未プレイという価値

ボードゲームのプレイスタイルのひとつとして、新作志向か旧作志向というのがある。面白いかどうか分からない未知のゲームか、評価が定まった傑作定番ゲームかという選択だが、私の場合この頃、新作志向にたいへん偏っている。『プエルトリコ』は先日5年ぶりに遊んだし、『ドミニオン』はもうご無沙汰気味。『カタン』はいつも新シナリオである。
最大の要因はこのサイトにある。私自身、買うにせよ買わないにせよ、未プレイゲームの情報は飛びついて見る。それが国内未紹介とあらばなおさらのこと。海外で発売されたばかりだ、BGGで10人くらいしか評価していない、play:gameでは登録すらされていない、そんなゲームの情報がほしい人はたくさんいるはずだ……その信念が新作志向に舵を取らせる。レポートするために遊ぶというのでは本末転倒だが、少なくともゲームのチョイスには、TGWが影響している。
しかし、それだけでない未プレイの価値というのがありそうだ。
『ノイエ』5号(1999)のインタビューで、メビウス訳を作っている後藤智己さんがルールを訳すときの楽しみについてこう語っている。
―順番に読んでいくわけなんですけど、ある程度読むとゲームのシステムの全体像が見えてくる瞬間があるんですね。日本語のルールを読んでいてもそうだと思うんですけど。それまで、「これはどういうことなんだろう」と思っていた断片が、あるところで、「そうか、そうかそういう事だったのか」とゲームの絡まり具合が見えてくるんですよね。そういう瞬間、そういう出会いが楽しいですね。
また私の友人にはルールを読むのが大好きで、実際に遊ぶのはその検証にすぎないという人もいる。もちろん、遊んでみるとルールからは想像もできなかったことが起こるけれども、システムの全体像をつかむ楽しみは大きい。
こういう楽しみは、初めてだからこそ得られる。確かに遊びこむことで得られる楽しみ(定石とか戦略とか)もあるが、それはどちらかというとプレイヤーサイドのこと。ゲームに固有の、システムの論理とでもいうべきものは、最初のインパクトが一番強い。
そしてこの楽しみは、決して孤独なものではない。ゲーム会でインストするとき、システムの妙に皆が「おお!」という瞬間が私は好きだ。ゲームの核心部分を、皆で発見するという楽しみがある。
ボードゲームは前準備なしで遊ぶことができない。しかし準備の中にも楽しみが見出せるとすれば、準備に時間がかかる初プレイほど楽しいとも言えるのではないか。そして今日も、喜んで外国語のルールを読み、カードのシールを作っている。

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