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新バルバロッサ

今秋エッセンから発売された新版。コスモス・リオグランデ版からの変更点は以下の通り。

  • +ほかの人が2マス進むゴーストのマスがなくなり、マスが6マスに。
  • +呪いの石で割り込んだ人が何人かいた場合、早い者勝ちではなくダイスで決める。
  • +ボードが小さくなり、箱も小さくなって値段が下がった
  • 3〜4人用(コスモス版は3〜6人用)。
  • 鉛筆がついていない、矢が厚紙製。

ところで質問の答え方は4つあるが、「はい」「いいえ」のほかに残り2つはどういうことだろうか。バネスト訳は「わからない」「どちらともいえない」とあるが、英語は”Possibly(そういうこともある)”と”The Question is not appropriate(その質問は適合しない)”、ドイツ語は”eventuell(そういうこともある)”と”nicht eindeutig beantwortbar(どちらかと答えることができない)”である。

前者はときには「はい」であることもあるし、またときには「いいえ」であることもあるということだろう。例えば「猫」を作ったとして、「これは黒いものですか?」と聞かれた場合。だから「わからない」というのは間違っていないが広すぎる。「(場合によって「はい」と「いいえ」の)どちらもある」というのが厳密だろう。

後者だが、英語とドイツ語にもずれがあってはっきりしないが、これは日本語訳どおり「どちらともいえない」というのがよいと考えられる。まず論理的に「はい」と「いいえ」のどちらでもないということは考えにくい。「これは食べられますか?」という質問で「食べられるものでもないし、食べられないものでもない」というのはおかしいが、「食べられるか、食べられないかわからない」というのはありうるからだ(「トンボ」を作ったときなど)。これは人によっては「はい」か「いいえ」と答えられることも意味する。「オレ、トンボなら食べたことあるよ。」

まとめると、質問が100%当てはまるならば「はい」、0%ならば「いいえ」、1?99%当てはまるならば「どちらもある」、?%ならば「どちらともいえない」ということになる。プレイヤー全員がこの答え方を心得ているならば、ゲームがもっとスムーズになるだろう。

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一緒に遊びたい3人

すごく面白かったはずのゲームが、後日違うメンバーで遊ぶと途端に色褪せてしまうことがある。あれは錯覚だったのか?

メンバーによってゲームの楽しさが全く違うことは、愛好者なら誰でも経験することだろう。だからこそ、そのメンバーにぴったりあったゲームをセレクトすることも大事なのだが、遊びたいゲームが次から次へと控えている今日この頃、メンバーを意識したセレクトばかりしていられないのも実情。そこで、どんなゲームでも、そのゲームの面白さを最大限に引き出すために、いつも一緒に遊びたい人がいる。

  1. ルール判定係
    正しいルールで遊ばなければ正当な評価ができないのは道理。たったひとつのルールを見落としていたり、誤解していたせいでゲームにならないこともある。ゲームが終わってから分かっても後の祭り。正しいルールでもう1回しようと思っても時間がない。そこでゲーム全体を見ながら、このルールはおかしいんじゃないか?とすぐ見抜ける人、あるいはルールの記述が曖昧なとき、こう解釈したほうがよい、そうでなければおかしいと指摘できる人がほしい。実はかなりレア。
  2. やられキャラの盛り上げ役
    自分をちょっと落として笑いを取り、そこを糸口にしてプレイヤーの一体感を作るムードメーカー。ボードゲームの醍醐味はシステムが生み出す効果だけではなく、ボードを取り囲むプレイヤーの喜怒哀楽にもあると思う。初対面でもあっさり皆の敷居を下げ、笑い、悔しさ、驚き、喜びなど、そういった感情を全員に引き起こさせるような人。実は場の空気を読める細心の気配りの人でもある。
  3. 遊び心や創造性に満ち溢れた人
    ひとつひとつの手番の中にも、決められたことをただこなすのではなくて、奇手でも何でも、他の人の手に流されないで面白そうだと思ったらやってみる。それが思わぬゲームの魅力を開くこともあるだろうし、新しい驚きにつながるかもしれない。ゲームを制作したことのある人に多いタイプ。

こんな3人と卓を囲んだら、どんなゲームも評価が上がって他の人に参考にならないかもしれない。この3人は、私がもっていない性格である。ルールの解釈はうっかりなのに、プレイスタイルは寡黙。皆がやっている手に追随してしまうことも多い。こんな人になりたいものだ。