太祖常済大師瑩山禅師影向御和讃3,4番

この御和讃にはもともと2番までしかないが、その後に同じ節で4番まである「高祖道元禅師学道御和讃」が作られ、同じように太祖さまも4番まであったほうがいいなと思ったのが最初。歌詞も「仏の道を習うには」に対して「瞋恚を鎮めし喜びに」、「一人一時の只管打坐」に対して「慈母の遺言護られて」など瑩山禅師の行状が多く、瑩山禅師の教誡がもっと盛り込まれた歌詞がほしいと思っていた。

そこで何年か前、總持寺で尾崎正善さん(鶴見大学)にこのことをお話ししていたのだがそのままになっており、コロナ禍を経て3年ぶりの上山(かつ焼香師)でテンションが上がり、思い切って自作。詠讃師寮の同僚からのアドバイスを頂き、できあがったのがこれである。

總持寺では3番からの伝光「大海に」を試詠してみたが、感激で打ち震えた(単に緊張で震えただけかも)。

瑩山禅師700回大遠忌に合わせて新曲は作らないことがすでに公式発表されているため、この歌詞は当面、本山でのみお唱えされることになったが、講習や法要で取り上げていただくのは大歓迎である。

(三)行住坐臥の 日送りに
喫茶喫飯  誠あり
慈悲の功徳を 回向けんと
法堂に鍬を さしはさむ

(四)七百遠忌の(一味同心) この勝縁
五老の峯に 光満ち
禅師のこころ とこしえに
和合の誓い 承け継がん

歌詞解説
(三)「茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す」(『諸嶽開山二祖禅師行録』)という言葉は瑩山禅師が二十七歳のとき、義介禅師から平常心について聞かれたときに語ったもので、これによって印可を受けたとされます。苦にありても楽にありても一日一日、一瞬一瞬の一挙手一投足にまごころをこめて臨むことこそ、修証一等のあらわれとなります。
しかしそのような生活は自利行にとどまらず、利他行にもなります。瑩山禅師は「常に大慈大悲に住して坐禅無量の功徳、一切衆生に回向せよ」(『坐禅用心記』)とお示しになり、まごころをこめて送る毎日の中で、生きとし生けるものの幸せを祈ることを求めます。瑩山禅師は辞世の句で「法堂に鍬をさしはさむ人を見る」(『洞谷記』)と説かれ、その御意志が瑩山禅師亡き後も受け継がれ、結実していくことを願われました。この教えを活かせるかどうかは、私達の日常生活次第なのです。

(四)令和六年に瑩山禅師の七百回忌が厳修されます。五十年に一度のこの遠忌に立ち会えることは滅多になく、ありがたい仏縁をかみしめています。瑩山禅師は「今生の仏法修行は此の檀越の信心に依りて成就す」「師檀和合して親しく水魚の昵を作し、来際一如にして骨肉の思いを致すべし」「出家、諸門弟等、一味同心にして当山をもって一大事と為し、ひとえに五老峯を崇拝せよ」(『尽未来際置文』)とお示しになられました。如浄・道元・懐奘・義介・瑩山禅師の霊骨や遺品を納めた五老峯から放たれる光が今日ますます輝いています。「縦使、難値難遇の事有るとも、必ず和合和睦の思いを生ずべし」(『洞谷記』)の教えに従い、戦争の絶えない現代においても、代々受け継がれてきた和合の誓いを改めて再認識し、皆の心と持てる力を一つにして、未来の世まで伝えていくことを祈ります。

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