文化コンサルティング―ボードゲームにおける人種バイアス

(シュピールボックス誌2021年第6号の記事を翻訳。出版社から許諾を得て公開)

より良い世界のために
ボードゲーム『フロストヘイヴン』作者のアイザック・チルドレスは、いわゆる文化コンサルタントを雇い、物語に文化的バイアスの可能性がないかチェックしてもらった。チルドレスがこれを行うきっかけとなったこと、そのプロセスはどのようなものだったか、『フロストヘイヴン』の何が変わったのか。そして業界の新しい感性について考える。

ダニエル・ヴュルナー

君はオーク役でプレイしたいだろうか? ボードゲームやロールプレイングゲームで肌が緑のキャラクターを選ぶと、身体的なメリットはあるが、この種族のデメリットもすべて受け入れなければならない。オークは強い。オークはバカだ。オークにはカリスマ性がない。これらは決して偏見ではない。すでにキャラクターメイクの段階から、多くのロールプレイングゲームでは、将来オークの男性や女性が特定の職業に就くことを難しくしている。知能のペナルティが-1だと、魔法使いになるのは簡単でない。また、カリスマ性が平均より1ポイント少ないと、対人能力がうまくいかなくなる。だから、どうしてもオークをプレイしたいなら、斧と盾を持たせよう。体力+1だと、おそらく戦士になれるだろう。オークの評価はこんなものだろう。

トールキンの中つ国からファンタジーフライトゲームズのテリノスに至るまで、ファンタジー世界は、私たちの社会や偏見から解放される機会を与えてくれる。ところがプレイすると多様性よりも、固定的な人種概念が想像力を制限してしまう。これらのゲームは、私たちの社会に対する考え方に影響を与えるのだろうか? チュービンゲン大学の教育学者エドウィン・リシュカは、この問いに対する答えとして美学教育論を提唱する。「知識を直接伝えることに重点を置く学校教育に加えて、メディアやアートを受容することで感覚的な学びもあります。例えば、小説の登場人物に自分自身を重ね合わせますね。私たちは、彼らの経験を共に経験し、共有し、私たちの知識に加えるのです。これは、インタラクションによって特別な役割を担うゲームにも当てはまります。」

ハンス・イム・グリュック出版のモーリス・ブルンホファー社長はこのテーマを誇張せず、もう少し具体的な表現をする。「子供のころにヒーロークエストを遊んだからと言って、バーサーカーにはなりません。」しかしこうも言う。「私たち西洋人は自分たちの世界を作りたがりますが、このような形では社会を真正面から描くことはできません。だから、もしヒーローグループ全体が白人で構成されていたら、子供の私は無意識のうちに有色人種はグループの中でアウトサイダーだと学んでしまうでしょう。」

ボードゲームが社会に影響を与えると仮定した場合、出版社、作家、デザイナーは、どのようにして自分たちのゲームにもっと責任を持つことができるだろうか。『フロストヘイヴン』の例は、ひとつの可能性を示している。

「物語を正しく理解する」
『フロストヘイヴン』の世界にはオークの代わりにアイノックスがいる。アイノックスは強い。アイノックスはバカだ。アイノックスにはカリスマ性がない。作者のアイザック・チルドレスは、自分のゲーム世界が、現代社会ではもはや通用しない危険な発言を伝えていないか知りたくなった。『グルームヘイヴン』の続編『フロストヘイヴン』がクラウドファンディングプラットフォーム「キックスターター」で1300万ドル近い資金を調達した後、2021年5月14日の更新で「何点か修正する」と発表した。投稿のタイトルは「物語を正しくする(Getting the narrative right)」。その中で彼は、83,193人のサポーターに対し、文化的な感性が不足していないかチェックするという観点で、『フロストヘイヴン』のストーリーを見直すために文化コンサルタントを雇ったことを告げた。

