近くのお寺さんで法話を聞く会。特派布教師は名古屋の中村元紀師、テーマは「許す力」ということで、母親を許せず、お墓に納骨したくなかったお檀家さんが、「今まであなたはどれだけ許されてきたのか」という奥様の一言で改心したお話。
「『私だって昔、誰かに迷惑をかけたかもしれない。だから、かつて誰かに迷惑をかけた私が、これくらいの迷惑を被るのは当たり前である。』このように考えるならば、現在の苦痛を忍ぶことができる」(菩提行経)を思わせる話だが、同時に思い出したのが『鬼滅の刃』のやりとり。
「何百何千という人間を殺しても私は許されている。この千年、神も仏も見たことがない」(鬼舞辻無惨)「君は誰にも許されていない。この千年間一度も」(産屋敷耀哉)。結局「虎の尾を踏み龍の逆鱗に触れた」無惨は鬼滅隊との戦いの末、日光を浴びて消滅することになる。
他人を許して恨みを捨てることは確かに心の平穏をもたらすものだが、この世の中では許すべきではない行いがあるのも事実。相殺できるぐらいの迷惑ならまだしも、遺教経や法華経が説くような無条件の寛容が、相手の諸悪莫作と矛盾するとしたらどうすればよいだろうか?
そんな思いを抱きながら午後は交流施設の人権研修で合理的配慮について。自分とは違う他人に対し、理解も共感もできなくても許容できること(寛容)と、意見や利害の対立は、理性的な話し合いや建設的な交渉を行って当事者間で問題解決を目指すこと(対話)を話した。