息子が生まれた日

1月16日、第二子が誕生した。
長女が予定日よりも20日も早く生まれたので、2人目も同じだろうと年末から待機していたが、結局予定日を7日過ぎての出産だった。この間、私は山形とつくばを3往復している。不在の間は、妻の両親に来てもらっていた。
16日も、小正月の行事を終えてつくばに着いた日だった。米坂線が除雪作業のため1本運休になり、朝8時30分に出たのに予定より1時間遅く14時につくば着。妻が駅まで迎えに来たが、「今日生まれそうだ」とか言っている。妻の両親は私と交替でお帰り。
午後は2人でインターネット。私は専らボードゲームのメールばかりだが、妻は仕事のメール。論文を始めようと思ったころにはもう娘の迎えの時間が来ていた。
娘は帰ってくると笑いながら恥ずかしそうに「パイパイ」と言っておっぱいを吸い始める。これまでもパイパイを吸われているとお腹が張ってくることが多かったが、今日は陣痛が始まった。陣痛の合間に夕食を食べて産科へ。家からは歩いても5分のところにあるが、とても歩いていける状況ではなかった。
産科に着くと、点滴が始まる。そこに母から電話で、お葬式の伴僧を頼まれたという。家にかけても電話が通じず、またインターネットかと思っていた母は陣痛を聞いてびっくり。依頼されたご寺院さんに電話して「ちょうど今陣痛が始まったところでして、今回は申し訳ありませんがお断りさせていただきます。」
妻がうんうん唸っている隣で、娘に絵本を読んでいたが、忘れ物をしたというので取りに行ってくる間に、妻はもう分娩室に入っていた。帰ろうかと思ったら「もうすぐ生まれますので、お部屋で待っててください」と看護師さん。
子どもを連れての立会いはできないので、部屋で絵本を読んだり、分娩室の前でひそひそ話をしたりした。部屋にテレビがあったので「西遊記」を見ていたら、怒鳴りっぱなしの悟空に娘が恐がってスイッチオフ。
また分娩室の前に行くと今にも生まれそうな様子が聞こえてくる。オギャー!……先日生まれた隣りの部屋の赤ちゃんだった。気を取り直して、耳をそばだてていると、オギャーオギャーと元気な声が聞こえてきた。「元気な男の子ですよ!」(性別はまだ聞いていなかった)と先生。
1人目のときほど胸が詰まらなかったし、娘も呆然としていたのでちょっと間抜けだったが、ともかくも無事に生まれたのが嬉しい。3186グラム。
しばらくすると妻は歩いて分娩室から出てきた。やや顔が青ざめているような気がするがすっきりした表情になっている。1人目より長引いたのは大便が邪魔していたせいらしい。夕食も全部吐いてしまったという。
中を覗くとオムツをした赤ちゃんがもう泣くのに疲れたのか手をパタパタさせている。娘が「やっぱり弟だったねー」などと知ったかぶったが、実は私も男ではないかと思っていた。
というのも、私は印象に残った夢を記録しているのだが、6年前に亡き祖父が夢枕に立って平成18年か20年に生まれ変わることができると予言していたのである(http://www.tgiw.info/life/d00.html、2月26日の項)。この日記をつけていたことすら忘れていたが、母が覚えていた。
生まれ変わりだからといって性別が同じになるとも限らないのだろうが、ともかくも祖父、亡くなってから8年を経て復活ということである。母に電話をしたら仏壇に線香を上げて祖父にお願いしていたといい、声を詰まらせた。
しばらくすると部屋に赤ちゃんがやってきて、親子4人で団欒タイム。名前はどうするかとか、今週の生活はどうするかとか、のほほんとしたひとときを送る。妻はまだ痛そう。毛糸の帽子をかぶせられた赤ちゃんはこっちを見ているんだか見ていないんだか分からない視線をときどき飛ばしながら、手をグーパーグーパーしている。顔は、残念ながら今回も妻似のようだ。また負けた……。
娘と帰宅したのは23時を過ぎていた。風呂なしで即就寝。長いような、短いような1日だった。これからが勝負だ。

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