チルドレスは投稿の中で、ファンタジーの設定が現実世界の社会問題とどう関係するのかという問いに対して「全く関係しない」と答えている。少なくとも、それが若い頃の自分の答えだったはずだ。「結局のところ、現実には存在しないのだから、この世界によって誰かが傷つく危険はありません。」チルドレスは、やがて独自の設定を考え出し、新しい世界を作り上げた。初期の頃はまだ、オーク、ハーフリング、ドワーフなど、トールキンの空想の中で知られている種族が住んでいた。

しかし、チルドレスはもっとオリジナルなものを作りたかった。「種族は物理的に異なるものであるべきです。」まず、「3本の角を持つ巨大な毛皮の生き物」であるアイノックスが登場した。ノームのようなクアトリル、エルフのようなオーキッドがそれに続いた。一見すると美しい新世界に見えるが、登場人物たちのテキストには、アイノックスは「原始的で野蛮な種族である」、ヴァームリングは「原始的で意志が弱い」というような、おなじみのステレオタイプの塊のように読み取れる。

『グルームヘイヴン』の初期キャラクターを改めて見てみると、少なくとも男女の分布は均等であることがわかる。「この点は精査したと思います」とチルドレスは言う。一方、初心者向けの続編『獅子のあぎと』では、ヴァームリングが全くプレイできなかったと悔しそうに振り返る。このゲームでは「100%悪の民族」として描かれている。しかし、よくよく考えてみると、自分のファンタジー世界では、ほとんどすべての人が同じ罠に陥っている。

どんな文化製品も、ボードゲームでさえも、虚空では存在しないとチルドレスは大きな話を続ける。「種族」という言葉を特定の集団を指す言葉として使い、その種族に否定的な価値観を帰結させることは、文化的な偏向を助長することになる。

教育学者エドウィン・リシュカは、「種族という言葉の使用は、主に『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のようなゲームによって形作られました。今では、プレイヤーはネガティブな意味合いを意識することなく、この言葉を使うようになりました」と説明する。 『フロストヘイヴン』で、チルドレスは種族という言葉を捨て去りたいと考えている。2849人がこのキックスターター投稿に「いいね!」を押している。しかし、この投稿の下にあるネット上のコメントでは、彼の決断を支持しない人が多い。彼らは、このような介入がゲーム体験を希薄にすると心配し、チルドレスを「意識高い(woke)」―ドイツ語ならおそらく「良識人(Gutmensch)」という皮肉になるだろう―として侮辱し、彼がポリティカル・コレクトネスに服従しているという。

しかし、何が彼の意識を変えたのだろうか。チルドレスは、『グルームヘイヴン』における種族について、近年ほとんどネガティブなフィードバックを受けたことがないとシュピールボックス誌に語っている。唯一、親友のプレイテスターが、アイノックスの描かれ方に違和感を覚えたという。その友人の言葉と、ブラック・ライブ・マター運動にチルドレスは考えさせられた。このテーマに新たな感性を身につけたのだ。ボードゲーム業界における自身の声が重要になった。自分の行動に自覚的であることが、彼の哲学になっている。

『フロストヘブン』へようこそ、メンデスさん
他者性についての知識や経験が自ら不足している人は、誰かを雇うしかない。それがいわゆる文化コンサルタントである。現実に存在する民族に詳しい人を探すのは比較的簡単である。しかし、オークやエルフを専門に扱うコンサルタントはどうやって探せばいいのだろうか? そこでポッドキャスト「ルドロジー(Ludology)」である。第247話「オーク・ケイ、コンピュータ(Orc-kay Computer)」では、ギル・ホヴァとエマ・ラーキンスが、そんなファンタジーコンサルタントであるジェームズ・メンデス・ホデスをゲストに迎え、オークの性生活と文化的バイアスの落とし穴について話した。ポッドキャストではホデスが、例えばオークの起源やその描写の問題点などを解説している。例えば、ハーフオークを選んでオークのデメリットを避けようとする人には、はっきりと警告しなければならない。人間が作り出したファンタジー世界では、ハーフオークという亜種が人間の女性をレイプすることによってのみ生まれたことになっている。このような暴力的な行動は、キャラクターメイク時にすべてのオークプレイヤーに植えつけられる。

