朝から法事とか墓経とか来客とかぎっしり。その後に明日開かれる「いまどき寺子屋体験」(坐禅&お話&ボードゲーム)の準備。何話そう?
お葬式や法事では「誰でもいつかは死ぬ。だから私もあなたも死ぬ。限られているからこそ尊い命」といって死の準備教育のようなものができるが、将来のある子ども相手にそんなこと言ってもなぁ。先祖から代々受け継がれてきた命だから大切にと言っても、親が健在なうちはそんな実感がないだろうし。
今日の法事で実験的に因果応報や自業自得の話をしてみた。今生きているのは、前世の業を清算するためなのである……と言いかけたがこれはかなり危険。お坊さんは、この理屈で社会的な差別に加担してきたのである(いわゆる「悪しき業論」)。
これでは「あなたが不幸なのは、前世で悪いことをした報いなのだ。このツボ(印鑑)を買えば……」というようなインチキ宗教よりもっとタチが悪い。因果応報の原理は現状を肯定するためのものではなく、あくまでよりよい未来を志向するものとしてのみ、適用されなければなるまい。
ひとまずお寺とはどういうところか、お坊さんとは何をする人か、どうしてお経を読むのか、なんてところから始めてみようかな。そして先祖の話から、親心という無条件の愛につなげて、生きているというそれだけで尊いことを説き、感謝の念にあふれた生活を薦めるという道筋で。小学1年生から中学生まで、どれくらい伝わるか不安だ。
話が終わってしまえば、お寺の境内を探検して、流しそうめんの昼食を取って、午後はボードゲームと何の心配もない。先日、役員さんに集まってもらってワードバスケット、キャッチミー、ニワトリのしっぽ、投扇興、カヤナック、オバケだぞ〜を一通り遊んでルールを覚えてもらった。さらにジェンガ、ブロックス、ネコとネズミの大レースなどを用意(ゆうゲームズが多い)。無敵。
ゲームではなくて現実の話だが、先ほどから部屋の中に1匹子ネズミがいる。ときどき顔を出してチョロチョロしていたが、1時間前からどこかに行ってしまった(部屋からは出ていない)。寝ている間に耳をかじられたらヤだな。