カンタベリーへの道(The Road to Canterbury)

マッチポンプの宗教
私がどうしても好きになれない宗教者の言説に、「混迷の現代」というのがある。いわく現代は物質的に豊かになったものの精神的な荒廃が進んでおり、宗教の重要な役割をもつようになっているという。このこと自体は間違いではないかもしれないが、宗教者が述べると意味が違ってくる。マッチで火をつけておきながら、それを自らポンプで消すというマッチポンプの匂いがするからである。
14世紀のJ.チョーサーの『カンタベリー物語』に登場する免罪符売りは、そうした宗教者のマッチポンプを皮肉る。しかし実際に自分が免罪符売りの立場だったらどうだろうか。偽善と金銭欲の罪悪感は、(あくまで)パロディーとして追体験するのがこのゲームである。
カンタベリーへの道
カンタベリー大聖堂にやってくる巡礼団に、7つの大罪を自覚させると同時に、ニセの免罪符を売って儲けるというゲーム。キリスト教では、傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲の7つを、人間を堕落に導くものとして戒める。
手番にはカードを1枚プレイして、補充するというプレイ&ドロー。場には巡礼者がいるので、まずは大罪カードを出して罪を自覚させる。7つ全種類をコンプリートするとボーナスがもらえるのでできるだけ満遍なく。大罪カードが溜まったら、今度は免罪符カードを出すと、その罪を赦して収入が入る。巡礼者によって好む罪や、司祭が指定する罪を許すと収入がさらにアップ。
収入を高めるには、大罪を育ててから免罪符を出したほうがよい。だが、あまり欲張るとほかの人に先に免罪符を得られてしまったり、巡礼団の寿命(山札から破滅カードが出ると短くなる)が尽きてしまったりしてチャンスを逃すことも。「オレが育てた色欲を赦された〜!」「うわ、もう死んじゃったの?」……おい、地獄に落ちるぞ。
巡礼団が死ぬと、誰が最も大罪を赦したか、堕落駒(免罪符カードを出したときに置く)の数を数える。贖罪トップはカンタベリーへの道にコマを置き、ボーナスが与えられる。カンタベリーへの道が全部埋まったら終了。所持金が最も多い人が勝者なのは言うまでもない。
どんどん巡礼団を死に導いたkarokuさんがダントツ勝利。大罪でも免罪符でも後れを取った私は、ニセ聖遺物カード(補充のときに好きなカードを引ける)で逆転を狙ったが、偽物だけに効果がいまひとつ。でも「聖ニコラオスの半ズボン」とか「聖ヒルデガルトのヘアブラシ」とか、ネーミングが笑う。まともにプレイするとやるせないテーマだが、黒い笑いのジョークとして楽しんだ。
The Road to Canterbury
A.シーガート/グリフォンゲームズ(2011年)
2-3人用 / 10歳以上 / 60分
ティルナノーグ:カンタベリーへの道
今日もプレイミス:カンタベリーへの道

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