TMシュピーレ ―ドイツ・ゲームメーカーの系譜―

1990年代のドイツゲーム界を語るに欠かせないゲームメーカー,TMシュピーレとその周囲についてmeOmeに掲載された記事をまとめました.

クラウス・トイバー(Klaus Teuber)は「カタンの開拓者」をはじめ,数々の傑作ゲームを発表してきたドイツゲームデザイナーのの第一人者です.彼は1988年に年間ゲーム大賞を受賞した「バルバロッサ(Barbarossa 旧・なぞなぞマスター)」で一躍有名になり,1990年には「貴族の務め(Adel verpflichtet)」で2回目の年間ゲーム大賞,1992年には「さまよえるオランダ人(Der Fliehende Hollander)」で ドイツゲーム賞1位を受賞しています.

この3作の間トイバーの立場はフリーのデザイナーであり,一作一作メーカーを選んで契約し,ゲームを出していました.第4作「ヴェルニサージ(Vernissage)」も同様にメーカーを探していましたが,権利関係で折り合いがつきません.1992年に「さまよえるオランダ人」を出した日独の共同会社バンダイ・フキもすでにパーカーにゲーム関係の権利を譲渡していました(「さまよえるオランダ人」がパーカーから出ているのはそのためです).

そこでついに1993年,自らの会社TMシュピーレを立ち上げます.賛同者としてゲーム編集者ライナー・ミューラー(Reiner Muller),ゲーム評論家ペーター・ノイゲバウアー(Peter Neugebauer),ヴォルフガング・リュトケ(Wolfgang Ludtke)が集まり,4人での発足となりました.特にミューラーは,ASSで「バルバロッサ」のテスト版を作製し,後に「このゲームは大賞を取るだろうと,すぐにわかった」というほどトイバーの作品に理解がありました.「さまよえるオランダ人」ではバンダイ・フキにフリーとして参加しています.会社名TMシュピーレも,トイバーの頭文字Tと,ミューラーの頭文字Mをとって名づけられたもので,ミューラーがこの起業に関して一番の推進者でした.またノイゲバウアー,リュトケはトイバーに近いルール地方に住んでおり,「バルバロッサ」のテストプレイなどに携わっていました.「4人集まれば,たくさんアイデアが出るしもっと一緒にゲームができる」を合言葉に,新会社の発足です.ただし評論家であったノイゲバウアーは中立的な立場を守るため,会社とは一線を画した立場にありました.一方リュトケは評論家の立場を捨てて,会社に入りました.

こうして「ヴェルニサージ」はTMシュピーレから発表され,同年ドイツゲーム賞3位に入賞します.同社は続いて翌1994年ヴォルフガング・パニング作「ノックアウト(Knock Out)」を発売し,ドイツゲーム賞8位に入賞しますが,採算が取れず赤字に転落してしまいます.「ヴェルニサージ」は5,000個生産したうち90%以上を売ったのですが,「ノックアウト」が予想を下回ったのが原因でした.次回作として「12星座ゲーム(Sternenhimmel)」を準備していたTMシュピーレは,資金が尽きてしまい活動を中断せざるを得なくなりました.

ここに翌1995年,救世主が現れます.ゲーム評論家フリッツ・グリューバー(Fritz Gruber)がTMシュピーレに参加し,自らのコネを生かしてTMシュピーレの人材を玩具会社ジンバ・トイズ(Simba Toys)に紹介してゲーム製作を委託させたのです.これがゴルトジーバー(Goldsieber)レーベルです.「少ない人件費でコンポーネントのよいゲームを」という要求にTMシュピーレがこたえ,かねてより計画中であった「12星座ゲーム」(ドイツゲーム賞3位),トイバーの新作「ギャロップ・ロイヤル(Gallop Royal)」(年間ゲーム大賞ノミネート),シュテファン・ドーラ作「1号線で行こう(Linie 1)」(年間ゲーム大賞ノミネート,ドイツゲーム賞2位)を次々と完成,ことごとく入賞させました.

