
ジーピー社長の米川和秀氏が11月22日、91歳にて逝去した。折しもゲームマーケット2025秋の1日目だった。
1934年生まれ、東京都出身。早稲田大学在学中に、当時輸出玩具メーカーを経営していた叔父の支援で米国に留学し、オハイオ州オベリンカレッジとニューヨーク大でマーケティングを学ぶ。帰国後、叔父の輸出玩具メーカーに勤務し、玩具業界でのキャリアをスタートした。
その後、玩具業界で経験を積んで「ツクダ」に入社し、『オセロ』の商品化・マーケティング・海外展開を担当。生みの親である長谷川五郎氏と共に全国のデパートを回って普及に務め、一大ブームを作る。
1991年には『ラミィキューブ』日本語版を発売。同年、作者ヘルツァノ氏に提案してイスラエルで第1回世界大会が開かれ、日本代表の桑原正人氏が優勝している。ほかにも『スクラブル』日本語版などを発売した。
これと並行して1987年、合弁会社「ケナーパーカージャパン」を設立し、『モノポリー』をはじめ、『クルードー(現・クルード)』『ピクショナリー』などパーカーブラザーズ(アメリカ)のボードゲームを日本語版で発売する。第8回モノポリー世界大会(ロンドン)には糸井重里氏らと参加し、日本代表の百田郁夫氏が優勝。
1998年、シュウクリエイションは経営難のため一区切りとなり、玩具コンサルタントとして活動した後、2000年に「ジーピー」にて玩具事業を再スタート(社名は米川氏のハンドルネームGeorgeとプロダクションのPから)。2008年の『ウィザード』日本語版から始まり、2010年には『カタンの開拓者たち(現・カタン)』日本語版を発売した。各種拡張セットも次々と発表すると共に、カタン日本選手権を主催するようになり、各地の予選会に直接出向いて普及に努め、2019年カタン日本選手権では全国で延べ1300人を超える参加者が集まり、日本最大のボードゲーム選手権として記録を樹立した。
その他『ウボンゴ』『ザ・クルー』シリーズや『ツィクスト』など多数の日本語版ボードゲームのほか、ポケッタブルシリーズを彷彿とさせるトラベルゲームシリーズ、カジノ用品、各種トランプなど幅広いラインナップを揃え、今日に至る。
生涯現役で、カタン大会やゲームマーケットに欠かさず姿を見せ、エッセン・シュピールにも参加し、製造工場とのやり取りで幾度となく訪中するなど、ボードゲーム普及のために精力的に活動していた社長の姿が偲ばれる。Xでは、逝去を惜しむ声が数多く寄せられている。
(情報・写真提供:米川秀治氏)