2年間にわたる留学が終わる。正確には2003年9月〜2005年7月までで、その上1年に3ヶ月日本に帰っていたので実質上1年半に満たないが、想像していたよりも多くの成果を得ることができた。学業はもとより、日本では得がたい深い人のつながりができたのが大きい。
帰国直前は暇を持て余すだろうと思っていた。シュクラ先生の授業は7月1日に終わったが、10日に行われる先生の息子の結婚式までプネーに留まらなければならなかったからである。小旅行でもしようかと考えたが連日の雨で遠出する気が起きない。本を読んだり、昼寝をしたり、映画を見たりとだらだら…のはずだったのだが。
まずI氏が1つ仕事をもってきた。バンダルカル東洋研究所のバテー先生が今度中国で開かれる学会で発表しなければならなくなって、漢文の資料を集めているという。中世の中国人がサンスクリット語をどのように捉えていたかというのが課題。宋代に編集された梵漢辞典『翻訳名義集』をI氏とちょっと読んでみた。お経はいつも読んでいるものの、漢文を精読するのは久しぶりだなあ。
…I氏宅にて酒を飲みながら、だらだらと翻訳してみた。その結果わかったことは、中国人のサンスクリット語理解はアビダルマ仏教に依拠しているということだった。日本人だけでなく中国人にとってもサンスクリット語は馴染みのある言葉ではない。お経の翻訳に携わった訳経僧を除いてはその実は知られず、天竺の雅語というだけで過大に美化されたようだ。バテー先生が知りたがっていたサンスクリット文法も、アビダルマの体系を意味も分からないまま受け入れていた……という先生にとっては期待はずれ、我々にとっては予想通りの話。そしてミッション終了。
シュクラ先生の息子スシャントの結婚式に出席し、翌日からカシミールに5日ほど行って帰国した。翌日から早速お寺の仕事が待っていた。