ドイツゲーム、発展と展望

―ヴォルフガング・クラマー氏のレポート―

 ドイツゲームは1980年代から90年代前半まで大きく売上を伸ばしてきました。1982年には日本円にして130億円の売上が、1994年には430億円と約3倍になっています。95年からは少し水準を下げていますが、毎年380億円ぐらいで推移しています。

この発展の原因としては、まずドイツ年間ゲーム大賞(Spiel des Jahres)があります。ゲーム評論家からなる専門審査員によって決められるこの賞は1979年から毎年行われ、受賞すると売上が10倍以上になるほど信頼ある賞です。この専門的な賞に対して一般投票で決められるドイツゲーム賞(DeutscherSpielPreis)が1990年から始まり、徐々に信頼を獲得しています。

次に4日間の入場者数が15万人を超えるエッセン国際ゲームデイズをはじめとして、ウィーン、シュトゥットガルト、ミュンヘンな国内で大小さまざまな催し物が行われるようになり、愛好者獲得に貢献しました。これに伴いゲームサークルも増えました。

またゲーム専門誌が発刊され、それに伴って有名なゲーム評論家が現れました。ゲーム評論家の厳しい評が次々と新しいタイプのゲームを生み出すもとになったのです。

一方ゲームデザイナーはゲームデザイナー組合(SAZ)を結成して生活の安定をはかるようになりました。これによってデザイナーが増加し、さまざまなゲームが作られるようになりました。アダルト、コミュニケーション、ファンタジー、カードコレクションというように新しいジャンルが生まれました。

その他ドイツゲームアーカイブやドイツゲーム博物館、シュピーリオテーク(ゲームの貸し出しを行うゲーム図書館)などのゲーム生活を支援する組織が増え、積極的な活動が行われています。

しかし95年から市場は停滞期を迎えています。これには、10代を中心にデジタルゲームが流行したこと、経済状態の悪化と失業者の増加(ゲームの低価格化とカード指向)、レジャーの多様化(インターネット、スポーツ、旅行、AV機器)など外的な要因が挙げられますが、ゲーム自体も革新的なものが出ず、80年代から90年代前半のゲームがいまだ根強いという状況もあります。

一方で戦略性重視の重めのゲームが増えてきています。これにはドイツ年間ゲーム大賞をはじめとしてゲーム評論家の厳しい目を意識したゲームが作られるようになったことがあるでしょう。従来重めのゲームは売れないとされてきましたが、95年に「カタンの開拓者」が爆発的な売上を記録してから、この種のゲームも作られるようになりました。エルグランデ、レーベンヘルツ、チグリス&ユーフラテス、砂漠を越えて、エルフェンランド、ギガンテン、ユニオンパシフィック、ラー、ティカル、トーレスなどがその種のゲームです。

ドイツゲームの急成長は同時にゲームメーカーの拡大につながりました。コスモス、ゴルトジーバー、クイーンゲームズ、ウィニングムーブズ、ドライマギアー社、アードルングシュピーレなどの新しいメーカーが生まれる一方、ASSやシュミットシュピール&フライツァイト(当時業界2位)が倒産、FXシュミット(当時業界3位)、クレーシュピーレ、ベルリナーシュピーレが買収されるなど業界再編が進みました。生産・工場増設・販売・組織化にコストがかかり、また大市場への集中化が起こったところにMB,マテルといったアメリカ企業が派手なテレビCMで参入し、また1つのゲームの寿命が1~2年と短くなったことも影響しました。

今後の展望としてはデジタルゲームとインターネット全盛時代の中で苦しい立場に置かれますが、コミュニケーションを豊かにする質の高いゲーム、今までにない革新的なアイデアが必要でしょう。ゲームは人が集まって一緒に楽しめる数少ないツールです。この意義が見直されるべきだろうと思います。

2000年のゲーム市場


Kramer, Wolfgang. “Entwicklung des Spielemarktes in Deutschlandseit 1980“. Kramer-Spiele