振り返ってみると、ゲーム自体よりも、コンポーネントの魅力が人生ゲームにはあったと思う。ゲームの方はというと、小学生にはお金の計算が煩雑で、しかも時間が長いためゴールに着く頃にはみんな飽きてしまっていた。小学生くらいでは、大人が一緒に遊ぶ必要がある。
それから10年ほどして、学生時代だった90年代に人生ゲーム平成版が毎年リリースされた。こちらは対象年齢高めの設定で、ターゲットにばっちり合っていたため、楽しくて毎年買って、サークルの友人と遊んでいた。職業やイベントがここ1年間に流行したものなのと、プルトニウム船の押し付け合いやドラッグの使用など、ブラックなテーマを積極的に使っていたことから会話も弾む。
時間は2〜3時間くらいかかることが多かったが、一向に気にならなかった。ただ、先生の自宅で行われたクリスマスパーティで、世紀末をテーマにした1999年版を遊んだときは、あまりに終わらなくて「早く世界が滅びろ!」なんて思った。
サークルの出来事を題材にしてオリジナルの人生ゲームを創作したこともある。イベントカードを加えたり、パラメーターをいくつか作ったりして工夫した。出来上がる頃にはすっかり満足してしまって、実際には2〜3回遊んで終わったような気がする。
毎年のように買っていた平成版は、箱の大きさに困ってゲームマーケットで放出してしまったが、初代復刻版だけ自宅に残っていて、久しぶりに家族一緒に遊んだ。時間は思ったほどかからず、終盤のインフレもなかった(浮き沈みは激しかったが)ために、貧乏農場の賭けも生きて楽しめた。
現代における双六として、確固たる地位を築いているのは、ルールを読まなくても遊べるという手軽さのほかに、親の世代から遊ばれ続けているという歴史もあるだろう。人生ゲームは侮りがたい。