルなボードゲームが多く好まれます。ゲームシーンを強くするには、本当の愛好者がもっと必要です。」
同じ意見をトム・ヴァーセルももっている。「ボードゲームカフェに来る人の多くは本当の意味でゲームを選んでいない。個人的に薦められたものや、もう知っているものを遊ぶだけなんだ。」つまり『ラミィキューブ』、『ハリガリ』、『クルー』、『ジェンガ』などがこれにあたる。「でも戦略性の高いゲームはどんどん遊ばれるようになっている。これにはカフェのオーナーと従業員に特に責任がある。」ヴァーセルは言う。「彼らがお客に提供するゲームによって、韓国のボードゲームの方向性が決まるだろう。」
彼がだんだん不安になってきているのは、これまでのところ35才までの若い人たちだけがボードゲームに触れているので、この趣味が社会の大部分からは依然として「子どもじみている」と思われていることだ。その一方で批判的に評価すれば、ボードゲームカフェとインターネットショップでは仲間意識がまったくないという。「厳しい競技をしているし、ショップやカフェは特定のゲームの独占権をほしがっている。」ゲームシーンの発生がそのために阻害される。
ボードゲームカフェはもう頂点に達しており、それどころかもう限界を超えているかもしれないと指摘する人もいる。ペーパーイヤギはハンス・イム・グリュックと共同で『カルカソンヌ』を6000~7000個製作しており、さらに『アメンラー』と『アッティカ』の韓国語版も計画されていた。「しかし今それは白紙に撤回されており、どのように進めるか、進めるかのかどうかもわからない」とディルク・ガイレンコイザーは懐疑的だ。同じようなことを他のメーカーからも聞く。韓国のメーカーがドイツのパートナーと大規模なプランを練っていたが、今はそのうちいくつかが宙に浮いたまま。多くの韓国人はボードゲームを捨てて新しい流行に向かうことを計算に入れるべきである。どれぐらい残るかを予測するのは難しい。
しかしいずれにせよボードゲームカフェからもっと成長するチャンスは少なくないようだ。「若い世代にとってボードゲームは全く新しいものです。」とユウ。「10代と20代の人はこれまで全く知らないものでした。彼らにとってゲームは新しい発見です。特に製品の質が高いドイツゲームは。」そして若い人たちはオンラインの画廊でボードゲームカフェを知り、いつも『ブルーマーブル』を遊ぶだけでなく『プエルトリコ』もしっかり遊んでいる。「我々にはもっと時間が必要です。」とユウ。「大きなゲームシーンが育ち始めるのに、やっと2年がたっただけです。」ジョン・ヘクォンは未来について楽観的だ。「韓国のゲーム市場はだいたい年間30億ユーロの規模で、さらに成長しています。ボードゲームは今のところそのうちのごくわずかな部分ですが、発展しています。まだもっと多くのデザイナーやメーカーが自らのゲームを作るようになるでしょう。」
アミーゴの広報担当ゲザ・フィルブラントはもっと慎重だ。「韓国をどれだけ評価するべきかは、未来になってわかるだろう。今は言うのが難しい。でも日本については『未来の市場』という表現が確実に当てはまる。」佐藤朗もそれを期待するが、同時に警戒もしている。「日本人の性格には注意をそらすべきではありません。新しい流行に我々は普通すごく敏感です。そしてブームが過ぎ去ると、全部をすぐに忘れてしまいがちです。もちろんそれがボードゲームで起こらないことを私は望むのですが。」
この危険性が大きいかどうかを、ヨーロッパから(あるいはもう少し傲慢でない書き方をすれば、レットガー通りにある私の小さくてがたがたの机から)判断するのは難しい。ゲームシーンは限られた熱狂者だけの話のようにも、また大きな趣味にも見える。しかし社会的に認められるには、ボードゲームは―もちろん愛の上で―ビジネスにもならなければならない。これまで『ボードゲームパラダイス』のような初期の商業的なプロジェクトに着手できなかった。国内産業は現代のデザイナーゲームを無視し、カプコンも『カタン』の後、当面は他のボードゲームに関わるつもりがないようだ。約3万個売れた日本版『カタン』によって、ボードゲームは高い期待の中に取り残されただろう。しかしそれでもゲームマーケット、小さいメーカー、ボードゲーム賞がある。これらは日本のボードゲームシーンはどんどん強く固める根っことなる。韓国はまだそれほど進んでいないが、しかし少なくとも途上にある。ここでも現代のボードゲームを作ろうとしている人とメーカーがあり、ちょうど始めたばかりだからだ。
まだアジアは我々を見ているが(ボードゲームのウェブサイトで発表されるドイツのニュース、年間ゲーム大賞は何か、エッセンでは何が出るのか……)、逆に我々も極東を見る機会がだんだん増えてくるだろう。そしてそうあるべきなのだ。なぜなら、「ボードゲームは世界の言葉だ。ボードゲームが世界を一体にするのだ(リュッティンガー)」から。

ウド・バルチ


謝辞
このレポートに対して情報を提供して下さった全ての方、写真を下さった全ての方、それどころか特別に記事を寄稿して下さった方、私が厚かましくも英語で出したメールに言葉を合わせて返事して下さった全ての方に感謝します。ユウ・シン氏と佐藤朗氏にはとりわけお世話になりました。
リンク
トム・ヴァーセル「韓国のボードゲーム」http://www.thegamesjournal.com/articles/GamesInKorea.shtml

リック・ヘリ「佐藤朗とのインタビュー」http://www.spotlightongames.com/interview/sato.html
※原文に従って敬称略。原文の「シュピーラー(Spieler)」は「ゲーマー」か「プレイヤー」と訳すべきところだが、ここでは「愛好者」と訳している。またインタビューの言葉遣いはドイツ人を「だ・である」体、日本・韓国人を「ですます」体にしたがこれは訳者によるキャラクター付けであり、原文でそうなっているのではない。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です


The reCAPTCHA verification period has expired. Please reload the page.