いい加減な境内掃除

愚者を自覚する愚者、これを賢者という。賢者だと思っている愚者、これを真の愚者という。(根本説一切有部毘奈耶)
お寺の境内はあたり一面、紅葉の季節である。赤いモミジや黄色いイチョウの葉が訪れる人の目を楽しませてくれるが、住職にとっては掃除の季節でもある。掃いても掃いても一晩で元通りになってしまう。
お釈迦様の弟子にチューラパンタカという、物覚えの悪さで有名な人物がいた。お経をいくら教えても全く覚えられず、お寺から追い出されてしまった。そこでお釈迦様は上記の言葉で励まし、「塵をとり除こう」「垢をとり除こう」と言いながら、ひたすらわらじを掃除するよう命じた。やがてチューラパンタカは、塵や垢には心の中にたまるもの(煩悩)もあることに気づいて阿羅漢となった。終わりの見えない境内掃除をしていると、このお話をときどき思い出す。仏教では愚直に修行を続けることが推奨される。
「ゲストがくる前に」という日本のカードゲームでは、家の中に散らかっているおもちゃや荷物を、お客様が来る前に片付ける。貯めてから一気に片付けるほうが効率が良いが、その前にお客様が来てしまうと片付けられなかったものが失点になってしまう。欲張らずに適度に貯まったところでタイミングよく片付けることが大事である。
愚直であろうとするあまり、神経質になってしまってはもはや愚直ではない。「焦らず、たゆまず、怠らず」とは先輩の和尚さんたちからよく教えられた言葉である。落ち葉で色とりどりの路地を2、3日めでてから、晴れ間を見て掃除するくらいの余裕があってもよいだろう。お客さまが来る直前の泥縄でも、お客さまのことを思いながら掃除するならば悪くあるまい。
自ら大愚を名乗った良寛は「裏を見せ 表を見せて 散るもみじ」と詠んだ。失敗してこそ学びがあり、短所があるからこそ人に親しまれ、苦しみを経験してこそ人の苦しみがわかる。皆にでくのぼうと呼ばれ、ほめられもせず、苦にもされず、そういう者に私はなりたい。
まもなく雪が降ってくれば、今度は除雪の日々が待っている。

(河北新報「微風旋風」11月17日)

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