(月報司法書士2023年5月号掲載)
ポッドキャスト(インターネットラジオ番組)「Board Game Faith(ボードゲーム信者)」にて、「ボードゲームと仏教」について話した。アメリカの牧師さんが運営する番組で、これまでイスラム教徒やユダヤ教徒も出演したことがある。インタビューは英語で行われたが、日本語で用意した原稿は以下の通り。
―ご出身はどちらですか? いつから住職になられたのですか?
まず日本仏教の特殊な事情からお話しなければなりません。日本仏教は極度に世俗化した宗教です。仏教の僧侶は出家者であり、家族をもつことは伝統的にありえませんでした。しかし日本の僧侶は明治時代以降、結婚して家族をもつことができるようになりました。それ以前は幕府によって統制されていましたが、明治政府の近代化政策で自由化されたのです。そのため、私の家族は曽祖父の代から家族でお寺に住むようになり、私もお寺で育ちました。ですから私の出身は今住んでいるお寺です。父が住職を継がなかったため、私が住職になったのは祖父が亡くなった24歳のときです。その数年後、私も結婚し、家族でお寺(の隣の建物)に住んでいます。
―住職の仕事とはどのようなものですか?
毎朝、御本尊に食事をお供えし、礼拝して読経します。檀家さんが亡くなればお葬式を執り行い、その後、初七日、四十九日、一周忌、三回忌……と追善供養を行います。その他は至って自由で、教師や会社員として働いている住職もいます。私は短期大学で講師をしたり、講演会で法話をしたり、新聞や雑誌の記事を書いたり(主にボードゲームについてです)、小学校でボードゲームを教えたりしています。何もない日はパソコンの前にずっと座ってボードゲームの情報を収集したり、ルールブックを日本語に翻訳したりしています。
―ボードゲームに興味を持たれたきっかけは何ですか?
大学生の頃、学生寮に住んでおり、お金はないけれども時間はたっぷりありました。そこで寮の友達とバックギャモンなどを遊び始めたのがきっかけです。とても楽しくて、友達も気に入ってくれたので新しいボードゲームを買いに行くようになり、その中で出会ったのが『カタン』です。仲間を集めてよく徹夜で遊んでいたので、翌日は起きられなくて授業を休むこともありました。
―ボードゲームと仏教はどのような関係にあるとお考えですか?
歴史的には、僧侶が囲碁の名人になったこともありました。現代においても「本因坊」という囲碁のタイトル名として名を残しています。将棋を趣味とする僧侶も多くいます。また、「浄土双六」といって、インドからスタートして、仏を目指すレースゲームは、江戸時代において庶民に仏教の世界観を広めるのに役立ちました。また、江戸時代に幕府から禁じられたダイスギャンブルゲームが、治外法権であるお寺で遊ばれていました。儲けの中から「寺銭」という場所代がお寺に寄進されていました。
一方で、修行の妨げとなるという理由で遊戯は禁じられ、ギャンブルはもちろん、囲碁や将棋でさえも堂々と遊びにくい風潮はありました。唯一、寺子屋という学校機能があったため、子どもの教育という観点では許されてきたといえます。
―ボードゲームは仏教にどのように役立つのでしょうか?
私にとってボードゲームはあくまで趣味であり、仏教と関連付けたことはなかったのですが、テレビ局や雑誌の取材で聞かれることが多くなったのでこじつけで考えました。
仏教には大きく分けて北伝(チベット、中国、韓国、日本)の大乗仏教と、南伝(スリランカ、東南アジア)の上座部仏教があります。日本仏教は大乗仏教に属し、自己の修行の完成よりも他者の救済を優先してきました。私が属する禅宗は、一見すると自己の修行のために坐禅をしているように見えますが、坐禅でさえも慈悲の心が大切な動機となります。
ボードゲームを慈悲の実践として位置づけることは可能だと思います。すなわち、私たちは日頃さまざまな悩み苦しみを抱いて生活しているわけです。ボードゲームという社会的な活動の中で、そのような悩みは自然と軽減され、代わって生きがいや喜びが生まれてきます。悩み苦しみを取り除き、幸せを与えることは、一種のセラピーのようなものです。
―あなたのお寺では、ボードゲームをどのように使っていますか?
定期的に仲間が集まってボードゲームを遊んでいます。巡礼者や檀家さんではなく、純粋なボードゲーム仲間です。以前、「お寺でボードゲーム」という宿泊型イベントを行っていましたが、それも集まってくるのはボードゲーム好きであって、敬虔な仏教徒ではありません。でもそれは問題ではないと思います。お寺は今、もっと社会に門戸を開くべきときです。信仰深い人だけを受け入れていたのでは、やがてお寺に人は集まらなくなっていきます。誰でも気軽に訪れ、お寺の雰囲気だけ味わっていって頂ければ、何年後か、何十年後かに、心の拠り所になるかもしれません。長い目で見ていきたいです。
インタビューを終えて
牧師さんのお話で印象深かったのは、伝統的な宗教ではボードゲームの導入に懐疑的な声が上がることだった。仏教も含め、礼拝儀式の執行や戒律の遵守が伝統的な宗教の骨子であり、遊びにうつつを抜かすことは推奨されないどころか、禁止されることもある。しかし日本仏教では極度な世俗化に加え、「衆生の救済」という大乗仏教の理念に支えられて多くの人と関わることが推奨され、そのチャンネルのひとつとしてボードゲームも受容されているように思う。さらに禅宗では日常生活のすべてを修行と捉えており、子どもたちにボードゲームのルールを教えたり、お寺を訪れた方にボードゲームで心穏やかになってもらうことなども修行の一環といえるだろう。
旧統一教会の問題は社会だけでなく宗教界全体にも大きな影を落としている。偽善を戒め、裏表なく一人の人間として、誰とでも対等な目線で接していくことを大切にしていきたい。アーカイブはこちらで聴くことができる。