マイナーメーカーの売り出し方
『アドアストラ』は、イタリアのネクサス出版が初めて取り組んだデザイナーゲームシリーズである。ルールブックには、作者であるB.フェデュッティとS.ラジェ(フランス)の紹介文を、デザイナー仲間のB.カタラが特別寄稿したり、代表作を並べたりしてデザイナーを前面に打ち出している。今後もシリーズが予定されている。
『カヴァム』は、オランダのQWGゲームズが大賞作家のW.クラマー(ドイツ)に委嘱した作品。これで一躍注目を浴び、第2弾の『カーソンシティ』の成功につなげている。
どちらにも共通するのは、そこそこ定評がありながら知名度が低かったメーカーが、ドイツで有名なゲームデザイナーを担いで注目を集めるというパターンである。今やエッセン国際ゲーム祭に出展する団体は763団体(2009年)にものぼり、特に非ドイツメーカーは何らかの売りがないと簡単に埋もれてしまう。ところが1作でも有名デザイナーを看板にしてオリジナル作品を出すと、その後の展開ががらりと変わる。
アジアでは韓国のボードゲームカフェ・ペーパーイヤギがR.クニツィア(イギリス)に『ドラゴンマスター』というオリジナルゲームのを作らせたことがあるが、ほかのボードゲームカフェとの差別化のためであり、海外に売り出す意図はなかった。結局、フランスのカクテルゲームズから『ロボットマスター』としてリメイクされているが、商売としてはもったいない話ではある。
昨年から、香港のゲームメーカー・ウォーゲームズクラブが水墨画を使った『モダンアート』の中国語版を発売したり、『スチーブンソンズロケット』の中国マップを計画したりするなど、面白い動きを見せている。既存のゲームでも、デザインを変えれば注目される。『ウントチュース!』日本語版を作者のワレス(イギリス)にもっていったタナカマさんは、ワレスファンにもみくちゃにされて大変だったという。
学研がA.R.ムーン(アメリカ)に作らせた『ハッピードッグ』のようにあまり成功しなかった例もあるから、一足飛びにオリジナルでなくともよい。例えば『チケットトゥライド』の関東版などをデイズオブワンダー社公認で作ったら海外でも引く手がありそうだ。
デザイナーブランドはまだまだ確立されていない日本だが、海外ゲームの日本語版ばかりでなく、有名デザイナーや有名タイトルを足がかりに海外展開するメーカーが出てきてもよいのではないかと思う。ヤポンブランドに参加しているメーカーあたり、そのような展開を検討してはどうだろうか。
ボードゲームと保守主義
ゲームリンクの原稿を書くためにネットで調べ物をしていて、ドイツでは保守主義という理由から、ボードゲームをプッシュする人がいるのではないかと感じた。
子供中心に面白いゲームを選ぶ賞「キッズゲームエキスパート(Kinderspielexperten)」を運営しているのは、カトリック青年同盟ダルムシュタット支部(BDKJ)。地域の青少年の健全育成と保護を目的とする団体である。また、今年からドイツ年間キッズゲーム大賞に後援することになったドイツ連邦家族省大臣のK.シュレーダー氏は中道右派ドイツキリスト教民主同盟(CDU)の政治家である。さまざまなメディアに右往左往しないよう、ボードゲームによる家族回帰を訴える。
ドイツ年間ゲーム大賞審査員のB.レーライン氏はコンピュータゲームとの対比でボードゲームの長所を述べる。「ボードゲームでは、コンピュータゲームも同じですが、何らかの役割を演じます。自分が騎士になったり、ファンタジーのキャラクターになったりするわけです。でも相手はスクリーンです。ボードゲームでの相手は人間です。一緒に笑い、怒り、ときには協力することだってあります。アクシデントも起こります。テーブルを掴んだり、ボールが下に落ちたりして笑う。こんなことがコンピュータゲームには全くありません。ほかにも、ボードゲームは世代をつなぎます。母と子供、祖父母と孫が一緒に同じ卓を囲むのです。こんな娯楽はほかにありません。」
テレビゲームやネットゲームを貶すことによってボードゲームを持ち上げるのは、日本でもしばしば見られる論調である。テレビゲームやネットゲームの流行を考えれば、確かにそれは事実かもしれないが、伝統を守って急激な改革に反対する保守主義が根底にあるのではないか。
ドイツにおいてボードゲーム(Gesellschaftsspiel、広義のマルチプレイヤーゲーム)は文化といってよい。シュミットの創立は1907年、ラベンスバーガーは1883年、コスモスは1822年、ASSはなんと1765年の創立である。こんなに古くからボードゲームが作られていた。家族でボードゲームを遊ぶ中で、祖父母から親、親から子へと遊びが受け継がれていく。これに対してテレビゲームやインターネットは、そんな伝統を脅かす改革勢力である。ドイツ人がしばしばネガティブに捉えるアメリカ資本主義の象徴とも捉えられる。テレビゲームやネットゲームでは社会性が身に付かない、受動的になってしまうと目くじらを立てるのは、革新的なものに対する拒絶反応にも見える。
日本でボードゲームをプッシュしている人には、懐古趣味ぐらいならともかく、このような保守主義はないだろう。むしろ逆に、常に革新的なものを求める舶来主義があるかもしれない。ドイツ製とか木製というと、教育によさそうとか思ってしまう人は少なくない。幸い、囲碁や将棋が伝統的に広められているのでバランスが取れている。
保守主義にせよ、舶来主義にせよ、そんな主義主張がないとボードゲームを出せないのは悲しいものだが、大人というのはただ楽しいだけではすまないのかもしれない。