チルドレスはこのポッドキャストを偶然聞いてメンデスに電話をかけ、仕事を依頼した。メンデスは『グルームヘイブン』のことを知り、プレイしていないにもかかわらず受諾した。コンサルタントを依頼したチルドレスの決断にメンデスは注目する。「アイザックは、私がいなくてもすでに成功していました。キックスターターで1300万ドルを調達したのです。それでも、こういうことで相談するのは、彼にとって大事なことだったんです。」『フロストヘイヴン』は、メンデスが手がけたプロジェクトの中で最も大きなもののひとつである。テキストと画像の量は、これまで手がけた小説やロールプレイングゲームを凌ぐもので、「『フロストヘイヴン』の資料がこんなにあるとは思いませんでした」という。

『グルームヘイヴン』に登場するステレオタイプで描かれた種族と、その帰属先についてメンデスは言う。「もちろんゼロから始める方が簡単なのですが、少なくとも私への依頼の半分は、すでに間違いや古い固定観念がある状態で始まります。これはテキストだけでなく、アートワークにも言えることです。それが私の仕事であると捉えています。」

チルドレスによると「1〜2カ月で終わる簡単な作業でした。テキストとアートワークを全部送って、目を通してもらいました。」こうして最初の1週間、メンデスは例えばすべてのイベントカードを見た。その後、毎週1回、コンポーネントについて話し合うミーティングが行われた。クライアントはミーティングでコンサルタントからフィードバックを受け、何かを変えるか、あるいは一緒に新しいことを考えるか判断する。

それでは、『フロストヘイヴン』のストーリーは、『グルームヘイヴン』のストーリーの欠点をどのように修正したのだろうか? チルドレス自身が認めているように、ポイントは『グルームヘイヴン』を白紙に戻すことではなく、別の視点を示すことである。「『グルームヘイヴン』の主旨が間違っていました。キャラクターが一面的に描かれ、ネガティブな性質が帰せられていたからです。」そこで『フロストヘイヴン』では、より微妙な差異のあるキャラクター描写を目指した。チルドレスは、スタートキャラクターであるアイノックス・ドリフターに続いて、他のプレイ可能なアイノックスを登場させるかはまだ決めていない。しかしこのキャラクターがいるだけで、これまで「原始的で愚かな民族」だったアイノックスが、より多面的な存在になる。

チルドレスは、この豊かな多面性をすでに『グルームヘイヴン』で応用していた。クラッグハートは4元素のうち1つを使いこなせず、サヴァスの社会から追放されている。『獅子のあぎと』の紅衛兵が自分の道を模索したのもそうである。これらのキャラクターはコミュニティのアウトサイダーである。たとえチルドレスがこのような対立を主にストーリーテリングのために考え出したと認めたとしても、このような多様性は信頼できる世界にとって刺激的な物語となる。エルフが森のレンジャーとは限らず、ドワーフが鍛冶屋とは限らない。

メンデスも同感である。「『フロストヘイヴン』には、私が好きな物語がたくさんあります。多様なキャラクター、種族の中の分裂したグループ、他の種族やキャラクターに対する態度などです。文化コンサルタントに異論を唱える人がいて、『フロストヘイヴン』をプレイすると、私がすべてを変えたと思い込んでしまうでしょう。しかし、アイザックがすでにそのように設定していたのです。」

マナからエレメンタルポーションへ
チルドレスは、コラボレーションによって具体的な変更があったのはどこかを明かさないが、いくつかの例を挙げて、変更プロセスを説明している。

メンデスの提案をもとに『フロストヘイヴン』のアンロックキャラクターのミニチュアが変更された。「物語のテキストや名前、キャラクターの特定の特徴などは、ミニチュアには反映されませんでした」とメンデスは説明する。チルドレスに「型の変更はできないか尋ねたところ『もちろん』と彼は答えました。今ではミニチュアのシルエットだけで、その種族の中での独自性がわかります。」