ゴルトジーバーの躍進は続き,1996年にはトイバーによる「エントデッカー(Entdecker)」(ドイツゲーム賞2位),同じくトイバーの子供ゲーム「ハローダックス(Hallo Ducks)」(ドイツ子供ゲーム賞),「カラバンデ(Carabande)」(技術ゲーム特別賞),1997年には再びトイバーによる「ヘーゼルナッツの騎士(Der Ritter des Heselnuss)」(ドイツ子供ゲーム賞),1998年にはゴルトジーバー初の大賞作「ミシシッピ・クイーン(Misissippi Queen)」,トイバー作「レーベンヘルツ(Loewenherz)」(ドイツゲーム賞1位)など絶頂期を迎えます.一方,カードゲーム「クライネフィッシュ(Kleine Fische)」「マニトウ(Manitou)」も堅調で売上はうなぎのぼりになりました.

このゴルトジーバーの繁栄に並行して,1995年にトイバーは 「カタンの開拓者(Die Siedler von Catan)」をフランク・コスモス(現・コスモス)から発表し,世界的な大ヒットとなります.トイバーははじめゴルトジーバーから出すことを考えていましたが,すでに「ギャロップ・ロイヤル」を出していたこともあって資金が足りず,他の会社には断られたり,テーマ変更を要求されたりした結果,ミューラーがゲーム製作を手がけていた当時はまだそれほど有名ではなかったフランク・コスモス社に落ち着きました.フランク・コスモス社はこの大ヒットを機に,社名をコスモスに変更し,ゴルトジーバーに勝るとも劣らない一大メーカーとなります.

ゴルトジーバーは発展するにつれて次第にトイバーを必要としない体制に移行しつつありました.TMシュピーレは「カタンの開拓者」関連でコスモスの仕事に専念するようになります.トイバーはコスモスと専属契約を結び,「カタンの開拓者」の拡張や関連シリーズを次々と発表します.ミューラーもコスモスの中でこの製作に携わり,グリューバーはマーケティング活動などを展開するようになりました.一方リュトケは「カタンの開拓者カードゲーム(Die Siedler von Catan Das Kartenspiel)」によって女性購買者層を開拓してシリーズ化しつつあったコスモス・2人ゲームシリーズから「カエサルとクレオパトラ(Caesar & Cleopatra)」(カードゲーム賞1位)を発表します.このゲームははじめパーカーから出す予定でしたが,2人用ゲームの構想がなかったことからアイデアを温存し,「カタンの開拓者」関連で親しくなったコスモスから出すことになりました.これが15万個以上の大ヒットになりました.

コスモスのゲーム製作は外注制度で行われています.「社内の小さな戦い」(ミューラー)の中でTMシュピーレは経験を生かし,活躍したわけです.TMシュピーレの活躍で「カタンの開拓者」シリーズはもとより,「ギガンテン(Giganten)」(年間ゲーム大賞最終ノミネート),2人ゲームシリーズ,子供用のクレー(Klee)レーベル,シンプルゲームシリーズなど,コスモスも黄金期を迎えます.「ゲームを作るために,金を稼ぐんだ」(グリューバー)と言うとおり,精力的な活動が展開されました.

このようにゴルトジーバーとコスモスの黄金期の立役者となる一方,TMシュピーレ自体も復興します.これまでに「ミニスター(Minister)」「戦争と平和(Krieg & Frieden)」「白蓮(Der Weisse Lotus)」「フォルダンプ(Voldampf)」が発表されました.目立った受賞もなく,売れ筋からも多少外れていますが「TMシュピーレで出すのは,TMのメンバーが遊びたいものだけだ」(リュトケ)と言うように,ゲームフリークが真に楽しめるゲーム作りを目指しているようです.

トイバーが「カタンの開拓者」シリーズに専念する一方,1999年,2000年にはラベンスバーガーやハンス・イム・グリュックなどの老舗が「ティカル(Tikal)」「トーレス(Torres)」「カルカソンヌ(Carcassonne)」などで巻き返しを図ってきました.ゴルトジーバー,コスモスにはまた新たなヒット作が期待されています.今後の動向には目が離せません.