手持ち無沙汰な1月

年が明けて早くも半月が過ぎた。これをあと23回繰り返すと1年も終わるのか。9日予定の第二子はまだ産まれていないし、3月提出予定の論文も凍結状態になっている。忙しくはないのに、そこはかとない焦りが漂う今日この頃。
今日は午前中に隣のお寺のお葬式のお手伝い。このあたりでは一番若い者が法話をするということになっていて、今日は山折哲雄氏の無常の三原則「この地上にあるもので永遠なるものは一つもない」「形あるものは必ず滅する」「人間は生きて死んでいく」を話してみたが、思いのほか効果が大きかった。
感情に訴える葬儀屋さんの司会は引いてしまう人が多いが、このような教理的なものを淡々と述べるのは理性に訴えかける。無常観は、仏教が日本に根を下ろす際に大きな足がかりになっている。
後の法要では正法眼蔵道心「この生の終わるときは、二つの眼たちまちに暗くなるべし。その時、励みて南無帰依仏と唱え奉るべし。この時、十方の諸仏憐れみをたれさせたもう。」を話そうとしたが、フレーズを覚え切れていなかったのでやめた。
葬儀を終えて、昼から開基檀頭のお宅にて宅祈祷。大般若経理趣分品を40分で読む。「ノーボバギャバテーハラジャハラミタエイタニャタシッレイエイシッレイエイシッレイエイソワカ(namaH
bhagavate prajJApAramitayai tad yathA zriyai zriyai zriyai svAhA)」というマントラがあるが、「世尊に帰依す、般若波羅蜜に帰依す、吉祥(天)に帰依す、吉祥(天)に帰依す、吉祥(天)に帰依す、幸あれ」という意味で、訳さないのは言霊のような信仰があるからなのだろう。効き目バッチリ、でも足イタイ。
お昼をご馳走になって帰宅、ほろ酔いで昼寝。夜からは小正月行事であるヤハハエロ(斎灯焼)の祈祷に出かける。この季節、外でお経を読むのは堪えるものがあるが、引き締まるものだ。
終わって地区の方々と反省会。というわけで法要のトリプルヘッダー、飲み会のダブルヘッダーという1日だった。1月は法事がないのに、毎週週末に行事がある。

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