2か月ぶりぐらいになるだろうか、大学へ。もう学籍はないのだが、私と同じくインドのディベートについて研究しているウィーンの先生が来日しているというので教授からお呼びがかかる。
本当は御詠歌の講習会だったが急遽キャンセル。もともとこの講習会のためにベビーシッターを頼んでいたので難なく上京することができた。子どもを2人連れて帰る妻のため、午前中に夕食の買出しと準備を済ませる。
講演の内容はアーユルヴェーダの根本聖典ともいうべき『チャラカ・サンヒター』(2世紀)の医者のたしなみとしてディベートを学ぶ章について。50以上の写本をインド各地から集め、使われている文字(シャーラダ、デーヴァナーガリー、ベンガーリー)や誤字脱字をもとにA写本はB写本の写しで、B写本はC写本の写し…などと系統樹を作っていく。気の遠くなる作業だ。その過程で、刊本では現代のインド人が勝手に解釈して改変している箇所がわかり、古代における専門用語の意味が明らかになる。
理由(hetu)は後代、論証の一部分をなすものになるが、チャラカの時代は4つの認識手段(pramANa)の意味で使われていた。ところが編者が論証の一部分という考えに引きずられて、順番を改変したり、複数形を単数形に変えたりしてしまう。そしてそれは、どの写本からも支持されないことで、編者の改変だと分かるのだ。
オーストリア科学アカデミー・アジア文化思想史研究所の所長であるプレッツ博士は、8年前の来日のとき都内で泊まるところがなく、当時亀有に住んでいた私の6畳一間に約1週間滞在した。浅草に浴衣を買いに行ったり、地下鉄の階段を転げ落ちて病院に連れていかれたり、緑茶を出したら夜眠れなくさせてしまったりしたことを思い出す。4年前に来日したときは奥さんと一緒にお寺を回った。
講義は英語だったが、終わってからもう当然のようにドイツ語で話しかけてくるのでそのままドイツ語モード。時折ヒンディー語が出そうになったが(アッチャーとかイスリエーとかレーキンとか)、それはともかくも存分にしゃべれて満足だった。教授や先輩後輩も交えて、久しぶりに終バスまで飲んだ。