8月9日の日曜随想掲載分。前回はこちら
東京深川の臨済宗寺院・陽岳寺では、四年前から「お寺ボードゲーム」を発表している。釈迦三尊(釈迦、文殊、普賢)や阿弥陀三尊(阿弥陀、勢至、聖観音)などの「役」を作る『御朱印あつめ』、お寺の住職となって檀家さんを増やす『檀家―Danka―』、人間界から極楽に至る双六を立体化した『浄土双六ペーパークラフト』など、ボードゲームを通じてお寺や仏教に親しむことができる。
お寺とボードゲームの歴史は実は古い。囲碁のタイトルになっている「本因坊」は安土桃山時代に活躍した法華宗の僧侶・日海(にっかい)上人を始祖とする。「南」「無」「分」「身」「諸」「仏」と書かれたサイコロを振って極楽を目指す『浄土双六』は室町時代から遊ばれ、江戸時代に庶民に広まった。「寺銭(てらせん)」という言葉は、江戸時代に町奉行の管轄が及ばない寺院が賭博場となり、儲けのいくらかを寄進したことに由来する。
現在、曹洞宗では公式に『ののさますごろく』や『禅かるた』を頒布しており、真言宗、浄土真宗、日蓮宗などでもそれぞれの開祖をテーマにした双六やカルタが作られている。変わったところでは「ノウマクサンマンダ……」といった真言を読んで仏画カードを取るというマニアックな『真言カルタ』や、念仏の力で百八の煩悩を打ち払うカードゲーム『無碍光(むげこう)』、白衣や笹笠を集める『お遍路自慢』などが、宗派と関係なく製作されている。
筆者も数年前、『戒名じろう』というサイコロを制作したことがある。「雲」「月」「清」「照」「心」など、戒名でよく用いられる漢字が24個のサイコロに入っており、転がして自分や自分の家族の戒名を作ってみるというツールである。実際には文字の組み合わせや順序にいろいろな決まりがあるので実用に堪えるものではないが、戒名を死後の免罪符のように扱う風潮に異を唱え、生前に頂いて、み仏の弟子として誠実な毎日を送り、後悔しない人生にして頂きたいという思いから作った。
「お寺ボードゲーム」をプロデュースしている陽岳寺の向井真人副住職は、特定の宗教への勧誘を目指したものではなくて「純粋に遊んで楽しいもの」を作ったという。この考えは仏教語の「遊戯(ゆげ)」に通じる。仏の境地とは何ものにもとらわれず、のんびりと気ままなことであり、それを喜び楽しむ菩薩の自由自在な活動が「遊戯」である。仏教を難しく考えず、「遊戯」の境地に近づいてもらうには、ボードゲームはうってつけだ。
コロナ禍で今は開店休業が続いているが、やまがたアルカディア観光局の主催により、筆者のお寺で一泊二日の滞在型観光「お寺でボードゲーム」が始まって五年になる。午後から本堂に集まって若干のお話をした後、ひたすらボードゲームを遊ぶ。夕方には地元の弁当が届けられ、近くの温泉に入って、戻ってきたら就寝までボードゲーム。そのまま本堂に泊まって、翌朝は一緒にお経を読んでもらう。まさしく「遊戯三昧」である。
遊ぶものは上記のような仏教ボードゲームに限らず、参加者の希望をお聞きしてぴったりなものを選ぶ。子どもも一緒に遊べるもの、初対面でも会話が盛り上がるもの、じっくり戦略を考えるもの……このため筆者は七百種類のボードゲームを所蔵している。これを、お釈迦様が聴く人に合わせて法を説く「対機説法」、仏道の入口はたくさんあるという「八万四千の法門」、あるいは観音菩薩がどのような衆生も漏らさず救おうとする「千手千眼」というと、牽強付会が過ぎるだろうか。遊べない時期が続いているのに、所蔵するボードゲームは増えるばかりだ。