アレックス・ランドルフ逝去

 アメリカ・アリゾナ生まれでイタリア・ベネチア在住のゲームデザイナー、アレックス・ランドルフ氏が4月28日、81歳で永眠しました。82歳の誕生日を5月4日に控えた5日前のことでした。

 故シド・サクソンと並ぶゲームデザイナーの先駆者で、ドイツのゲーム市場に新風を送り続け、現在のドイツゲームの繁栄を築きました。ドイツ年間ゲーム大賞関連の受賞は最多の17回。ツイスト(Twixt、1979年)からこぶたのレインボーレース(Rüsselbande、2001年)まで20年以上、子どもゲームとアブストラクトゲームを中心として幅広い分野でコンスタントに受賞してきました。

 同時にゲームデザイナー連盟(SAZ)でゲームデザイナーの地位向上にも奔走し、個人デザイナー主導でゲームを開発する仕組みが生まれるもとになりました。晩年は名誉会長に就任。ゲーム雑誌などでの執筆活動も盛んに行い、ゲームデザイナーたちから厚い信望を得ています。晩年はベネチアでゲーム紹介本(未出版)を製作していました。

 ドイツにはエッセン国際ゲーム祭に幾度となく顔を出したほか、1961年より68年まで日本に滞在、オーストリア、スイス、フランス、スペイン、イタリアへの発信、多国籍ゲームメーカー・ウィニングムーヴスの設立、そして晩年はイタリアのベネチアでレオ・コロヴィーニと共同でベニス・コレクションに携わるなど、国際派でもありました。2002年にはエッセン国際ゲーム祭で異例のアレックス・ランドルフ展が開催され、病気療養中にもかかわらず駆けつけてインタビューなどに応じていました。

 彼の作品は日本でも人気が高く、ガイスターはげたかのえじきチャオチャオハイパーロボットこぶたのレインボーレースザーガランドなどの入手可能なゲームは定番級として、また冷たい料理の熱い戦いイースター島イモムシイモムシなどの絶版ゲームはオークションで高額取引されるようなゲームとして知られています。


「私は、伝統ゲームが危機に瀕しているとは思いません。机と、一緒に集まるのが好きな人たちがいる限り、この机にはボードゲームがあり続けるでしょう。」

(フローレンス・ボードゲーム学術会議への寄稿より・1999年)


 謹んでご冥福をお祈りいたします。(Brett’n Board, Spielbox, Spielwiese)

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