金剛般若経

今年最後の経典講読会は金剛般若経。自我へのとらわれを離れ、畢竟空の世界に遊ぶことを説く。

「如来が特徴をそなえているということは、特徴をそなえていないことである」「菩薩には思うということも、思わないということも起こらない」「如来が悟ったのは法でもなく、法でないものでもない」「菩薩は、法をとりあげてもいけないし、法でないものをとりあげてもいけない」「このお経が真実だという思いは、真実でないという思いである」といった一見矛盾する文は、勝義諦と世俗諦の別(仏の世界の真実と、世俗の真実は異なる)や、不立文字(真実は言葉で説明できない)という解釈もできるが、矛盾があちこちで起こっている状態こそが空であり、真実のありようであると見ることもできる。

一方、一切が般若波羅蜜から生まれたものであり、顕れであるとすると、「本来本法性、天然自性身」と同様に現状肯定になってしまい、戒律軽視にもつながる。天台宗の高僧による尼僧への性加害事件で、これも仏様の思し召しだとマインドコントロールしていたのを思い出す。

一見矛盾する文は、仏法を知っているという思い上がりを諌めるのが狙いという見方も。現実世界と空の世界の橋渡しはどう説かれてきたのか、そこにはどのような狙いがあるのか、年明けも参究していきたい。

鳩摩羅什訳で最後についている真言。
नमोभगवते प्रज्ञापारमितायै ॐ ईरिति ईषिरि श्रुत विषय विषय स्वाहा
那謨婆伽跋帝、鉢喇壞波羅弭多曳、唵、伊利底、伊室利、輸盧馱、毘舍耶、毘舍耶、莎婆訶
(現代語訳)帰依します。世尊に。般若波羅蜜に。オーン、明らかに速やかに聞き届け給え、妙境よ妙境よ、よろしく。

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