「弊紙の基本的な考え方と異なる」という理由でボツになった新聞投稿。
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同級生の知人が新聞の取材を受けて、年齢を掲載されたことに憤っていた。日本の新聞やテレビでは、犯罪の加害者や被害者、公人や芸能人だけでなく、一般人に至るまで名前の後にカッコ書きで年齢表記をする謎の習慣があり、報道する日に歳をとっているかもしれないからと誕生日まで確認するという念の入れようである。しかしその知人は年齢の公表を望んでおらず、懇願したにも関わらず掲載されてしまったという。
誰でも彼でも年齢を掲載する理由として、メディアは「人物のイメージが明確になる」「読者が自分の年齢と重ね合わせられる」「記事の正確さを保証する」などの理由を挙げる。どれも取ってつけたような理由だ。「若そうに見えて意外に歳をとっているなあ」などと記事とは関係ないところに関心が向かい、年齢への偏見がかえって余計なイメージを生んでしまう。同じく正確さを求められる学術論文では、引用される論文の発表年は記されるが、学者の年齢は当然掲載されない。必要がないからである。脳科学者の茂木健一郎氏は、年齢表記を「ジャーナリズムとしてのダサさの一つの症状」としてやめたらいいという(「クオリア日記」)。
「エイジハラスメント」とは、年齢や世代の違いを理由にした差別や嫌がらせである。年齢が高いことを揶揄して「おじさん」「おばさん」と呼んだり、「もう歳なんだから」といって本人ができることをさせなかったりするのは、人格を無視して年齢で人を判断しているとみなされる。そこには「だいたいこれくらいの年齢の人は〇〇だ」という先入観がある。人生百年時代の今、実際のところ体力・知力・外見など、同じ年齢でも個人差が非常に大きい。記事内容に照らして本当に年齢の記載が必要かどうか、習慣にとらわれず判断してほしい。