總持寺祖院と五老峰を参拝

大本山總持寺では、梅花流を研究しているドイツの先生とお会いし、最新の研究成果を頂いた。その先生が能登に行くというのを聴き、たまたまその日程が空いていたので急遽、静岡からの御一行に連絡してご一緒させていただくことになった。本山から戻った翌日の出発で、車で8時間の道中である。

能登半島の北部にある輪島市門前町には、大本山總持寺が元々あった總持寺祖院がある。平成19年の地震で大きな被害を被り、令和3年に落慶したのも束の間、今年1月1日にもっと大きな地震に見舞われた。いろいろな話を聴いていたが、百聞は一見にしかず。廊下が傾いたり灯籠が倒れたりしているが、平成19年の地震で耐震化した大祖堂をはじめ大きな建物はしっかりしており、拝観も6月から再開。門前もトラックが頻繁に行き交い、活気ある復興の様子を見て取ることができた。

本堂で瑩山禅師の700回忌記念で作詞したご詠歌を献詠。副監院さんのお話は、大きな建物が残っていることに気がついたら気持ちが切り替わったこと、お寺の復興を待ち望む門前の声に励まされていること、落慶からたった3年での被災は「もっときちんと勤めるように」という瑩山禅師のメッセージと理解していることなど。祖院の完全復興するまで大遠忌は円成しないと思った。

金沢に泊まって、翌日は車で1時間半、羽咋市の永光寺・五老峰を参拝。作詞した歌詞についてお話する機会を頂き、ご住職さんの「瑩山禅師は当初、能登には来たくなかった」というお話をうけて、影向御和讃の「瞋恚を鎮めし喜びに」「慈母の遺言護られて」よりもっと伝えるべきことはあるのではないか、それが平常心是道と師檀和合ではないかというお話をした。五老峰は如浄禅師・道元禅師・懐弉禅師・義介禅師・瑩山禅師の遺品を祀った場所で、永光寺の奥に開山堂、さらにそこから登ったところにある瑩山禅師のお墓のさらに奥に苔むした塚がある(蚊に襲われまくった)。

その後、永光寺から3kmほどのところにある豊財院を参拝。瑩山禅師が能登で初めて止錫された地とされており、ここに庵を結んだ後、白狐に導かれて永光寺を開いたという伝説がある。ご詠歌の師範でもあるご住職さんから、曰く付きの「般若の鐘」のお話をお聴きした。

梅花に導かれての能登参拝。瑩山禅師の足跡をたどることで思いに触れられたような気がして、有意義な旅行となった。

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