アフリカ〜ゲームのテーマについて

 2001年、ゴルトジーバーからクニツィア作の「アフリカ(Africa)」が発売されました。アフリカ大陸中に敷き詰められたチップをめくって、遺跡や黄金を発掘したり、交易品を集めたり、動物や遊牧民を移動させたりして得点を稼ぐゲームです。受賞はありませんでしたが、タイルをめくるわくわく感と手軽さが受けてドイツ国内でもなかなかの評判でした。日本でも2002年夏にエポック社から発売されました。
 このゲームのデザイナーであるライナー・クニツィアのゲームは最適の一手が見つけづらく、どの手にしても一長一短あるというジレンマが大きな特徴です。この悩ましさを魅力であると感じる人もいれば、逆に嫌がる人もいます。21世紀になってからのクニツィアはこうしたジレンマを薄めて、年齢・性別を問わず家族みんなでわいわいと遊べるようなすっきりした味わいのゲームを作るようになりました。アフリカにもその傾向は見られ、入門ゲームとして安田氏・エポック社が選んだことも十分に頷けます。ゲームのシステムに関しては、とてもいいゲームだと思います。
 しかしここで私が気になっているのは、アフリカ探検というこのゲームのテーマ性です。以前わんこさんとのメールのやり取りで、「アフリカ」は侵略ゲームであり、その時点で人に勧めることはできないという話になりました。
 ヨーロッパの帝国主義時代、アフリカはヨーロッパ人本位に探検・開発が進められていきました。15世紀から19世紀までの長い間、原住民が奴隷として貿易対象になり、また金や象牙など豊富な天然資源もどんどん搾取されていきました。抵抗する原住民を力ずくで制圧し、1900年までにアフリカ大陸は植民地として分割されたのです。
 その歴史を思い返してみたとき、このゲームがいかに残酷なテーマ性をもっているか、遠く離れた日本に住んでいる者であっても気づくのではないでしょうか。ヨーロッパ人がアフリカ大陸に土足で踏み込み、発掘した遺跡や珍しい資源はただで持ち帰り、遊牧民や動物は好きなところに移動してしまいます。アフリカ大陸は「暗黒大陸」なのではなくて、そこには文明の異なる、豊かな原住民の暮らしがあったのです。ぴんとこないならば、このゲームの舞台をそっくり「満州」に変えてみましょう。たちまち中国や韓国からクレームがつくような不謹慎なゲームになることに気づくはずです。
 ドイツにウォーゲームがないのは、ナチスドイツによって周囲の国に甚大な被害をもたらした第二次大戦の反省があるからだと聞いたことがあります。ウォーゲームに必ずしも残虐性があるとは思いませんが、私はその話を聞いて感銘を覚えていました。そのドイツに、こうしたゲームを許容する受け皿があったことには、閉口せざるを得ません。ドイツに住んでいるアフリカ人は、このゲームを見たときに何とも思わないでしょうか。不快に思うことなく「いいゲームだ」と言うでしょうか。
 エポック社から「アフリカ」が発売になって、今よりも多くの人がプレイすることになると思います。そのときに少しだけ、このゲームがもつテーマ性について考えてみませんか?国内のドイツゲーム普及の鍵を握るこのゲームの、不買運動をけしかけるつもりは全くありません。そうではなくて、ただ悪いと言って拒絶するのではなく、このゲームを通してアフリカやヨーロッパの歴史、さらには人権や平和について考えることができたら、とても有益なことだと思って、問題提起をしました。



[追記]「探検ゲーム一般にテーマ性を考える必要がある」ということを記したところ、「探検ゲーム一般に侵略ゲームだという訳ではない」というメールを頂きました。「アフリカ」に問題があるのは、近現代に実際あった侵略行為*1を扱い、しかも今の世界に暗い影を落としている*2という点であって、単に探検ゲームだからという訳ではありませんでした。確かに「アフリカ」以外の探検ゲームは、舞台が特定されていなかったり(「エントデッカー」)、学術的な調査目的であったり(「ティカル」)、原住民と友好に交流したり(「カタンの開拓宇宙編」)しており、問題性を感じません。問題があるものとしては他にもひところ有名になったパソコンゲーム「地下鉄サリンゲーム」など不謹慎なゲームはたくさんあると思いますが、このエッセイでは「アフリカ」に絞って論評することにしました。
*1 未必の故意でも、結果的にそう受け止められれば侵略行為と考えられます。
*2 アフリカ諸国が植民地政策に起因する南北問題という経済的なハンデを背負わされているという意味です。

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