先ほど棚経から帰ってきて、お盆の初日が終わる。朝は墓経、帰ってお盆参り客の接待、午後から合同法事、お墓参り、そして棚経と、例年通りの幕開けである。昨日の睡眠時間は3時間だったが、何とかもってよかった。
お墓参りは歴代住職の墓前でお経を読みながら、お寺が始まって540年の間、お寺を守ってきた32人の住職(私で33代目)の積み重ねに思いを致す。
32人の住職で、今生きているのは1人もいない。それぞれの時代を生き、仏法の灯火を受け継いできた面々。私は彼らからものすごく重いものを背負わされている気がした。やがて私も名を連ねたとき、誰がここでお経を読むのだろう。
私たちのいのちは、過去から現在、未来へと向かういのちの流れにある。それを体感できる機会がお盆だ。お墓参りで行き交う近所の人と笑顔で挨拶をかわす。
棚経は、江戸時代に檀家がキリスト教に改宗していないかチェックするための検査だったらしいが、今は檀家さんとのコミュニケーションの場となっている。だからお経3分、お話30分(その代わり全部の檀家を回らない)。
総代の家では何はなくとも今進行中の案件の相談や打ち合わせになるもので、話をしているうちに頭を整理することができた。本堂で使う椅子のこと、地区の墓地の管理のこと、総代の交替時期のこと、今度の先住忌のことなど。
いつもだと14日は法事5件、棚経10件ぐらいだが、明日は法事3件と少なめ。