プエルトリコ〜ゲームのテーマについて(2)

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「忘れちまったのか? オレたちの国は何もなくても世界一の国さ!」
(ウェストサイド・ストーリー)

プエルトリコ(Puerto Rico)は、ゲームフリークをターゲットにしたラベンスバーガーの新ブランド、アレアから2002年に発売されました。試作段階から非常に評判で、ドイツゲーム賞金賞、エッセン金の羽賞、年間大賞最終ノミネート、スイスゲーム賞、アメリカゲーム100選といったアワードを軒並み獲得しました。日本国内でもゲーム愛好者を中心に高く評価され、全国各地で数多くプレイされています。もはや2002年のゲームシーンを語る上で欠かせないゲームであると言えるでしょう。

開拓者、市長、建築家、監督、商人、船長、金鉱掘り…これら7つの職業から1人が選んだものを全員がプレイするという新しいシステムで、どの職業を適切なタイミングで選ぶかというところで大いに考えさせられるところが人気の秘密のようです。勝ち方がいろいろあり、ゲームするたびに展開が変わるところも魅力になっています。

爆発的な人気をほこるゲームですが、その舞台となっているプエルトリコの歴史については、ドイツ人も含めてあまり知られていないのが現状です。高校の世界史レベルでも「米西戦争でスペイン領からアメリカ領になった」くらいのことしか書かれていません。しかしその歴史をひもとくとき、ゲームのプエルトリコが扱うテーマを考えるべきであることに気づかされます。

結論から先に言うと、2つのどちらかになります。
(1)植民地政策の悲惨な歴史にかんがみ、奴隷労働者の苦痛を再現するようなゲームは、不謹慎である。
(2)現プエルトリコ人の精神的な支えとなる生産活動なので、このようなゲームも肯定されてよい。
相反する結論ですが、どちらがよいのか以下の説明を読んでみなさんなりに考えてみていただければ幸いです。

プエルトリコはカリブ海に浮かぶ小さな島で大きさは四国の半分くらい。現在はアメリカ合衆国の自治領となっています。首都はゲームのボードにも書かれていますがサン・フアン(San Juan)。カトリックの聖人から取った名前です。当初は島の名前がサン・フアンで、この港町がプエルト・リコ(port-rich豊かな港の意味)でしたが、いつの間にか逆転してしまいました。人口約400万人、4分の3がスペイン系の白人、残りがアフリカ系とムラートと呼ばれる混血です。

平均年収は約10万円。ゲームでは多品種が栽培できますが、実際はサトウキビ栽培のモノカルチャーで、ハリケーン1つで年収がなくなってしまう貧しい土地柄です。経済的にはアメリカに依存し、安い労働力を求める企業が進出していますが、貧富の差が大きく、200万人がアメリカ本土に出ています。本土でも英語をあまり話せない言葉の壁のため、低賃金で働いている人が多く、麻薬や犯罪に走る人も少なくありません。冒頭のウェストサイド・ストーリーは、プエルトリコ系のギャングのセリフです。スラムに住むギャング団の抗争と、その中で愛しあってしまったトニーとマリアの悲恋には、抗争という悲劇以前に、アメリカ社会から疎外されているという悲劇があるのです。

さて、このゲームの舞台設定はコロンブスがプエルトリコを発見した1493年から約半世紀後とされています。そのすぐ後にこの島はスペインによって征服されました。タイノ族と呼ばれる先住民族がいましたが、スペインによる搾取とカトリックへの改宗強制のため反乱を起こし、6000人が殺されました。これがプエルトリコ史最初の受難です。これでプエルトリコは一時期、ほとんど無人の島になってしまいます。

それでもヨーロッパに最も近いという地理的な条件と、農地に適する地形が多かったことから、スペインを中心に次第に入植者が入ってきます。このときに奴隷としてアフリカから黒人も連れてこられましたが、農業の性格上奴隷はそれほど必要ではなく、となりのキューバに比べてはるかに少なかったといいます。だいたいこの時期がゲームの舞台です。プレイヤーは、入植してきたスペイン人ということになります。ちなみにこの時期の主要産品はショウガだったといいますから、ゲームには時代錯誤があることになります。

武力で先住民を制圧し、奴隷をひきつれて我が物顔で入植してきたスペイン人…このことを知るならば、心やさしい人間はプエルトリコのゲームをするのにためらわざるを得ない―これが結論の1番です。

しかしこれは16世紀の話。ここから約300年間、定住したスペイン人入植者は「プエルトリコ人」になりました。遠いスペインから離れて自国を開拓し、海賊やイギリス・フランス、後にはアメリカの武力攻撃を必死で守りながら、小規模ながらも農業で生活を営んでいました。やがて、そのスペインから独立しようという機運が高まります。長いときを経て、もはや彼らはスペイン人ではなかったのです。

19世紀末、カリブ海諸国は独立にむけてあちこちで戦争を始めました。プエルトリコ人も旧式の武器でスペイン軍と戦い、多くの犠牲を払いながら少しずつ自治を獲得していきました。スペインの体力が衰えていたこともあり、1898年3月には自治政府と評議会の設置を認めさせるところまでこぎつけました。

ところが、混乱に乗じてアメリカが攻めてきます。自治政府ができた1ヵ月後、アメリカがスペインに宣戦布告し、米西戦争が始まります。米軍は破竹の勢いでプエルトリコに侵攻し、わずか20日程度でプエルトリコを征服してしまいます。これで折角の自治政府と評議会が解散させられ、米軍の支配下におかれます。名前は「ポルトリコ」に変えられ、通貨はペソからドルに変えられます(名称は後に戻されるが、通貨はそのまま)。これはプエルトリコ人にとって屈辱にほかなりませんでした。これがプエルトリコ史2つめの受難です。

そこから現在にいたるまでの100年間は、次第に自治が許されてきたとはいうものの不自由なことが多く、またアメリカ資本が土地を買い漁ったため、ほそぼそと農業を営んでいたプエルトリコ人は貧困のどん底に落とされます。プエルトリコ独立運動は続いていますが、経済的にアメリカに依存しているため、全会一致で立ち上がりにくいのが現状です。現在では州昇格派、自治派、独立派に分かれているようです。その中独立をめざす過激派がテロを起こしたり、プエルトリコ領のビエケス島で米軍基地問題(沖縄のような問題です)が浮上したりするなど、事態は決して安定していません。プエルトリコは今も、貧困に追われながら、道なき道を歩いています。

そこで冒頭のウェストサイドストーリーのセリフです。彼らは貧困と戦いながら、決して誇りを失わず、プエルトリコ人として生きています。その誇りの根本は、何百年も前から行われてきたスペイン人の開拓です。「我々の祖先は、幾多の困難を乗り越えてここまでやってきた。我々も負けていられない!」―プエルトリコ人の誇りの原点を描いたこのゲームは、肯定的に捉えられるべきだ―これが結論の2番です。

現代の人道的見地からすれば、彼らの開拓には多くの問題がありました。しかしだからといってそこから目をそむけるのは、愛国心から日本の戦争犯罪を隠蔽しようとする、自由主義史観と変わりません。何に問題があったのか、我々は今後何をしてはならないのか、それを十分議論するためにも、知っておかなければならないことがあります。そんなことを考えながらのゲームは、あまり楽しくないかもしれませんが…。

この2つの結論、私はどちらにも一理あると思い決めかねています。みなさんはどうお考えになりますか? ゲームをするときにそんなことを少しでも考えていただければ幸いです。

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