『ゲームの教科書』

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ヴィデオゲームの企画から製品化までの流れを紹介し、求められる技能やなり方を職種別に説明する本。ゲームの定義、ゲーム開発の流れ、開発者のなり方、1ヶ月でゲームを作る実践編という構成。
長らくヴィデオゲームを遊んでいない人間の感想だが、仕事がここまで細分化して多くの人が関わっているということに驚く。プロデューサーとディレクターとプランナーの違いなど、考えてみたこともなかった。
ボードゲームの観点でもこの本は示唆に富んでいる。自分なりに広げられそうなところを7点ほど。


1.プログラムが予め全て用意されているといっても、「お釈迦様の手のひらで暴れている孫悟空」になるとは限らず、作った人たちも体験しきれない「潜在性」がゲームにはある。よい面では作者が想定していなかった状況や遊び方が生まれること、悪い面ではバグが起こることである。昨今のドイツゲームは、作者の想定した道から外れられない窮屈な感じが指摘されることがあるが、ボードゲームこそ潜在性は大きいはずだ。
2.筆者がゲームのエコロジーと呼ぶもの、つまり「ゲーム世界内に登場する要素と、他の要素を含む環境との友好的、敵対的なあらゆる関係の総体」というアイデアは面白い。プレイヤー同士だけではなく、プレイヤーに利益を与える存在と不利益を与える存在(非プレイヤー)の相克などを、ボード上で考えるとゲームの仕組みがもっと見えてくるかもしれない。
3.「核となるサイクル」もボードゲームの見方に有効だ。RPGではモンスターと戦う→経験値→強力なアイテム→レベルアップ→より強いモンスター…というようなサイクルだが、同じ行動を繰り返しているのに、状況が変化することで新鮮な感覚が得られる。これは遊びやすくて(覚えなければいけないことが少なくて)かつ楽しいゲームの条件とも言えよう。
4.最終版を作る直前の数週間、数日の調整でゲームが見違えるようになるというのも見逃せない指摘だ。複数の要素同士が化学変化を起こさず、最初から見えているものだけだとどうしても楽しくならない。開発期間が短いボードゲームは、特にこの最終調整にもっと時間をかけるべきだろう。
5.ゲーム制作者全体に、アンテナを広くはりめぐらせること、抽斗(ひきだし)を多くもつことが薦められている。『ゲームだけを土台にゲームを作る限り、先細りが見えている。先細らないにしても、同じものや似たようなものばかりを再生産して、「いつかどこかで見たようなゲーム」だらけになってもつまらない。』という指摘は今のボードゲーム界にもそっくり当てはまりそうだ。自分の関心の壁を超えるために、自分の趣味をどこかに置いて、なんらかのシリーズに一通り触れることや、特集に関係なく雑誌を毎号読むことが紹介されている。
6.1000くらい考えるところから出発して、最終的には50か30が実現できたら御の字だという。それは時間やスタッフやスペックの限界によるものだが、これくらいの氷山の下の部分を伴ってこそ、ゲームは面白くなるのだと思う。
7.この本ではゲームはコンセプト(テーマ)から作り始めるが、よくも悪くも日本的な作り方なのかなと思った。ボードゲームデザイナーのR.クニツィアは数学博士で、多くのゲームが数学的な思考を伴ったシステムから作り始めて、後からテーマを乗せる。それはそれで味気なくなることもあるが、優れたオリジナルのシステムを作れる人が生き残っていくのだろう。実践編で出てくるバンドの人生ゲームは見本とはいえ陳腐すぎる。システムが織り込まれたコンセプト、システムを活かすコンセプトでなければなるまい。

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