お盆の布施

孝慈を行ずる者、皆まさに所生の現在の父母、過去七世の父母の為に七月十五日、百味の飲食を以て、盂蘭盆の中に安じ、十方自恣の僧に施し(盂蘭盆経)
第七波の感染拡大が続く中、今年のお盆もお経を読み、お茶などをご馳走になりつつ檀家さん数十軒を回った。お盆の正式名称「盂蘭盆」は「ご飯をのせたお盆」という意味で、お釈迦様や僧侶に供えられる食事のことである。僧侶は、施主の亡き父母の幸せを祈って食事を頂くことになっており、一軒一軒ご飯を頂くのは無理だとしても、何かしら口に入れてこそのお盆となる(代わりに金品のお布施を受けるという考え方もある)。
摩訶迦葉というお釈迦様の弟子が、身寄りのない貧しい女性の死期が近いことを知り、その女性に布施の功徳を積ませるためにわざわざ赴いた。その女性は貧しくてご飯のゆで汁しか布施できなかったが、摩訶迦葉は「あなたは私の三つ前の前世で、私の母でした」と伝え、女性はその日の夕方になくなって生天したという(天宮事経)。なけなしでも、与える気持ちを持って頂くことが大切なのである。
「ダンジョンレイダース」というカードゲームでは、冒険者たちが一丸となってモンスターと戦う。全員が出したカードの数字の合計が、モンスターの体力を上回っていれば勝てるが、「誰かが頑張ってくれるだろう」と思って手抜きすると負けてしまう。できるだけカードを温存したいが、手抜きしすぎると痛い目にあうというところで、お互いの出方をうかがう。
皆が与える気持ちを失ったら、ペナルティ(このゲームではモンスターの攻撃)は最も弱い人に行ってしまう。現実世界でも天災・戦争・疫病で苦しむのはいつだって弱者なのである。仏教が与える気持ちを重視するのは、自身の欲望の暴走を防ぐと共に、お互い助け合って他人の苦しみをなくしていくためである。
お経を読んだ後のお茶飲みでは、悩み事相談になることも多い。相手の気持ちに共感すること心がけ、相手の苦しみがなくなることを願って一緒に考える。それがお寺の本来の役割だと思っている。

(河北新報「微風旋風」8月25日)

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