『跳龍』で連載した地蔵菩薩の真言「唵、訶訶訶、尾娑摩曳、娑婆訶」について、熱心な読者の方から質問をお寄せ頂いたので回答。
Q:「ハハハ」は大悟の喜びであり、「ヴィスマイェー」は仏果を証得した希有なるものであるのに、地蔵菩薩はどうして如来ではないのか?
A:法蔵菩薩が四十八願を成就して阿弥陀如来になったように、地蔵菩薩も未来において必ず一切衆生の苦しみがなくなり、誓願が成就して如来となります。そのことを信じて、これらは未来の大悟を喜び讃える言葉であると考えられます。それは苦悩なき未来の衆生への祝福であると同時に、そのために自らもできることをしていくという、地蔵菩薩の誓願のお裾分けでもあるでしょう。
Q:地蔵菩薩に助けられたものは悟りの道を歩み如来にならないのか?
A:日常の生老病死に苦しんでいるうちは発心も覚束ない衆生でも、苦しみを取り除かれることによって菩薩行を始めることができます。自未得度先度他の心によって自らが如来になるのは後の方になるとしても、やがては如来になることでしょう。
Q:地蔵菩薩は衆生の苦しみを担っている間は仏でないのか?
A:苦しみの根本原因は無明であり、無明の闇を打ち払った菩薩にとって、代受の苦しみは真の苦しみではなく、喜びであるとさえ言えるのではないでしょうか。そのような喜びの心で衆生の苦しみに向かう地蔵菩薩は、正真正銘の仏です。
「修証一等」(修行している姿が悟りの姿)という曹洞宗の教義において、菩薩と如来の違いはなくなります。そのことを歌うご詠歌を紹介いたします。
道心利行御和讃
(一)衆生済度の誓願に 常に在(ましま)す御仏の
慈悲の光に照らされて 命耀う嬉しさよ
あなたの真前(まえ)に向き合わん 利行の道の同朋(とも)として
(二)山河自然の厳しさと 恩恵(めぐみ)に而今(いま)を生かされて
利他の功徳を積む人の 花の笑顔ぞ美しき
あなたと共に伝えあう 正しき法の灯火を
(三)生死流転の現世(うつせ)にも 心を澄まし爽やかに
今日の勤めを励みなば 菩提の月は宿るなり
あなたを信じ支えあい 希望(のぞみ)を抱き進み行く