さらに、チルドレスは変更した単語を一通りリストアップしている。メンデスは言う。「シャーマンが司祭になりました。個々の種族の宗教的権威は、シャーマニズムを実践するアジア文化とは何の関係もありません。シャーマンは、技術的に未発達な文化圏の精神的指導者に対して侮蔑的に使われることが多いのです。」西洋的な読み方で、新しい意味での「司祭」のほうがキリスト教の中にもっとしっかりと位置づけられるのではないだろうか?「ある民族が文化的に未発達であることを指摘するよりも、その方がいいのではないでしょうか」とメンデスはいう。

『フロストヘイヴン』で魔力を強化したい人は、もはやマナポーションではなく、エレメンタルポーションに手を取る。細かいことを言うようだが、メンデスによればマナという言葉はマオリなどポリネシアの文化に由来するという。当地でこの言葉は、すべての生き物に内在する普遍的な生命力である魔法のエネルギー概念として使われている。

もちろん、「マナは魔法を表す言葉としてかっこいい」とメンデスは認める。しかし、英語にはマオリ文化から借用しなくてよい独自の用語があるのに、なぜそれを使うのだろうか。個々の用語の使い方については、「もちろんゲーム全体の雰囲気を壊さないようにしています。しかし、すべてのゲームがそれを行えば、問題になる可能性があります。」 最終的に用語を変えるかどうかは、必ずチルドレス自身が決めている。

ポッドキャスト「ルドロジー」第274.5話の「マナ(Mana)」というタイトルで、ゲームデザイナーのジェフ・エンゲルステーンもこの言葉の由来を説明しており、メンデスとは異なる結論に達している。「多くのプレイヤーはマナと聞いてポリネシアを思い浮かべることはないでしょう。この言葉は、その起源とは関係なくなっています。例えば「気」という言葉はそうではなく、中国との関連付けがまだ残っていますが。」エンゲルステーンは、プレイヤーになじみのある用語を使うことを提唱している。そしてマナという用語は、コンピュータゲーム会社のブリザードが、あらゆる魔法のこととして定義しただけでなく、ゲームの世界で青色にしたことでも知られている。

しかし、文化コンサルタントの仕事には、物事に疑問を呈し、変更を提案することも含まれる。アイザック・チルドレスは、そのような変更プロセスに取り組んだ。彼の発言はボードゲームシーンに一石を投じた。メンデスのおかげで『フロストヘイヴン』がより良いゲームになったとチルドレスは確信している。「彼はストーリーを強化しました。」 大好きなゲームの世界が前と同じままではいられなくなるという懸念は理解できるという。しかしそれは杞憂に過ぎないとチルドレスは断言する。このプロセス全体が、ルールやゲームメカニクスに影響を与えることは一切ない。

ハンス・イム・グリュック社のモーリス・ブルンホファーもチルドレスと同感である。「出版社として、私たちには社会を少しでも良くしていく責任があります。少なくとも私は他より恵まれている者すべての責任だと考えています。私たちは特権を与えられており、その特権は、私たちの社会システムが過去に他者を抑圧してきたという事実に基づくことも少なくないのです。同じようなことを繰り返さない限り、私たちに責任はありませんが、二度と起こらないようにする責任はあります。もし私たちが寛容さとすべての人を大切にすることに取り組まなければ、また同じことが起こるでしょう。残念ながら、現在すでにその種の傾向が見て取れます。」

『プエルトリコ』の場合
ボードゲーム『プエルトリコ』では、2002年の発売当初から、茶色のコマが労働力、いわゆる「入植者」を表している。ゲームにおける奴隷制の問題には触れないまま、島に送られ、無料で投入され、特にコマの色によって奴隷として認識される。

2020年の『プエルトリコ』新版で、ラベンスバーガー社は論争の的になったコマを紫色に変え、ルールブックに奴隷制をテーマにした一文を追加した。「このテーマを矮小化することは、出版社の意図するところではありません。」このため、特にアメリカでは批判も多く、中にはとても感情的なものもあった。

