走りながら振り返る師走

従来の光陰はたとい空しく過ごすというとも、今生のいまだ過ぎざる間に、急ぎて発願すべし(道元)

師走は、僧侶がお経読みであちこち走る回るのが語源だ。年回忌法要はその年のうちに済ませなければならないため、駆け込みの依頼が殺到する。暮れが迫ってから慌てて供養して、雪の中をお墓参りするのは全くお勧めできないが、「そのうち、そのうち」と思っているうちに光陰は矢よりも速く過ぎ去るものだ。

あるお経に結婚を誓い合った男女の話がある。男性は蛇に噛まれて亡くなってしまったが、女性への愛着から天宮に生まれ変わって女性を連れて行き、七年間を過ごした。それから女性が実家に帰ると人間界では七百年も経っており、誰も知るものはおらず、すぐに年老いて七日目に亡くなる。しかしその間に天宮からもらってきた大金を修行者に施し、人々にも善行を勧めて、自らは天界に生まれ変わったという。人生百年時代といっても、過ぎてしまえばあっという間の出来事。若かりしあの頃に戻ることも、亡くなった人と会って話すこともできない。

「タイムイズマネー」というドイツのゲームでは、十~三十秒の制限時間内にサイコロを振って紙幣を集める。しかし自分はストップウォッチを見ることはできず、時間が来たと思ったら途中で止めなければならない。制限時間より短くても長くても罰金を支払わなければならないため、鋭敏な時間感覚が試される。「この時間ならこれくらいのことはできるだろう」という目論見は大概はずれるもので、人生もおそらく、思っていたことの半分もできないまま終わってしまうのだろうなと思う。

人生百年時代といっても、平均寿命が五十年だった時代の二倍の仕事ができるわけではない。逆にたとえ長生きできなくても、一瞬一瞬気を抜かず、大切に生きることができれば、一年でも百年分の価値がある。はたして今年の一年は、質的に何年分の価値があっただろうか。来年は、何年分の一年にできるだろうか。何もしないまま、あっという間の一年を繰り返さないよう、走り回っている合間に落ち着いて振り返りたいものである。

(河北新報「微風旋風」12月5日)

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