本論文においてユーロゲームは次のように定義される。ひとつの「芸術形式」と捉え、批評される対象になっていることでマス市場向けボードゲームと区別する。また、ユーロゲームはもともとドイツゲームであり、アメリカからの視点で「ユーロゲーム」と呼ばれるようになったという。
「1970年代後半~80年代の西ドイツにおいて、ゲーム出版社からマス市場向けに発売されるボードゲームが批評の対象になるような状況が発生し、マス市場向けのゲームが同時にホビーゲームプレイヤーたちによる芸術的受容(芸術評価的な態度を伴う仕方で作品を経験すること)を前提にして製作されるようになった。このようなゲームが1990年代にアメリカのホビーゲームプレイヤーたちに紹介されて広まり、アメリカのホビーゲームやそれまでのマス市場向けゲームと対比する形で、「ユーロゲーム」と呼ばれるようになった。(p.24)」
補注で、アメリカのボードゲーム批評サイトThe Game Journalにおける”Eurogame”の初出は2002年で、当サイトでの「ユーロゲーム」の初出は2003年だったと指摘は面白い(もっとも、The Game Journalを紹介する記事である)。プレステ2ソフト「ヨーロピアンゲームコレクション」が発売されたのも2003年。ドイツゲーム賞でドイツ以外の国の出版社が初めて1位となったのは2006年(『ケイラス』)。この時期、「アメリカおよびヨーロッパをふたつの中心としてグローバルに散らばった形の(インターネットを介して繋がる)ホビー・ボードゲーム・コミュニティ」(p.29)が発生し、その共通理解が「ユーロゲーム」だったのである。
沢田氏は西ドイツにおける現代ボードゲーム市場の成り立ちとして、『アクワイア』に代表される3M社(アメリカ)のブックシェルフシリーズ、『ゲームズ・アンド・パズル』誌に影響されたイギリスのボードゲームコミュニティ、そして作家オイゲン・オケルによる新聞・雑誌でのゲーム批評の慣習化を挙げている。こうして力をつけたゲーム批評家が政府の後ろ盾もつけてドイツ年間ゲーム大賞を制定し、これに自社IPを求めるボードゲーム出版社の思惑が一致したという。
しかしユーロゲームを支えてきたドイツの出版社は、自社IPの確立、ネット通販の拡大、小売業界の幼児・児童向け志向により、批評される芸術形式としてのユーロゲームから距離を置き始めているという。一方、ユーロゲームのコミュニティは「複数のホビーゲーム・コミュニティの接続から生まれ、地域的な障壁も存在しないことから、むしろ交雑が容易であると考えられる。(p.30)」タイトルにある「ユーロゲームの消失」は、ドイツの出版社から手を離れ、グローバルに拡散するにつれて、特有の「美意識」が薄まっているということのようだ。
結びで沢田氏は、「ユーロゲームの美意識を望む参加者は、人為的に新たなホビーゲームの構造を構築する必要がある」「そのホビーゲームはマスと乖離しない美意識に基づくものではなく、また別のマスと無関係なコミュニティとして形作られることになるだろう」と展望している。おそらくではあるが、すでにYoutubeやSNSを中心とする批評空間がこの役割を引き継ぎ、世界各国の出版社が呼応して、今も美意識としての「ユーロゲーム」を存続させているのではないだろうか。「ユーロスタイル」「ピュアユーロ」などという言葉に、その伏流を感じている。