ラベンスバーガー社は、エッセン・シュピールで2022年の『プエルトリコ』新版を発表し、このテーマを意識的に扱うことを約束した。ルールは変わらないが、ゲームにおける文化的な表現が変わる。舞台を16世紀から、島の植民地支配が終わった1897年に移す。そのため、ゲーム用具についてはコンサルタントと定期的なディスカッションを行う。コンサルタントには、プエルトリコ史の教授、文化コンサルタント、グラフィックデザイナーなどが参加し、後者2名はプエルトリコ出身である。

イントロダクションのテキストは、ゲームの歴史的な位置づけをより透明に伝えるようにする。アレアの編集者アンドレ・マークはシュピールボックス誌のインタビューで、この作業が現在どれくらい進行しているか説明した。「もちろん、コンサルタントの視点がすべて実現できるわけではありません。正確には入植者は全員、異なる色合いの茶色のコマにしなければなりません。これは生産技術的にコストがかかるし、ゲームメカニクス的にも理解しにくくなります。しかし、ある文化集団にとって不快である多くのものを変えようとしています。例えば、イラストの4割は変更される予定です。プエルトリコ出身のグラフィックデザイナーは、ドイツ人よりもずっとうまく編集できます。」

『プエルトリコ』新版で、ラベンスバーガー社は単にミープルの色を変えるのではなく、社員とコンサルタントによるオープンなコミュニケーションと多様な指摘を期待している。

『パレオ』の場合
ハンス・イム・グリュック出版は、2021年の経験者向けゲーム『パレオ』で肌の色に問題があった。初版では、肌の色が白い原始人しか描かれていなかった。イギリスのボードゲーム評論家たちがポッドキャスト「シャーラップ&シットダウン」でこれを批判した。

このことについてモーリス・ブルンホファー社長は説明する。「『パレオ』は私たちの責任です。イラストレーターといくつかのサンプルを確認した上で、キャラクターをさまざまなアイテム・髪の色・服装で表現することで、多様性を実現したいと考えていました。もともと褐色にする予定だった人たちが、逆に白い肌になったということは、実は会社全体で最後まで気付かなかったことです。」

『パレオ』の新版と拡張では肌の色を調整している。今後のプロジェクトでこのようなことが起きないよう、適切なコンサルタントに相談するという。その第一歩としてブルンホファーは、「ジェンダーの取り扱い」をテーマにした研修を社内で行い、新作で何を考えるべきかを書き留めたチェックリストを社内導入している。

コメント:多様性がゲームをより良くする
オークの戦士やエルフの魔法使いをキャラクターに選んだからといって人種差別にはならない。とはいえ、変わらないステレオタイプは同じようなつまらない物語を作るだけでなく、差異に対する意識の欠如にもなることは誰もが自覚するべきである。

私自身、アナログ・デジタルを問わず、ほとんどのロールプレイングゲームで、ファンタジー世界での望ましい階級に応じて、キャラクターの種族を選んできた。それが人種差別だと感じたことは全くない。しかし、私はマイノリティに属したことがなく、排除されたときの気持ちを察することができない。それを理解するためには、もっと感性を磨くか、用語やその意味合いを説明してくれるコンサルタントが必要である。そうしてこそ、ボードゲームも社会の多様性にささやかながら貢献できる。

このコメントは、中つ国でのすべての種族に平等な権利を訴えるものではない。ゲームにおける不適切な描写によって傷ついた人々の気持ちに、もっと共感することを求めるためである。私たちが意識しようがしまいが、私たちの行動や遊びを通して学んだことは、いわゆるマジックサークルにとどまるものではない。ファンタジー世界であれ、歴史の舞台であれ、私たちの趣味は現実の社会での思考や行動に影響を与える。そのため、出版社やデザイナーがゲームにもっと責任を持つだけでなく、プレイヤーもお気に入りの世界が人を傷つける可能性があることを認識する必要がある。アイテムの名前やキャラクターの性別が変わっても誰も傷つかない。いや、みんなが勝つのだ。なぜなら、多様性があればあるほど、ゲームテーブルでの物語がより多彩でエキサイティングになるからだ。

DANIEL WÜLLNER(ダニエル・ヴュルナー)

Source: “Report. Cultural Consulting”, spielbox® Heft 6/2021, pp.22-26, w. nostheide Verlag GmbH

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