ボドハラ

“ロックおじさん”に注意! ハラスメントになる理由、若者が嫌う理由(AERA.dot)

長年のファンが、若者に愛や経験を語りすぎたり、自身の体験を自慢したり、若者を否定したりすると、ハラスメントになるかもしれない。これは記事中のロック音楽に限らず、どんな趣味でも起こり得ることである。記事中のセリフをボードゲームに改変すると、こんな「ボドハラ」が想定される(軽微な嫌がらせまで何でもかんでもハラスメントと呼んでしまうと、違法・悪質なものが見えにくくなる恐れがあるが、注意喚起のためご容赦頂きたい)。

「売れてるよね。でもアレってパーティーゲームでしょ、ボドゲじゃないじゃん。ボドゲ好きって言いたいなら、○○○を遊んでからじゃないと」
「『きっと気に入ると思うよ』と、おすすめボドゲを頼んでもないのに貸してくれて(笑)」
「クニツィア愛や出会いを毎回聞かなきゃいけないのが正直、ツラい」

もちろん悪気があって言っているのではないが、強要やハラスメントになるかどうかはあくまでも受け取る側の感じ方次第だ。「こっちは単純にうれしくて、『同志よ!』という気分なのに、彼らにとっては『おっさん、ウザいっす』なんでしょうね」「SNS上も含め、仲間内や心を許している人どうしでは盛り上がるいっぽうで、違う価値観に対しては壁を作ってしまう。そこに中高年が自分の価値観を持ち込もうとしても拒否反応が出るのは仕方ないことかもしれません」

「がんばってるね」ジムに行くたびにオジサンに声をかけられ…「教え魔」被害、なぜ女性がターゲットにされるのか(文春オンライン)

「長年の経験で培ってきた技術や知識を分け与えたい。同じ趣味を持ち、同じ目的を持った仲間なら、それを受け入れてくれる」と思って、求められていないのに初心者に余計な口出しをしてしまう。それが「教え魔」である。記事中ではボウリング場・ゴルフ練習場・テニスサークル・ジムだけでなく、将棋道場にも出没する。セクハラもあるようで、圧倒的に女性がターゲットになり、道場に来なくなってしまうという。

男性が女性に対し、見下したような口調で説明することを「マンスプレイニング」という。男性(マン)と説明(エクスプレイニング)をかけ合わせた言葉で、アメリカで2000年代から使われ始めた。「態度は自信過剰なのに、説明は無知で不正確」という軽蔑の意味が含まれる。男性の教え魔=マンスプレイニングではないだろうが、そのような人が実際にいるのも事実で、教え魔の「被害」につながる。

ボードゲームは将棋ほど実力勝負ではないが、このような人物を「老害」と呼んできた。「あの手はまずかった。何がまずかったかと言うと……」「このゲームは〇〇というデザイナーが○年に作ったゲームで、前作の〇〇というメカニクスを引き継いで……」このような発言も、相手が求めたものではなく、不快に感じさせるならばボドハラとなる。

ボードゲーム若年性老害チェックリスト(はてなアノニマスダイアリー)

「若年性」という言葉もあるように、該当するのはベテランのおじさんばかりではないから、ジェネレーションギャップよりも、マウントをとりたがる性格のほうが要因として大きい。そのような人とは誰も関わりたくないものだが、いつの間にか自分がそうなっている可能性を忘れないように自省したい。

ボードゲームは初対面同士でも楽しめるのがメリットだが、初心者・若者・女性にとっては特に、そういうマウントを取らない人、老害でも教え魔でもなく、ボドハラをセクハラもしない人であるかどうかは、また一緒に遊びたいと思えるかどうかの重要な判断材料となる。

ポッドキャスト「ほらボド!」では、ボードゲームがいろいろなところで買えるようになり、カップルなどがゲーム会に遊びにくるケースが増えたが、1回きりにならないようにするにはどうしたらいいかを話し合っている。

第372夜オンライン収録「また一緒にボドゲを遊んでもらうための工夫」(ほらボド!)

ここで出された「メチャクチャほめる」「うまくやられた感を出す」「熱意を腹八分目にしておく」はいずれも、ボドハラの対極を行こうとする態度といえる。特に「大丈夫なおじさんアピール(社会性・言葉遣い・清潔感で信頼してもらう)」は不可欠な前提だろう。これがなければ、どんな気遣い(音楽をかけるとか自分が好きなゲームを出すとか)も空回りするどころか、ウザくてキモいだけになってしまう。

もちろん「大丈夫なおじさんアピール」自体が、度を過ぎればボドハラになる危険性もある。しかしそうなると最適解は「ゲーム中を除き、できるだけ関わらないこと」になってしまう(実際、そうなっている方も多いのではないかと推察する)。トラブルは回避されるかもしれないが、果たしてそれでいいのだろうか?

先のロクハラの記事では「私たちが楽しそうにしている様子を見れば、興味を持って惹きつけられる若者はいるんじゃないでしょうか」と締める。1度や2度遊んだだけで万全の信頼関係ができるはずはない。自分が楽しむことを忘れないようにしつつ、年月をかけて、年齢を問わず気の合うゲーム仲間になれればいいのではないだろうか(そこまで至らない人もいることは残念だが仕方がない)。コロナ禍で、人間自体を避ける風潮が強まる中でも、旧交を温め、新しい知り合いを作る機会は大切にしたい。

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