成功の中にのみあなたの慈愛を感じるような卑怯者ではなく、失意のときにこそ、あなたの手に握られていることに気づけますように。(タゴール)
横浜の大本山總持寺で行われている大きな法要で、導師を任せられるという貴重な機会を頂いた。千畳敷の法堂で何十人ものお坊さんに囲まれてお拝をし、お供え物をあげ、自作の七言絶句を読むのは実に緊張する。力量不足に加え、慢心や自己顕示欲などの邪念が入って誠心誠意務められないのではないかという不安に押しつぶされそうになる。
そんなときに心に留めるのが「恩返し」である。天地、先祖、両親、仏様、見えるところ・見えないところでこれまで支えてきて下さった多くの方々。その方々のためにできることは、一日一日を大切に、たとえ苦しい境遇であって他人の幸せを願って生きることであると仏教では教える。
『ドクターラッシュ』というギリシャのボードゲームでは、病院に次々と運ばれてくる患者に対し、それぞれの症状に合わせ協力して適切な治療をする。検査・手術・投薬は砂時計で表されており、迅速かつ冷静に対処しなければならない。複数の患者を同時進行で見ている以上、個人個人では処理能力に限界があるため、お互いに気が付かないところカバーしあうことが必要となる。
毎日の生活が恩返しと教えられても、そんなことを思う余裕がないことも多い。そんなときは、独りで頑張らず、安心して周囲のカバーを頼ってもよいのだと思うことにしている。家族、友人、仕事仲間、近所の方、お寺の住職さん……また恩に着ることになるが、それは自分に余裕があるとき、また別の誰かを助けることで返せばよい。
仏教には、人々の悩み苦しみを取り除くために日々奮闘している菩薩が80億もいるという。現在の世界人口よりも多い。その菩薩たちも、私達それぞれの悩み苦しみに合わせて協力し、お互いカバーしあって仕事をしているのではないだろうか。菩薩には衆生の救済という共通の目的があるから恩の貸し借りもない。見えない何かのはからいで苦しい境遇を脱することができたら、自分が今度は苦しんでいる誰かの力になればよいだけの話である。
(河北新報「微風旋風」10月20日)